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 対策その5:ベアドッグ(クマ対策犬)

 このページに関しては、今後、ベアドッグに限らずヒグマ対策に大なり小なりイヌを導入するケースも増えると想定されることから、育成のあれこれについても書き記した。報告というよりは、解説の意味合いが大きい。分量が若干増したことを了承願いたい。

 ベアドッグというのはクマ対策に特化し訓練された犬をいい、いわゆる犬種ではない。北海道ではあまり馴染みがないが、近年、北米、長野県軽井沢あるいは知床で導入されている手法で、現在、犬種・訓練と躾・追い払いのメソッドなど、様々な模索がおこなわれている段階ではある。一般論的には使役犬・作業犬の位置づけだが、私の場合は家庭犬でもあり、あくまで相棒・パートナーという意識で育成している。(上写真・左が1歳の凛(RIN・♀)。右が2歳・リーダー犬の魁(KAI・♂)

超高感度ヒグマセンサー
 ベアドッグの仕事の第一は、調査・パトロールのときにヒグマ感知センサーとして働くこと。2006年から始めた若グマの追い払いは轟音玉・ロケット花火・サーチライト・ベアスプレーでおこなってきたが、デントコーン被害時期の8月・9月は薮も鬱蒼とし、こちらからヒグマを感知するタイミングが遅れがちだった。結果、不用意に至近距離遭遇を起こし咄嗟にスプレーを用いる状況であったため、ベアドッグの導入に踏み切った部分もある。ベアドッグを連れるようになって、シカ死骸を見つける回数が増えるとともに、予想以上にヒトが感知できない「潜むヒグマ」が多いことがわかった。

運動能力抜群な「追い払い」パートナー
 ベアドッグの第二の作業が「追い払い」である。「追い払い」というのは原則的に、単にそこに居るヒグマをいなくすること(駆除)ではなく、電気柵同様「教育」要素を多く持つ。基本的には人里内でうろつくような個体に対して山側に「追い払い」をかけるが、山中でも、特に警戒心が薄く人の前であまり呑気に振る舞う若グマや、好奇心でヒトに近づき、あるいはじゃれつきを起こすような若グマに対しておこなう。したがって、特に好奇心旺盛で無知で無邪気な若グマがターゲットになる。
 導入年(2010年)に予定外のスクランブル発進で一度、2年目夏には既に五度ほど追い払いをおこなっているが、原則的には、単に追い払うのではなく、若グマの側に「ヒトから遠ざかれば大丈夫」「人里に入らなければ大丈夫」と教える努力をしている。これは、ヒトとバッタリ遭遇を起こしたときに過度に切迫し攻撃側に心理が傾かないためにであるが、犬への服従訓練のうち概ね「呼び」と「静止」のコマンドで達成できる。犬ぞりなどで使う「右」「左」「まっすぐ」を覚えさせておくと、オフリーシュメソッドの際にヒグマを逃亡させる方向をさらに正確にコントロールできる。

リード?リーシュ?引き綱?
※だいたい犬の首につけるヒモのことを、ヨーロッパでは「リード(lead)」と言い、北米では「リーシュ(leash)」と言うことが多い。日本では「引き綱」だろうか。ただ、ベアドッグの作業におけるこのヒモの意味は、いわゆるコンパニオンドッグ・家庭犬のヒモとはかなり異なる。通常、これらの犬の場合は、散歩でも何でも飼い主の意志が先にあって、ヒールウォークという状態で犬が飼い主の一歩あとを歩くのが理想とされ、それがめざされる。リード・引き綱は、散歩などに「犬を人が連れて歩く」というイメージだ。ベアドッグの場合、歩くポジションは臨機応変で、フォーメーションが幾つかある。このヒモを通して犬の心理を掴んだり(特に夜間)、ちょっとした合図で左右前後に動かしたりするので、リード・引き綱という言葉自体がちょっとそぐわない。「連れて歩く」のではなく、このヒモを通して意思疎通をおこない「一緒に作業をする」イメージが強いため、私は「リーシュ」を使うことが多い。
 リーシュは仔犬の頃に太く、ある程度成長したら細くする。魁は生後1年で40s弱まで成長したが、当時は11oの山岳用ロープ(ザイル)を使ってリーシュを作ってあった。しかし、自我の発現やちょっとした反抗期を経て、1歳半からは6oの細引き(アウトドア用のロープ)で作った長めのリーシュを使っている。これは、ヒグマと対峙したときに、できるだけ犬の負担にならないためと、フライライン同様の方法で、片手できれいにリーシュを保持し長さ調整をおこなえるため(写真)。この状態で軽く拳を握ると50pのリーシュにもでき、写真のように手を開き、指を犬の方に向ければ、自然にパラパラとほどけて適切な長さまで伸ばせる。長さに関しては、やはり私とヒグマの距離がベアスプレーの使用に適した距離となるように設定してある。
 また、北米・軽井沢では、カラー(首輪)ではなくハーネス(胴輪)を使うが、私の場合は上記の「意思疎通」を重視しているので、カラーを用いている。細いリーシュを首につなぎ、軽く張っておくことで、闇の中でも犬の頭の向きや緊張度も伝わってくる。ときには、平坦な道で目をつぶって練習したりもしている。

 昨今の北海道では、これまで述べた様々な理由で人里周りに若グマが増えている地域が多いだろう。そして、その若グマが問題のタネになりがちなはずだが、若グマの無警戒は、「追い払い」によって一定レベルで改善させることができ、長期的に見た場合、その教育済み若グマが成長していけば、自然に人里周りの若グマの密度も減少し、現在人里周りで増えている問題群の一部は自然消滅すると期待できる。その活動全般の優秀なパート-ナーがベアドッグである。

 獣猟犬と本来的に必要な気質・能力が似ており混同・同一視される場合があるが、猟犬とベアドッグでは、作業の性質上幾つかの相違点がある。ひとつは、ベアドッグの作業が山中ではなく、不特定多数のいる人里・観光地もしくは周辺で行われるということ。この作業環境から、ミスが許されず、また人間や他の犬に対して攻撃性を見せるようでもマズイ。人や犬に対して柔和な態度をとりつつ、いったんヒグマの前に立ったら持てる威嚇力を最大限に発揮し退かない性格を必要とする。

