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 対策その4:若グマの忌避教育
 
経緯概略
 丸瀬布に箱罠が本格導入された2004年、人口2000・農家10軒というほんの小さなエリアで11頭のヒグマが捕獲された。この捕獲数は90年以前の春グマ駆除の時期から考えても「大量捕獲」と表現していい数字だと思う。何の防備も工夫も施されない農地でのヒグマの捕殺は、私の活動してきたアラスカやカナダで培った感覚からは到底考えられない暴挙に見え、野次馬の指さす箱罠の中で射殺される構図は、ともすると野蛮な香りさえ漂っていた。私はつい、この捕殺に咄嗟に反応するようにこの山塊と地域周辺のヒグマの調査に本腰を入れたが、調査に入って2年後の2006年、山中を這いずり回る私は、従来に見られなかった不思議な現象に気がついた。2004年の大量捕獲でヒグマの痕跡が見られなくなったエリアに、若いクマが、それも複数活動していることが調査に引っかかって来た。そして、その直後から若グマに遭遇する機会が増え、中には私の存在を確認しつつ目の前でアリを食べ続ける若グマや、40m先からわざわざ私に接近してじゃれつきかける若グマが現れた。その若グマらの中には、警戒心薄く不用意に人里を歩いて町の行政やハンターを慌てさせる個体もあった。
 調査を続けていくと、自分の推測が次々に立証されていくような気になった。つまり、人里周りのあちこちの沢や斜面で、若グマが増えていることがわかったのだ。そして、若いメスは既に子を連れ、その若グマ増加現象が継続的にしばらく続くことが予測できた。
 武利方面に「いこいの森」を中心とした観光エリアを擁する武利川流域では、毎年何件か観光客・キャンパーがヒグマを目撃・遭遇しはじめ、観光課の協力で配布していた注意喚起のパンフレット等ではヒト側への普及啓蒙が間に合わないと判断されたため、クマの側に働きかけることを迫られた。

(←)無警戒な若グマの「追い払い」をはじめた当初、主力となったベアスプレーと轟音玉(ごうおんだま)。ベアスプレーは、アラスカ、北海道の森林内で何度か用いてきたが、特に開けた場所での追い払いには弱点を露呈させた。

 簡単にいえば、最終的には「追い払い」なのだが、「若グマの忌避教育」と呼んでいるのは、以下のステップを踏んでかなり意図的な追い払いに結びつけているからだ。一方、突発的に出没・遭遇した若グマを追い払う行為を、単に「追い払い」と言っている。
 若グマの忌避教育は、具体的には春先よりの調査で「問題個体の絞り込み」に始まり、「ストーカー行為」「ベアプロファイリング」を経て、最終的に、無警戒で危険な行動をとる無邪気な若グマに対して意図的にバッタリ遭遇を起こして「追い払い」をおこなう。遭遇時の「追い払い」の方法としては、当初、轟音玉・ベアスプレーを用い、協力が得られれば威嚇弾等も用いたが、現在ではベアドッグによる追い払いを主に置いている。
 実際の「追い払い」の手段はともかく、ざっと以下の手順で進める。


STEP1:問題個体の絞り込み
 春先からとにかく痕跡調査をおこない、各若グマの動向・行動パタンなどを把握する。特に前年の調査より、仔熊が新たに親離れしそうな親子グマについて、特に母グマの性質を前もってできる限り調べておく。ヒグマ対応は無作為に、あるいは刹那的におこなうのではなく、それぞれの若グマの性質・習性を元に集中的におこなう必要があるが、若グマで問題となりがちな性質は、ヒトに対する「好奇心旺盛」「無知」「無警戒」。数は少ないが、攻撃性が強めの個体も中にはあるかも知れない。それらの点に着目して注意深く忌避教育対象個体を絞り込んでいく。出没時間・出没場所・接近したヒトへの反応などなど、絞り込みの段階では、比較的広く浅くの調査になる。