 第二の相違点は、猟犬がヒグマの気を引き足止めをする作業なのに対し、ベアドッグは威嚇しヒグマを望む方向へ逃亡させ完全に追い払わなくてはいけない点。そしてなおかつ、一定の場所まで追い払ったら、ハンドラーの指示でそこでUターンして戻らなくてはいけないのだ。こういう高度な作業であるため、威嚇力や攻撃力はもとより、その攻撃力をしっかり制御できる警戒心と自制心を持った犬でなければ精度の高い追い払いはできない。

 私の暮らす場所がヒグマとの遭遇に事欠かない環境ゆえ、ある程度気質を備えた犬種を揃えれば、ヒグマに向かって行くだけの犬ならば比較的すぐつくれるだろうが、ヒグマの攻撃の射程に入らず立ち回り、なおかつ一声で戻る犬ををつくるのはかなりの難作業である。実際、今リーダー犬となっている魁は、1歳を越えしばらくした頃、自宅からヒグマを追い「呼び」が利かなくなった。コントロール不能となり、そのままヒグマを追って裏山の斜面に姿を消した。この時期は概してオスの狼犬の自我が発現する時期なのである程度は想定していたが、私はヒグマの去ったあとをしばらく追い、結局、クマの進む方向からルートを必死で予測し、クルマを8q近くも走らせ稜線筋の「クマ渡り」に先回りして、そこに登ってきた魁を回収した。クマがどこに行ったのかはわからなかった。

追い払いメソッドは?
 ベアドッグの追い払いメソッドとしては、リーシュ(リード・引き綱)をつけたままハンドラーとともにヒグマに近づいておこなう方法と、リーシュを解放し犬単独でヒグマを追い払う方法と概ね2種類あり、それぞれオンリーシュメソッド、オフリーシュメソッドと呼んでいる。実際はオンリーシュでパトロールをおこない、ヒグマを感知した段階で追い払いの方向などを見定めてそのままヒグマに接近して追い払うが、ヒグマの逃げ方が甘い場合は、逃亡のタイミングで即座にオフリーシュに変更し犬に追わせることもある。北米および軽井沢ではオンリーシュメソッド、知床ではオフリーシュがメインになっているらしいが、それぞれに利点と難しさがあるため、訓練精度を上げて両方を臨機応変に使い分けるのがいい。最終的にはオフリーシュでオンリーシュ同様の作業をおこなえたら理想的だ。
(写真)ミドルレンジの追い払い(50m)人里・観光地およびその周辺では、オフリーシュでも瞬時に犬の動きを止めることが必要となる。

オオカミの群れを基調とした「チーム」として機能させる
 一方、ベアドッグを複数使う場合は(もちろんそれが理想的だが)、それぞれの犬の関係は並列ではなく、犬の気質・能力に応じて役割分担をさせ、一頭をオンリーシュ、もう一方をオフリーシュで進む場合もある。同じ理由で、リーシュの長さもそれぞれの犬で変えてある。原則的にはアルファ気質の強い犬をリーダーとし、追い払い作業の主力に据え、他は臭気追跡・ヒグマの感知にあたらせ、ヒグマと対峙した段階で援護・牽制に回らせる方向だ。一頭一頭が単独でヒグマと対峙し追い払うことができ、またこのようなチームとして機能させられれば、精度ははるかに上がる。この直列的な犬同士の関係は、訓練で培うというよりは、日頃の生活の中でつくっていくものだろう。
 狼犬の利点はここにもある。オオカミの遺伝子をより濃く持つ狼犬は、通常のイヌに比べはるかに群れの意識が強く、作業をするときの結びつきも強いので、群れのα個体(リーダー)を中心に連携が密にとれる。ベアドッグの群れのαを制御するハンドラーは、オオカミの研究者・ツィーメンの言葉を借りれば、超アルファという位置づけになる。
 
 2011年現在、実践で用いているのは2頭。上写真の魁(KAI・11月現在3歳)と凛(RIN・1歳10ヵ月)。どちらも狼犬だが、特に魁は訓練系のジャーマンシェパードとアラスカ産のオオカミの混血で、警戒心・闘争心・威嚇力・自立心・作業意欲などの点でベアドッグとして最適な気質を備えているように思う。それに対し凛は警戒心が強く、ともすると臆病となって現れるため、追い払いの際には牽制・援護を担わせているが、機敏性・スピードなどの運動能力はオーストラリアンシェパードをも圧倒するほど優れ、実際は単独で4〜5歳のオス若グマと対峙し追い払い切ることもできる。

ヒグマの本能と学習能力に訴えるマーキング効果
 実際の追い払い以上に、この犬が常時私と徘徊しマーキングのほかいろいろなにおいを残すので、全体的にヒグマたちは私とベアドッグのパトロールルートを避けている気配さえある。降里ヒグマが固定化したルート上にベアドッグのマーキングを施しセンサーカメラで確認したところ、ヒグマが忌避してそれまでの固定ルートを放棄するところまではいかないが、警戒は十分引き出せていることが判明した。追い払い行為と日常パトロールのマーキングが、相乗効果を持ちながらセットで機能している可能性も高い。

ベアドッグ同伴のパトロール
 通常、ベアカントリーを歩くときは、ヒグマ側にヒトの接近を感知してもらう事をめざすため、安定したゆるい追い風で歩くのが理想的で安心できる。これには、万が一若グマの意図的接近があった場合などにベアスプレーを用いる想定もある。しかし、十分訓練とヒグマ経験を積んだベアドッグを伴って調査などをおこなう場合、向かい風でこちらからヒグマの存在を先に感知するのが一応の定石だ。常にこちら側がイニシャティブをとってヒグマの行動を制御するよう心がける。
 パトロールは、原則的に朝昼夕と夜の10時の4回、いこいの森から出発する。丸瀬布は昆虫の町として知られ、夏休みともなると深夜から早朝にかけて子供たちが懐中電灯を片手に周辺の街灯などを歩き回るので、暗くなってからのパトロール兼訓練を放棄できない。夜間パトロールは原則的にライト類を点灯せず、リーシュを通じて伝わるベアドッグの反応を感じてゆっくり歩く。が、三日月以下の暗い夜では、訓練要素を放棄しヘッドライトについ手が行ってしまうこともある。犬との信頼関係がまだ不十分なためかも知れない。