STEP2:ストーカー行為と「ベアプロファイリング」
 ある程度「教育候補若グマ」を絞り込めた段階で、より正確にその個体の性質・問題性を把握するために、候補個体の行動圏を集中的に歩き回り、遭遇を含めた「やりとり」をおこなう。いくら遠くからスコープで観察しても、その個体のヒトに対する性格や学習程度などは浮き出てこない。あくまで若グマがこちらを感知した状態であれこれ関与して、はじめてヒトに対する警戒心や好奇心など、様々な心理が見えてくる。
 この段階で、夜間出没型の個体、遭遇と同時に逃げ去る個体、あるいはこちらの調査・徘徊を感知して雲隠れするような個体は候補からはずしていく。逆に残るのは、私への好奇心からウロウロと躊躇したり、接近しかけたり、あるいは逆にbluff charge的な行動を示した個体。とにかく、まったくクマ対応を知らない観光客やキャンパーがそのクマに遇った場合、問題となりそうな個体は全部候補だ。
 候補個体でも、「食う・寝る・遊ぶ」のうち食うと遊ぶが痕跡によく残っている若グマは、一応、健全だなあ程度に評価する。断片的に現れる痕跡から読める「遊び要素」を特に注目して見ている。あれやこれや無駄なことをやっている痕跡を見て、「ちゃんと勉強しているな」と、私の場合は理解する方向だ。
 左写真は、アスファルトの道路沿いにできる畳イワシ状のアリの巣(アリとサナギ)を食べに来ている若グマで、30mほどの距離で比較的呑気に振る舞う若グマだが、こちらに対して警戒心というよりは好奇心が勝った状態である。それは、ヒグマのボディーランゲージとして、目・鼻・耳に現れている。距離が近く開けた場所なので立ち上がるまではいっていないが、頭部を少し上げて鼻を突き出し、近いほうの耳はパラボラアンテナのようにこちらに向け、視線は完全にこちらを捉えている。こういう若グマは凶悪・凶暴からはほど遠い存在だが、クマ対応をしっかりできない観光客等がこのクマの前に置かれると、双方が意図しない、とんでもない進み方をする可能性もある。こういうクマを距離をとって眺めて面白がる時代が来ればいいが、北海道の現状としては、当面このクマを威嚇・威圧しヒトから遠ざかるよう学習させなくてはならない。どことなく残念なことではある。

STEP3:意図的遭遇からの「追い払い」

 追い払いの時期は概ね6〜7月。沢沿い、古い作業道などのフキの群生地周辺であることが多い。この時期のヒグマの主食はフキであり、摂取量も多いので動向把握もおこないやすい。若グマの行動パターンを読み、できるだけこちらが有利な場所で待ち構えるなどして30〜40mの距離で意図的にバッタリ遭遇を起こす。絞り込み・ベアプロファイリングが成功していれば、この距離で若グマは逃げることなく躊躇あるいはこちらへの接近を試みる。このタイプの個体に対して迎撃態勢をとり、完全に尻を向けて逃亡するまで追い払うことができれば、その追い払いは一応成功といえるが、問題行動の改善が十分見られない場合、最大で2年半にわたる忌避教育もある。
 この時期に注意すべきは、交尾期絡みの動向の乱れだろう。それまで感知しない大型個体がどこからかにわかに調査エリアに入ってきたり、その影響で、マークしていた個体が動向を変えたり雲隠れしたりすることがある。そういう動向変化が現れた場合、心理的に変化している可能性があるため、仮にどこかで遭遇しても、かなり用心深く対応するのが常だ。
 実際に「追い払い」に使用する資材としては、2006年より轟音玉、ベアスプレー(カウンターアソールト)、ロケット花火、サーチライト。その他、落ちている木の枝や声なども臨機応変に用いてきたが、現在では下に示すベアドッグをその主力としている。ベアスプレーの撃退実績も、この取り組み上で得られたものが多い。
 ベアプロファイリングが正しく、なおかつ狙ったシチュエーションで狙った若グマに遇うことができれば、この作業は自殺行為というほどのことではない。ただ、高知能ゆえ、若グマであっても何かの拍子に刹那的な気分で行動することも多く、躊躇しながらゆっくり近づいたり、ヘラヘラと無警戒に近づいてくれれば、まあまあ予定通りベアスプレーの射程内に入った直後に一気に追い払えるのだが、相手の次の行動を読み誤り、近距離から若グマ特有の中途半端なbluff charge(威嚇突進)(注1)を受けたりで、年に何本かは不測の状態でベアスプレーを消費した。ベアドッグを連れるようになって、会った若グマに対し遠めの距離から警戒心を抱かせるので、そこまで至近距離対応になることは、この忌避教育では皆無となった。ただ、犬なしの対応経験を積んだことで、目の前のヒグマの心理や次に起こされる行動をより正確に読めるようになり、それはベアドッグを使う場合にも生かされている。

注1:若グマには「潜む戦略」にせよ「bluff charge」にせよ、おこない方が中途半端な場合が多い。これは、若グマがそういった戦略を試しながらおこなっているからだと思われる。特に好奇心で接近してくるような若グマは、bluff chargeか激しめのじゃれつきか、区別がつかないことすらある。この突進は(少なくとも行動としては突進という表現でいいと思うが)、構えて受け止めずに積極的に迎撃することで、多くの若グマは尻を見せて逃亡に移る。このことから、bluff chargeと表現していいかどうか若干疑わしく「play charge」と呼んでいる。ただ、もし若グマが、逃げる選択もあったのにtry&errorのトライでbluff chargeをおこなってきていたとすれば、それはエラーに結びつけるのが最良と考えている。