 パトロールのルートと順路は、ヒグマの出没状況や性質を見定め随時対応し変える。特に追い払いをおこなう予定がある場合は、常にヒグマの存在する位置を想定し行動するのが重要だ。

夜間対応
 現在の遠軽町および丸瀬布エリアにはヒグマ対策協議会に類するシステムが存在しない。よって、最も厄介な状況、つまり夜間にヒグマが「いこいの森」内に侵入したケースで、ハンターは銃を自宅から持ち出すことすら原則できない。また、合理的・効果的に人里の安全確保をするという方向に鳥獣行政がまったく機能していないため、ヒグマの情報収集から開示・対応の普及まで、本来とるべき方策をほとんどおこなえていないのが現実だ。頼みの綱は観光行政だが、いずれにしても、万が一ファミリーテント脇を徘徊するヒグマが現れた場合、「暗いから」という理由でそれを放置するわけにもいかないだろう。夜間におけるベアドッグによるヒグマの追い払いの前例を知らないが、実地訓練によって日中同様の能力を身につけておきたい。(ヒト側の制御・誘導は、観光行政担当者に任せ得る)

 夜間作業に対応するベアドッグとの呼吸の取り方の訓練は、実地の夜間訓練のほかに簡単な方法がある。日中のパトロールで目を閉じて林道や作業道を進む。リーシュを右手で持ち、左手で途中を軽くつまんで持って、イヌの動きを把握するように練習する。リーシュは渓流釣りの釣り糸かヘラブナ釣りのへら浮きのようなもので、張りすぎても緩すぎてもいけない。この初期の訓練で、ベアドッグには適度なリーシュの張り具合を覚えさせる。

 上写真はどちらも石灰をまいて3日目の足跡の様子。左写真には、わかりづらいが4種類の前掌幅の足跡が写っている。奥が魁、手前が凛。右写真は同日の左写真から100mほど離れた「クマ渡り」(クマがよく横断する場所)だが、ここには親子連れと若い単独個体の足跡が写真上にある。この2枚の写真に、最低でも合計8頭(仔熊2頭含む)の足跡が残されていることになるが、9月も半ば近くになるとその倍の数のヒグマがこの区間で確認される。

 2011年は肝心な時期にリーダー犬である魁が舌を怪我して化膿させ、現場での嗅覚と集中力を欠いた状態になったため、実際にヒグマと対面した場合は魁を頼る予定で、訓練中の凛を急遽実践に投入して嗅ぎ取りとヒグマ感知にあたらせた。凛は一頭だと臆病だが、魁とチームを組ませると作業意欲が抜群で、このエリアでも最も新しい痕跡を比較的正確に嗅ぎ当て追った。このような経験が来年以降、凛のベアドッグとしての成長につながるはずだ。

 魁のリーシュは通常2m前後と長めだが、ヒグマとのやりとりで邪魔にならないよう、6oの細引きを加工して作ったが、現在はさらに細く4oの特殊素材のロープでつくったものを利用している。上述のように、犬の動きや心理を、リーシュを通してできるだけ細かく読みたいので、軽く伸びのない素材が好ましい。

 臭気追跡のほうでは、もちろんヒグマの現物が存在すれば浮遊臭で敏感に反応するが、痕跡でも、とにかく往来するヒグマの数が多いので最も新しい特定のヒグマの跡を正確に追う訓練が必要になる。慣れない犬は、このヒグマの数と混沌としたにおいに混乱し右往左往してしまう。ヒグマの大きさや攻撃力を知った上で動ずることなく冷静に作業をこなすには、やはり気質と地道な訓練が必要だ。

 この作業エリアでは、常に集中力を発揮でき、それは犬が、ここは自分らの仕事の場だと心得ているようにも感じるが、基本的にベアドッグは、ハンドラーの心理と犬の心理が連動するように幼犬の頃から育てる。
 例えば、急な沢を渡るときや雪の急斜面を行くとき、仔犬は本能的に恐がりへっぴり腰になったりする。その時、言葉とともに態度で「大丈夫」ということを示しながら、そこを通り過ぎる。あるいは、こちらが危険を察知したときは、「危ない」という言葉の合図とともに、態度を緊張させる。そういうことを常におこなっていると、何かに出くわしたときに、犬の方からチラリとこちらを見て私の緊張度を量ったりするようになる。逆に、私は犬の反応を常に注意し、犬に緊張が現れたときは、その緊張の原因を把握しながら速やかにこちらの緊張度も上げ、場合によってはベアスプレーを腰から抜いて進む。「カム(来い・戻れ)」「止まれ」「右・左」などのコマンドは、改めて訓練することがあるが、基本は犬とハンドラーの日常の関係づくりだと思う。その関係がしっかりできていれば、コマンドなどは比較的簡単に入るように思う。



犬種と訓練
 ベアドッグとしての犬種を選ぶには、おおむね二つの選択がある。一つは、猟犬ベースの犬をベアドッグに仕立てる方向性。これは、北米のキャリーハント氏、その流れをくむ長野・軽井沢の田中純平氏がカレリア地方の猟犬・カレリアン・ベアドッグ(ベアハウンド)を用い、そして北海道・知床では山中正美氏が猟犬系統のアイヌ犬を用いてトライしている。
 もう一つの選択は、世界でまだベアドッグとしては試されていないが、もともとオオカミやクマの撃退用としてつくられた護羊犬もしくはその犬に近づける方向性だ。護羊犬というのは、ヨーロッパで牧畜が盛んになる過程でクマやオオカミの撃退用として作出・洗練された犬種群だが、その後ヒトはそれらの野生動物を駆逐しながら牧草地を拡大したため必要性が乏しくなり、繁殖・飼育されることは希になった。
 クマ猟に使われる猟犬と護羊犬の気質的な部分は非常に似通っているが、まず違うのはサイズだろう。猟期の雪中での機動性を重視すれば少し小さめのサイズが有利だろうし、非積雪期にヒグマやオオカミに対して最大の威圧性能を発揮するなら大型犬ということになる。どちらの犬も自立心が高く潜在的な攻撃力があり、通常の家庭犬に比べコントロールははるかに難しいが、育て方によってハンドラーとの結びつきを非常に強くすることができ、ヒトとの親和性も確保できる。クマ対策をその犬の仕事と認識させ、クマに対してだけ目の色を変えて対峙する犬に仕上げることができる。決して、すぐに牙を剥くチンピラ犬ではないし、ふだんはむしろ愛嬌たっぷりにヘラヘラしているほうがいいのだが、これは、その犬が実力を伴って本当に自信を持っていないと、なかなかそうはならないだろう。

 私はカレリアンベアドッグ、アイヌ犬より大型の狼犬を選択した。訓練系のジャーマンシェパードとアラスカ産のオオカミの混血で、猟犬ベースではなく、上述の護羊犬・キャトルドッグの資質を有している。
 警察犬・軍用犬・麻薬探知犬・災害救助犬など高度な作業を任されているジャーマンシェパードは、もともと護羊犬から自立心・攻撃性・威嚇力・警戒心などを削ぎ落とし、いわばヒトへの依存性と従順を与えられた犬(牧羊犬=交通整理)である。ヒトによるコントロール性能(訓練性能)は高いが、ヒグマやオオカミに対する撃退用ガードドッグとしては適さない。現在入手可能な護羊犬にロットワイラーがあるが、北海道の気候、混血の相性の良さなどから、ジャーマンシェパードからの改良を選択した。

      
  
 この選択は、じつは目新しいものではない。すでに作業目的で固定化されFCIにも認定を受けているサーロスウルフドッグ、チェコスロバキアンウルフドッグはシェパードとヨーロッパオオカミの血を受け継ぎ、またロシアで軍用犬として極めて優秀な実績を上げているのが、やはりこのタイプの狼犬だ。犬の歴史というのは、ある意味オオカミから発する能力低下の歴史でもある。走る・嗅ぐ・追う・威嚇するなどの根本的な作業をさせる作業犬では、犬にオオカミの血を入れて能力アップを図る例は世界各地に見られ、その多くが警察犬・軍用犬・ソリ犬などの分野で成功している。恐らく、ヒグマ対策のベアドッグでも、ツボにはまるだろう。

 狼犬を選択する利点は、単純にそのヒート(繁殖期)にもある。通常、イヌのヒートは年に2回。ところが、メス犬が発情する周辺時期は、その犬が使えなくなる以上に、回りのオス犬が注意散漫でほとんど使い物にならなくなる恐れがある。オオカミならびにその血を濃く持つ狼犬は年1回のヒートが普通で、そのヒートタイミングがヒグマの冬眠期にあたる場合が多い。ヒグマが雪深く籠もっている間に、この群れの混乱が起きてくれるのはかなりのアドヴァンテージだ。

 もちろん、この手の犬は躾と訓練が重要で、生まれたときからヒトに対しての社会性を育みつつ、クマに物怖じしないベアドッグとしてしっかり育てなければ、むしろクマとの悶着のタネにしかならない。また、服従訓練を一定レベルで入れ、いざという時に近隣のヒグマに向かう意欲を抑えることを学ばせねばならない。実際、このエリアでも、位置的な関係からクマを追い立てる方向が見当たらず「そっとしておく」という選択を余儀なくされる場合がある。ヒグマと対峙し、立ち回ってしっかり追い払いまでできるように訓練された犬に、道脇の薮に潜むヒグマを「そっとしておく」ことのほうが難しいことだが、その冷静さと自制力がないとベアドッグは務まらないだろう。
(さらに興味がある方は→『ジャーマンシェパードにオオカミを入れる理由』pdf)
(→ベアドッグ・アルバム(作成中))


ヒグマセンサーとしてのベアドッグ
      
写真1
アスファルト路面から潜み場所への帰りの経路だが、石灰が草についていることで、その新旧もわかりやすい。ヒグマの一部は侵入経路と退散経路を意図的に違えている個体も多い。侵入経路が比較的一定でも、近隣の薮や山に退散する経路は意外とバラバラだ。
    写真2
写真1の地点からどういうルートでどのあたりまで退避しているかは、また別の推察から調査し突き止めることになる。手法としては、ヒグマの通ったルートを追うのではなく、ある程度予測して、そのルートと交差しながら縫うように調査する。いわゆる「追いの猟」の手法と似ている。
写真3
ある若グマは、標高で200mほど裏山の斜面にはっきりとした羆道を残していたが、親子連れなどの場合、デントコーン農地のエサ場からほとんど移動することなく、近隣のちょっとした薮に潜むことも多い。日中のヒグマの居場所をある程度特定することで、やはり対策の方向はヒトに対してもクマに対しても変わってくる。
写真4
この平瀬が2組の親子連れをはじめ何頭かの若グマが武利川を渡るポイントだった。しかし、9月上旬の大増水で河川の形が変わり、横断ポイントは上下2箇所に分散したようだ。
写真5
場合によってはオフリーシュで探らせるが、「呼び」によってしっかり戻る訓練が必要だ。カモ猟で仕留めた獲物を拾ってくる性能に特化したリトリーバー系の犬に比べると、「呼び」の訓練ははるかに難しい。
写真6
新しいヒグマの追跡をしていて魁がこの行動をとった場合は、先を行くクマが登ったか、爪痕を残したか、背こすりをしたあとだ。ヒグマの毛が採取できることもたびたび。その樹には必ず魁の派手なマーキングが入る。
 
写真7
8〜9月。シカ用の電気柵しか張っていないデントコーン農地脇は、どこからクマが飛び出るかわからない危険な場所。犬と私の緊張度も比較的高い。ベアドッグには、電気柵の電撃も学習させ、なおかつ淡々とその横をヒグマに集中して歩けるようにならなければならない。
写真8
クマの頻出のための閉鎖町道などでは、場合によってオフリーシュにすることもある。リーシュが物理的ヒモなら、オフリーシュでは心理的なヒモでベアドッグとハンドラーはしっかりつながれていなければならない。写真は、私が前掌幅のサンプリングをおこなっている時の風景。
写真9(おまけ)
小さなクマだと、ほとんど遜色のないような大きな犬の足跡。ノースは、足跡の幅で8pほどもある。以前の私なら、クマの足跡があることより、この犬の足跡に驚き警戒するだろう。

付録:作業以外の暮らしは?
    