コラム:ヒグマの被害を防ぐ=ヒグマを知る

 「知る」ということなしに合理的なヒグマ対策は困難だが、「ヒグマを知る」ということはどういうことなのか。それには、概ね二つの手法があるように思う。一つはサイエンスだ。専門家・学者のヒグマ研究によって、遺伝的・生態的事実をはじめいろいろな事実が比較的正確に解き明かされうる。例えば「着床遅延」―――交尾期・受精期とその受精卵が発育を開始する時期の半年のタイムラグ―――これなどは、アラスカ・北海道の活動を通して私の観察から導き出すことはできなかったヒグマの事実だが、メス熊の過剰とも思える食欲はどこから来るのか? あるいは、山の豊かさが減じたりサーモンの遡上が阻害されたりするとヒグマにどういう影響があるのか?などに関わり、ヒグマ対策をおこなっていくうえで、重要な事実だろう。
 一方、優れたクマ撃ちや現場の研究者・管理官のように、1頭のヒグマをとことんマークし、そのヒグマの心理や行動パターンを知っていくことで、最終的に様々な状況と個体に応じてヒグマを読めるようになる場合もある。もちろん、いくらヒグマの観察しても洞察力と論理性が乏しければ、迷信に上塗りして的外れな論を助長させ定着させることにしかならない。
 前者は比較的統計学手法、後者は現場の実践で見定めていく手法だが、どちらも「ヒグマを知る」という点では同じだ。

 今年(2011年)、9月に入って台風崩れの温帯低気圧も手伝って雨が続き、武利川がしばらく茶濁りに増水した。それまで「いこいの森」の隣のデントコーン農地に東側から降りていたヒグマたちは、武利川を渡ることができず、数日間デントコーンを食べることができていない状況だった。この場合、ヒグマの行動パターンは三つ考えられる。一つは、増水を感知し、即座に山の中腹まで戻って固くなったフキやウドの実、あるいは時期の早い青いヤマブドウやマタタビ・コクワで食い凌ぐパタン。これは、比較的経験を積んだ年長個体に多い。第二に、武利川の近隣の藪や林で待機しながらフキなどを食べつなぐパタン。そして三つめは、近隣のデントコーン農地で自分が侵入できそうな農地がないか物色して歩き回るパタン。およそ、この三つだ。
 増水前、ひと組の親子グマと前掌幅142oの若グマ(亜成獣)が「いこいの森」に接近傾向を見せていたためマークしていたが、これらのクマも増水で行動をにわかに変えた。親子連れのほうは、若い母グマで(恐らく)今年はじめて出産し子育てを経験している若グマ。前年に一度追い払いをおこなっている。142oは、ほんの数日前、夜間パトロールで真っ正面から歩き私と対面し、逃げ去った経験を持つ。
 私は、増水から数日経ったある日、つかの間の晴れを狙って、持ち慣れない200o望遠レンズをクルマに積んでここを出た。マークした個体の行動を確認するためだったが、親子連れはすぐ第二のパタンと判明した。「いこいの森」に電気柵が張られる以前に母グマがよく居付いていたフキの群生地で仔熊と一緒にフキをつまんでいた。仔熊の食痕には遊び要素が多分に現れわかりやすいが、この時期の固いフキだと噛んだりちぎったりばかりで、食べている量はとても少ない。この親子のルートに142oの痕跡は見られなかった。
 いろいろな状況から分析し、また勘も働き、一つのデントコーン農地が浮かんだ。私は、この農地への侵入箇所を100mに絞り込んでクルマをシカの流し猟などで使うドリフティングスピード(時速10qほど)で走らせた。すると、後ろの魁(ベアドッグ)が反応。シカやキツネではなさそうだ。「どこだ?」と聞いたとたん、デントコーン脇の笹藪から黒いかたまりが飛び出て前方30mを走って横断した。やはり142oはここに居た。午後2時過ぎの出来事だった。
 二度目の対面で私はこいつの体格・体色そして顔をはじめて見た。そして200oレンズを向けて斜面上方30mほどの若グマに向けて何度かシャッターを切った。これは、必ずしも酔狂で撮っているわけではない。近々観光課職員がデジタルセンサーカメラを設置するので、それと付き合わせるための貴重な画像データとなり、もしこの個体が万が一悪く変化し射殺依頼をする場合、前掌幅データとともに駆除ハンターが手にする「ウォンテッド写真」ともなる。