初対面でもヒトは好きらしい。雄ジカは手頃な遊び相手らしい。仔熊はどうやらお友達らしい。
 (写真中)先述、クマを追って制御不能となった少し前の出来事。シカを斜面中腹に追い詰め遊んでいたのはいいが、30分後、いよいよ焦れたシカに刺されて魁は急斜面を転げ落ちていった。自業自得だが、得た有意義のほうが大きかったようだ。自我の発現が絡んでいると思われるが、狼犬の1歳過ぎに、従来の好奇心に加え自立心が芽生え、いろいろで自分の力を試そうという行動が見られる場合があるようだ。私自身は、その好奇心とトライをがんじがらめに制御することなく、ある程度それを経験させつつ、命に関わるような不測の事態のバックアップをおこなうよう努めた。
 このものすごく古いようで新しいイヌの用い方は一種のパイオニアワークで、宿命的なあれこれもある。ある程度想定内ではあったが、ベアドッグの手本となるスペシャリストの先輩犬がどうしても得られなかったため、山でのいろいろな危険やヒグマへの警戒心など、ひとつひとつ実地で教えるしかなかった。おまけに、何をどう訓練していいかさえわからなかった。生後1年半になるまでは、大型のオス成獣に突っかかり危うく一撃をもらいそうになったり、私のほうがベアスプレーでやっと追い返したり、油断してシカの角に腿を深く刺されたり、いろいろ不測の事態も生じたが、とにもかくにも一切合切をかいくぐってここまで来た。生後1年で大型の雄ジカを斜面中腹に追い詰め小半時足止めしたり、群れを追って私の待つ場所へ追い出してみたりは猟犬ならば優秀そのものだが、ベアドッグの卵には遊びの延長でしかなかい。しかし、この遊びの中で実践のいろいろを学習していくことも確かである。離乳食のころからヒグマの骨をかじらせ肉を刻んでフードに混ぜた。生後6ヵ月のときに山でヒグマと対面させたが、遊び相手だと半ば勘違いして追いかけていったのには正直驚いた。その後、とにかくヒグマへの意識を高く持たせる努力をし、朝起きたらヒグマの毛皮に挨拶をさせつつ、散歩途中でもチャンスがあればヒグマを追わせた。
 ただ、現在の調査エリアで活動している限り、相手にするのが若グマばかりで、最近、ちょっとクマを舐めているようなところが見受けられる。また山奥へ大型成獣を探して訓練をしなくてはならないのか・・・・

ちょっと休憩:Try&Errorの一幕
 生後6ヵ月から山塊の調査でヒグマに対面させてきた魁(KAI)だが、ヒグマにはたかれることもなく10ヵ月を向かえようとしていた秋、「いこいの森」南側に実践訓練にもってこいの若グマが出ていた。警戒心がまだ乏しく日中に観光客と遭遇したりしていたが、前掌幅が12pほどで、もし魁が失敗しても私が何とかできる公算があった。当時、仔犬の初練習台には少し大きすぎる前掌幅16pのオスが近隣に出ていたが、そのクマの出没確認ができなくなったのを見計らって訓練に臨んだ。ある日、ほぼ予定通りの薮でヒグマを発見した。12pがちょくちょくうろつく薮だ。私は魁とルートを外れ林に入り、笹藪に隠れたターゲットに向けて魁を放した。ところが、そのクマが立ち上がって驚いた。移動したはずの16pがここに居たのだ。しばらくのやりとりのあと、魁はこちらに逃げてきた。そしてそのあとを追うヒグマを私は見た。咄嗟にカラマツの樹に回り込み、カウンターアソールトを腰から抜いた。ヒグマは興奮した形相で止まってウロウロしたが、スプレーの射程に入りそうで入らない。魁は私の横で低い唸り声を発していた。唯一の幸運は風向きだった。ある瞬間、ヒグマがふわりと2歩ほど前へ出たのを見逃さず、「動くな!!」と怒鳴りスプレーのボタンを押した。怒鳴ったのは魁に対してだったが、クマに対してのようでもあった。



ベアドッグと追い払い
(画像クリックで拡大図)  左図は報告書の一部で2011年8月27日〜9月10日、2012年8月におこなった「追い払い」の月日・時刻と地点そしてヒグマの逃走方向を示す。
 ヒグマの存在の想定、パトロール順路、イヌのクマに対する性格とコントロール。これが揃っていれば、ヒグマを逃がす方向も含め精度の高い「追い払い」が可能。
 2011年は9月上旬に河川の増水でヒグマの動きが阻害され動向が乱れたため、急遽バッファスペースを拡大し、夜間の泊まり込み(クマの張り込み)の追い払いをおこなった。
 2012年は8月11日、マークしていた親子連れの追い払いに始まったが、その後、この親子は移動ルートを目論見通り変えたため、例え道脇であっても薮に潜んで動かない場合には容認(右三つのピンク)。

 左写真は2011年9/6の追い払い最中の若グマ(11i03)だが、私のミスで斜面上方30mほどの距離から若グマ特有の「中途半端なbluff charge(突進)」を開始され、この不得手な状況をクルマから飛び降りた凛が咄嗟に助けてくれた場面もあった。斜面上方の薮で二頭の動物が唸り合っていたが、そのうち凛が妙にさっぱりした顔で戻って来た。そして若グマは、ときどき不平の声を短く山に響かせながら、次第に稜線筋へ遠ざかった。私は不思議と安心していて、凛の運動能力と用心深さを信頼できていた。

 中山間地域での追い払いのほとんどが斜面上方への追い上げなので、いったん逃げたヒグマが写真のように道と平行に左右に走りだすと厄介になる場合がある。追い払い個体がこのような動きを示す場合、残してきたもの(シカ死骸や仔熊など)によほど執着しているか、私に対して腹を立て始めているか、そのどちらかの可能性が高い。、私はこれがオスとわかりつつ、つい咄嗟に背後の仔熊を探したが、犬が反応せず、私もその気配は感知できなかった。遠ざかる声を聞きながら探ったところ、どうやら後者であることがわかった。顔にハート型の模様を持つこの可愛げな個体。残念ながら、気質的に捕殺判断の可能性を含みつつ、現在なおマークを解かず保留中だが、ここ数年のデータからすると、この個体が来年以降、このエリアに降りて来る可能性は低い。