 さて、特定のヒグマに照準を合わせ、その個体の行動・居場所を読んで狙い通りに別の場所で対面するというのは、実際に試みてみるとすぐわかると思うが、かなり難しい作業だ。周辺の環境・天候・季節はもとより、そのクマの個性を含めて推理しなくてはなかなか実現できない。実際に書いてみるとガッカリするほど短い文章で書けるが、そこにはそれなりの知識と観察と分析と推理、そして経験とが隠されている。もちろん、勘というのはヤマカンのことではない。現代は科学万能の時代など言われるが、では、科学者をここに連れて来て同じ予測をさせたら同様にできるかというと、残念ながら、たぶんそういうことにはならない。私は、上記の忌避教育でこの手法を体得し精度を上げてきたが、恐らく、優れたクマ撃ちの一部は盛期でも同様の意図的対面が可能かも知れない。
 たった1頭のクマだが、その1頭の心理と行動を読むことができるのは、じつはヒグマの被害防止・出没解消を実現するにあたって重要なことだ。つまり、「ヒグマを知る」をどこまで深く、精度高くできているかによって、ヒグマのコントロールの精度が決まる。ヒグマを知る。ヒグマを読む。そして、先回りして防ぐ。これがヒグマ対策の基本中の基本だ。蛇足になるが、前の二つができていると、ヒグマを好きな場所に出没させることもできるし、危険なヒグマ・危険なエリアを作ることもできる。現在の北海道では、図らずもそれをしきりにやっている構図がある。「知る・読む・防ぐ」ができていれば、ヒグマなど北海道のようにバタバタ殺さなくてもちゃんと折り合いは付けられる。



追い払いの問題点・課題
 特に若いクマへの追い払い行為は、経験が浅く無邪気で好奇心旺盛な若グマに対しては一定の効果が見込めるが、問題がないわけではない。これもまたクマの個性のばらつき、インテリジェンスフローからくる問題だが、以下のような可能性が、個体によっては考えられる。
 1.再三の追い払いにもかかわらず教育効果が小さい場合
 2.教育が思った方向に進まない場合(場合によっては、強い恐怖心を与えてしまうと、攻撃的になる個体もあるかも知れない)
 3.威嚇騨使用の場合、銃器への警戒が現れることがある(銃器による捕獲の難易度が上がる)
 4.夜間出没型への変移

 「3」は、ヒトへの忌避を引き出せていればいいのだが、一方で、例えば威嚇弾を撃つショットガンのポンピング音に対して過剰に反応する個体の可能性などが疑われる。威嚇は派手なポンピング音を発するショットガンに、さらに何らかの「音」の関連付けを加えてもいいかも知れない。そして捕獲はボルトアクションというように、追い払いと捕獲で用いる銃器の差別化をクマ側に擦り込むのが理想的かも知れない。
 また、「4」はヒトや人里への警戒心が擦り込まれた結果ともとれ、必ずしも悪い影響ということではないが、「1」「2」を伴った場合には、その後捕獲判断をした場合に、捕獲作業に影響があるだろう。

 これらの可能性を総合すると、特に若グマへの追い払いは行われるべきとしても、もしその効果が薄かった場合、対応方針を捕獲に変更するタイミングが重要なように思われる。また、追い払いの強度を上げて恐怖の手前ギリギリで忌避を引き出すことは可能かも知れないが、一歩間違え恐怖まで抱かせると、反撃するという選択を持たせてしまう怖れがある。よって、恐怖との間に一定のマージンを持たせ、追い払いの強度に加減を持たせるべきかも知れない。つまり、このへんのヒグマの心理は微妙なので、非致死的対応・追い払い行為であれば何でもいいというわけではないだろう。
 現在、知床半島の付け根にあたる羅臼町でも、猟友会から選抜された駆除ハンターが「追い払い」をおこなっている。ここでは、斜里町とともに経験値が年々上がっていると思われるが、2011年「ヒグマ捕獲技術研修会(根室振興局)」では、羅臼のベテランハンターからも現場の経験より、1〜4に類似した指摘があった。
 若グマへの「追い払い」行為は、今後我々が対ヒグマ問題で持つカードとして必要不可欠な方法論だと思うが、捕獲やバッファスペースなど他のカード同様、あらゆるケース・あらゆる個体に対して万能では決してない。

補足)知床の「追い払い」効果を全道に適用して考えられるか?
 知床では、必ずしも思った通りに「追い払い」の効果が現れないケースが結構あるらしい。それは何故か?
 答は簡単で、知床財団の専門対策員がベアドッグ、威嚇弾などで追い払いをおこなう以上に、観光客がヒグマを甘やかしているからだ。若グマの教育は人間同様で一貫性が要る。知床のヒト慣れして無警戒に振る舞う「新世代ベアーズ」は、観光客から学習し無警戒になったクマ。通常エリアの無警戒グマの多くは、経験不足・未学習による無警戒だ。そこが根本的に異なるため、同じ追い払いをおこなっても、効果は一般地域のほうがはるかに好ましく出る。

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