 なお、このように写真を撮るのは必ずしも酔狂ではない。近々導入されるデジタルセンサーカメラの画像と照合することもでき、また、もし仮にこの個体がさらに悪い性質を現し捕獲判断をしたときには、駆除ハンターが前掌幅データとともに手にする「ウォンテッド写真」となる。
 自分でもあきれるような気持ちになることがあるが、これらのややこしい行為は、危険性のある若グマをできるだけ早い段階で感知し、ヒトにとって好ましい学習をさせるため。なおかつこれ以上無意味なヒグマという野生動物の捕獲をしないための、ひとかけらの努力である。
 大型オス成獣、親子連れ、シカ死骸についたヒグマ、交尾期のオス成獣など、追い払い作業はそれぞれ難易度・危険度が上がると思われるが、現在趣旨としておこなっている若グマへのヒトと人里に対する忌避教育に関しては、少しずつ効果が現れていると思う。


補足)追い払い2種と効果
 ベアドッグによる追い払いには、上述のように問題のヒグマがいる場所を想定し、こちらから出向いていって意図したバッタリ遭遇的な状況から追い払うケースと、ヒグマの移動ルート上で待ち構えて、そこに現れた個体を追い返すケースと、概ね二つのパターンがある。(もちろん、調査・パトロールで偶然遇っても、相手の態度によっては、同様に追い払うこともある) どちらも効果は現れるが、特に後者は効果が大きいように感じられる。
 左は、複数の目撃が相次ぎマークしていた若グマだ。数日前の初対面の反応が芳しくなかったため、移動ルートを幾つか突き止め、ガスがかかったのを機にベアドッグと待ち伏せた。読み通り姿を現したのはいいが、出没ルートを30mほど読み損ね、効果的な追い払いに失敗した例だ。若グマはガードロープの手前で立ち上がって私らを確認すると、くるりと反転してそのまま斜面を降りていった。尻を見せ、薮を蹴散らかして一目散に逃げるくらいでないと追い払い効果は十分ではないというのが一応私の考えだが、この若グマの場合、この一件のあと雲隠れしたように目撃情報がなくなり、私の追い払いはもちろん、調査にも引っかからなくなった。推測で3歳のオス熊だが、これは警戒心の学習能力がかなり高い個体だ。これとは逆に、何度追い払ってもほとぼりが冷める頃、道端のアリを食べに降りる若グマなどもある。
 ヒグマの個性のバラツキが激しいため、「追い払いの効果」といってもやはり一口には言えない。写真の若グマも、じつは当初、相当物覚えが悪そうに見え、私自身は長期にわたる教育を覚悟したが、このクマはその懸念をあっさり裏切った。実際にその個体に対してやってみなくては判らない面があるが、追い払いというのはしっかりやりさえすれば大なり小なり効果は見込める。少なくとも、やりもせず「効果がない」と言えるほど単純ではない。

 これは、上の若グマとの初対面のときの写真だが、道路法面上方まで登って、突然伏せて隠れた(?)ササがありさえすれば伏せればいいっていうもんじゃないだろう。
「おい、こら!何のつもりだ?おまえはバカグマか!」とつい大声を出し、投げつける手頃な石を足元に探したほどだが、この行動で「物覚えが悪そうだ」と私は勝手に思い、長期戦になる腹を括った。
 ベアスプレーと轟音玉で若グマの追い払いをはじめた当初、加減が分からず私の未熟なためもあっただろうが、冬を二度またいで3年目の初夏にようやくまともな警戒心を抱いてくれた若グマもあった。こうなると、追い払いの効果なのかヒグマとしての当たり前の成長なのか判断がつかないが・・・・
 

補足)
 石を投げつける? 探したのは、私の肩が壊れない程度の大きな石。足元にあれば、本当にそれを拾い上げ、力の限り投げつけたかも知れない。もちろん、一般の方は絶対にそんなことをしてはいけない。距離は20mほどだったが、石どころか、こういうケースでも、静かに距離をとるのが鉄則だ。私は信頼できるベアドッグを連れ、なおかつ腰のベルトにはカウンターアソールトを2本ぶら下げ、若グマが斜面上方から突進を開始することを想定しつつ、こういう行為を行っている。
 動物愛護の方の批難はご容赦願いたい。どのみちこの状態では、この若グマには石の代わりに高速の銃弾が撃ち込まれることになる。石が当たって痛い痒いは、こいつにも安い授業料だと思ってもらいたいところだ。





ベアドッグの卵
 9月中旬、機を見て生後4ヵ月のベアドッグの卵をクマパトに同伴させた(写真右)。ヒグマと対峙した経験のないノース(North♂)は魁・凛・私の緊張をよそにフラフラと歩き回ったが、この強獣のにおいくらいは十分に嗅いだだろう。魁は生後6ヵ月で初めて近距離でヒグマに対面させたが、その時は緊張で脱糞した。その後、何度か山のヒグマと関わりながら人里周りの追い払いをできるようになってきたが、ノースはどうか・・・若グマの成長と交錯するが、若グマの無警戒を異常グマだと言うのなら、こいつこそ異常イヌだ。クマパトでこうしてヘラヘラしていられるのも今のうちだ。若グマとともに早く成長しろ。
 High%の狼犬のNorthは、積極的な追い払い用のベアドッグではなく、後方からの威圧要員、兼・私の護衛(?)として働く公算が大きい。気質によっては、必ずしもすべての犬が調査・パトロール・追い払いをすべてこなすベアドッグとなれるわけではないだろう。逆に、交配を考えた場合、生まれた同胎を気質からベアドッグ・グループ、番犬グループ、コンパニオンドッグ(家庭犬)グループの三つに振り分け、それぞれの躾・訓練をおこなって最適化することができる。
 オオカミの血の濃さで、どのような身体的・気質的違いがあるか、それを見るために、魁・凛・ノースではそれぞれのいわゆるオオカミ率を変えてある。今のところ、最もベアドッグとして適したオオカミ率は、30〜90%前後かと思われるが、訓練方法がパーセンテージによって異なるようにも思う。
 また、α気質が強い犬は、自立心・我が強く制御するのが難しいとされ、実際にそういう側面を持つと感じるが、いったんしっかりと関係をつくってしまえば、むしろ作業意欲・好奇心・用心深さなどが強く、他の犬に慕われ、自ずとコントロールする能力を有し、最高で最強の頼れるパートナーとなりうるようにも思う。
 イヌの教育というと、いろいろ専門家のような人がいて、「ベッドやソファーにあげたらいけない」とか「飼い主より先に歩かせたり、ドアを通らせたらいけない」とか「頬を撫でたらいけない」とか、猟犬に関しては「部屋飼いはダメだ」とか。いろいろ聞いたり読んだりはしたが、だいたい、うちではどれも守っていない。世に出回っている犬のしつけノウハウのほとんどは、どうも迷信程度にしか私は思っていない。ただ、「やめろ」と言ったら、あらゆる状況であらゆることをすぐやめるようにしてある。その他、幾つかのコマンド、つまりこちらの意志を伝える合図を言葉や態度で持っていて、それを発したときは速やかに従う。それでいい。

※オオカミ率
 すべてのイヌは、オオカミを家畜化し人為淘汰(品種改良)した結果出来上がっているとされる。したがって、生物学的にはイヌはオオカミの亜種であり、もちろん交配は可能だ。そのとき、何らかのイヌとオオカミを掛け合わせた場合に、オオカミ率50%。その狼犬とオオカミを掛け合わせると75%と計算したものが、オオカミ率だ。ただ、イヌにはサーロスウルフドッグ、チェコスロバキアンウルフドッグなど、いったん出来上がったイヌにオオカミをかけて犬種としてFCI(世界畜犬連合)に正式に認定されているものもあるので、このあたりの率は意外とファジーではある。また、オオカミ率が高いと気質・外観がオオカミに近いということにも、必ずしもならない。

教育
 もともと群れの意識が強い狼犬は、仔犬・若犬の教育もこうして連携しておこなう。こうして首をくわえて地面に押さえつける方法は、オオカミがよく用いる教育方法だ。首に深く噛みついているように見えるが、噛んでいるのではなく、くわえている。この3頭は、ブタでもシカでも大腿骨を与えると、あっと言う間に噛み砕いてまるでセンベイのように食べてしまう。本気で噛んだら、こうしてじたばたもしていられないだろう。ノースが仔犬の頃はメスの凛が教育係だったが、ノースの身体的成長が速く、生後半年でかなり大きいので、教育の主体は魁に変わってきた。経験が浅いノースは、何をどの程度までやってもいいか、まだわかっていない。それで、先輩犬の魁・凛そして私によって教育が必要になる。まあ、この点、若グマと同様だ。

 そばに基準がないとイヌの大きさがわかりづらいが、ときどき「リンコロ」とか呼ばれている一番小さなメスの凛でも体高が60pちょっとなので、シベリアンハスキーの大きなオスより少し大柄なサイズ。ちょうどオスのジャーマンシェパードくらいだ。左写真では、その凛が柴犬くらいに見えるので、ノースの大きさもだいたいわかると思う。身体もさることながら、頭骨の長さが倍近くあるかも知れない。ちなみにノースはまだしばらく成長する。
 身体が大きいのは別にどうでもいいが、ノースの場合、気質のほうが使役犬としては扱いづらい。特に優秀なベアドッグとしては警戒心がありすぎてちょっと難しいかなと・・・・たぶん。

 現在、羆塾では限りなく100%近い個体から、50%以下の個体まで、あえてオオカミ率やベース犬種を違えて飼育し、観察をしている。ベアドッグとしてはおおむね40〜90%のF2以降の個体が適していると思われるが、オオカミ率によっても一定の気質の差異が生じるため、最適なしつけや訓練の方法があるとわかってきた。扱いやすいベアドッグのオオカミ率は60%前後か?・・・いまだ不確定だが・・・



 対策その6:オオカミの尿


 ヒグマに対する忌避剤というのは現在まで見つかっていない。ところがひとつ、検証抜きに無視できない物質がある。それが「オオカミの尿と糞」である。北米・ヨーロッパでは、ヒグマを避けるために、ハンターが靴にオオカミの尿や糞をつけて猟に入ると聞いたことがあるが、その信憑性について、必ずしも否定できないのだ。つまり、北海道には遺伝的・歴史的に3系統の別地域からのヒグマがあるとされるが、どの地域からの移住であっても、オオカミとヒグマの生息域がクロスしている。この二つの野生動物は食物を競合し、あるいは子育ての際にもオオカミはヒグマにとって脅威だっただろう。そのような事実からすると、ヒグマの遺伝子には自然淘汰(進化)の過程でオオカミに対する忌避が深く刻まれている可能性が濃厚なのだ。もし仮にそうだとすれば、嗅覚の動物であるヒグマは、オオカミのハウリング(音)よりも、マーキングに対して敏感に忌避を示すだろう。
 ヨーロッパや北米のハンターは靴にオオカミの尿や糞をつけてヒグマから身を守るという話を聞いたことがあるが、それが単なるまじないの類でなければ、これらの方策も決してバカにできないように思われる。
 北海道からはオオカミはすでに絶滅してしまったので、こればかりは実際にテストして効果を見ていかなければ何とも言えない。オオカミの尿・糞がヒグマに対して本能的な(遺伝子的な)忌避剤として働く可能性は十分にある。なお、オーストラリアではディンゴの尿を人工的に作り、それを野生動物対策に用いて効果を上げている。

 「いこいの森」には道道と武利川が縦断して、電気柵で囲うといっても容易いことではない。武利川への河川用電気柵の横断は管理者から許可が下りなかった。どうしても弱点となる部分が生じるが、そこをカバーするためにベアドッグ(狼犬)に加え、オオカミの尿を調達し要所に採用した。この方策は、バッファスペース、電気柵、ベアドッグのパトロールなどの補助的なものだが、ペットボトルに入れたオオカミの尿の原液をスズメバチトラップと同じ方法で要所要所に設置。この尿は本州のある理解者がここのヒグマ対策のためにオオカミの排泄のたびに尿をこまめにスポイトで吸い取って集めてくれたものだ(写真左)。「糞もありますよ」と提案を受けているが、まずは尿で勝負。
 2011年には市販化されている野生動物対策用のオオカミの尿「ウルフピー」(商標)を観光課で揃え、十数カ所に設置した(写真右)。狼犬はこのオオカミの尿によく反応するが、忌避と言うよりは同族への懐かしさを嗅いでいるような趣である。
 オオカミの尿はシカ・イノシシ・ツキノワグマには効果的だといわれるが、ヒグマに対してどの程度効果を発揮するのかは、現段階では明言できない。とはいえ、2010年・11年と2年間、電気柵の弱点をカバーしてくれている観があり、効果の感触は、まあ悪くない。この設置エリアに近づいた親子連れが80mの距離で完全にUターンしている例が見つかったが、ヒグマがこのようにUターンするのは、何かを感知しそれを強く忌避したからだと、経験からは思われる。場所によって、ついつい無計画に狼犬の糞を置いたりもしている。
 検証は必要だが、ヒグマは糞を嗅ぐことによりその内容物を嗅ぎ分けると私は考えている。それが正しいとすれば、ベアドッグにヒグマの肉を食べさせたあとの糞は、もしかしたら特別価値のある糞かも知れない。

イヌ誕生の秘密
 狼犬にオオカミの尿とは奇遇か。いや、じつは狼犬を選択したのは、必ずしもヒグマに対する性能的なことからだけではない。現代ヒトと暮らすすべての犬はオオカミ(正確には亜種)だが、野生のオオカミがヒトに餌付けされイヌとなったその瞬間、その動物はヒトにとってどういう意味を持っていたか。それが他の野生動物の「追い払い」「威圧」だった可能性が高い。当初、ヒトが遠ざけるべき動物は草食動物だったが、その後、牧畜をおこなうヨーロッパでヒグマとオオカミを撃退するための交配が行われ護羊犬は誕生した。北海道から絶滅したエゾオオカミの再導入は、個人的な趣味・好みのレベルで興味はあるが、恐らく、シカの生息数にオオカミが左右されることはあっても、オオカミがシカの生息数をコントロールすることはないだろう。ただ、オオカミという生きものが、ヒグマ同様ヒトの心に深く作用する動物だということは確かだ。アラスカでオオカミとヒグマの両方に関わり活動してきたが、圧倒的な存在感を示すのがヒグマ。オオカミは少し親近感を持てる。この動物が人類史上最古の家畜となり、また、「人類の友」と呼ばれるほど顕著なペットとなってきたのも頷ける。


余談)
 ヒグマ対策・啓蒙を担うというのは、要するにヒトとヒグマの間に割り込んで立ち回ることを意味する。そのストレスは尋常でなく、立ち回るどころか、ただその位置に立っているのさえ大変なときもある。だから、イヌ一頭飼うにしても、いろいろな意味や価値や期待を込めて、少しでも面白くヒグマとヒトの間に立っていたいと、そんなふうに思う。どうせやるなら、好奇心をしっかりくすぐってくれるほうがいいに決まっている。


・・・だってさ(凛)・・・だそうです(魁)



コラム:ベアドッグの本質は?
 ヒグマに対するパトロールの際の超高感度センサーとなり、無警戒な個体に遭遇した際は「追い払い」の主力に据えられるベアドッグだが、「ベアドッグによる追い払い」の真骨頂は、ヒグマに対して野生動物レベルの繊細さで如実に強い警戒心を与えうるところだろう。
 ある若グマを一度ベアドッグを用いて追い払うとする。斜面上方まで追い唸り合うこともあれば、小型のクマなら樹上に追い詰めて若グマがブルブル震えるまで威嚇することもある。いったんそれを経験した若グマは、ベアドッグをひどく警戒するようになり、多くの場合、用心深く避けて活動するようになる。
 2013年秋の入口。武利集落で1頭の若グマが日中に徘徊する事例が発生した。私は、この個体の出没を簡単な作業で即座に止める自信があった。行動パタンや前掌幅などから個体特定を試みた結果、前年に親子ともども魁によって追い払いを受け、山に逃亡する経験を持った若グマだと推定できたからだ。おまけに、この若グマとその同胎が、今年どこかで軽率な行動をとるだろうと昨年から予測していたため、シミュレーションも万全だった。このケースでは、魁と凛の2頭を使って力で対するのではなく、魁1頭で正確にいろいろをやるべきと判断した。
 手法は簡単。この個体の後をつけ回し、休憩場所や移動ルートのあちこちを魁と私で荒らし回ればいいだけ。このあまりに単純な方法で、この若グマはあっさり集落徘徊をやめ、以後集落に侵入することはなかった。ただし、単純とはいえ、視界の悪い薮の中をぐいぐい進むのも、ベアドッグなしではなかなかできかねることと思う。

 このことから、ベアドッグの明らかな効果は以下の四つとなる。
  1.ヒグマのパトロール・調査をおこなう際の高精度なセンサー。
  2.好ましくない場所に居るヒグマを追い払い、そこから非致死的に排除できる。
  3.ベアドッグと私に警戒心を持ったヒグマが、人里などヒトの活動する場所を警戒・忌避するようになる。
  4.万が一、ベアドッグを忌避学習した若グマが集落徘徊などを犯したとき、確実・安全かつ速やかに出没を消せる。

 これだけの利点を持ったベアドッグ、ヒグマの専門家として採用しない手はない。

検証:魁のマーキングに対するヒグマの反応
 2011年、ヒグマの降里常習ルート上に魁のマーキングを施す実験をおこなった。テスト相手のヒグマは、(推定)5歳前後のオス。このルートを何度も使い固定化し、トレイルカメラにも慣らして、安心して往き来している状態を確認してからのテストとした。

 じつは、このポイントにはクマ、シカ、キツネ、タヌキ、モモンガに加え集落の放し飼いの中型犬がときどき姿を現す。が、このオス若グマはここへの降里個体では最も優位な個体と思われ、ほかのヒグマに対しても、その犬に対しても、まったく警戒を示さない。
 では、はたして狼犬でありベアドッグでもある魁のマーキングはこの個体に警戒を与えることができているだろうか? できているとすれば、どれくらいの強さで?  



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