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 対策その7:石灰まき

 「ヒグマ出没」これはちょっと慣れた人ならすぐわかる。「数頭出没しているようだ」あるいは「大きいのと小さいのと親子連れが出ている」という程度も、通常のハンターならわかるだろう。ところが、それでは実際の「追い払い」など積極的な対応をおこなう場合、不十分で危険な場合もある。そのエリアに出ているヒグマの数・年齢・性別そして移動ルートや性格・移動時間帯まで、可能な限り相手の性質・行動パターンを知りたい。そこで、最も簡単で比較的安全な方法が石灰まきだ。これは、羆道(くまみち=ヒグマがよく通るルート)近辺にまいても一定の情報は得られるが、泥地などでは足跡の沈み込みによって誤差が生じ、草地等では正確な計測が困難ので、可能な限り安定した平坦な地面にまくと、さらに多くの情報をもたらしてくれる。特にアスファルト路面についた石灰の足跡は、前掌幅を安定的かつ正確に求めやすく、個体の同定・識別に結びつき、出没個体数をかなり正確に推定する材料ともなる。
※ここでいっている前掌幅とは、正確には「前掌の跡の幅」で、最大値をさしている。捕獲ヒグマを眠らせてノギスで計る前掌幅とは若干異なる。
 どうやって石灰をまくポイントを絞り込むかは、調査と分析力、そして経験と勘がものを言う。ヒグマのルートはあちこちにあるが、多くのルートが交差し、あるいは集中している区間がある。それを、「クマの銀座通り」とか「クマ渡り」などと呼んでいるが、それを特定し、効果的にすべてのヒグマが石灰を踏むようにまくわけだ。ヒグマのルートはアトランダムのように見えて、特に降里の際は特定のルートを選んで里に降りる。恐らく、警戒心が働いているためだろう。それに対して、山に帰るときは比較的ルートを違えることも多い。降里個体数を知るために狙うのは、山から降りてくるルート上のどこかということになる。慣れてくると、人里から山の斜面をみて「ああ、あそこだな」と勘が働くようにもなる。ヒグマのルート・羆道は、それがそこにできる理由がちゃんと山側か里側、あるいは両方に隠されている場合がほとんどなのだ。
 手順は簡単で、雨がしばらく降らないのを見量り、事前に調査して特定しておいたヒグマの移動ルート・横断ルートに石灰をざっとまく。それを、翌日からチェックし、コインを置いて足跡と一緒にデジタルカメラで写し込む。そのデジタル画像をPC上で分析し、ときにはコントラストをあげたりして足跡を浮き上がらせ、前掌幅を求める。
 パトロールを一日数度おこなうことによって、ヒグマの移動時間帯も判り、実際にこの方法で、人さえいなければ日中も堂々と親子連れがアスファルトの道を歩いていることがわかった例もある。およそどの時間帯に出てきていつ帰るのか、あるいはデントコーンの中に居座ったままなのかも判る。

 

 さて、左写真が絞ったポイントに石灰をまいて3日目の状況だ。写真ではよく判らないが、この一枚の中に3本のヒグマのルートがあり、4種類の前掌幅、つまり最低でも4頭の足跡が残されている。もちろん、石灰をまいていなければ、この写真は単なるアスファルト路面に佇む1頭の犬の写真にしかならない。石灰をまくことで、こうしてヒグマの存在が浮き出てくる。期間は短いながら毎日10頭ほどのヒグマが行き交う道ゆえ、さすがのベアドッグも困惑気味だ。ただ、2011年は2週間で2500以上の白い足跡を見てきたが、脳が慣れて勘が働くようになるのか、同じように見えるヒグマの足跡でも形状の違いが分かってくる。「あれ、この足跡はあいつだろう」と思いつつ計測するとピタリとサイズが一致したりする。
 ただし、しつこいようだが、単に浮き出たところで狼狽えてはいけない。通常のパトロール等では、ここはあくまで何の変哲もないアスファルトの道なのだ。つまり、浮きでなくてもこういう状況がある場所には従来からある。そして、最も重要なことは、それにもかかわらず人身事故が起きるどころか、ヒトによってほとんどヒグマの存在が感知されないことだ。
 写真右の足跡の周りのボカシの入ったような跡は、ヒグマの毛についた石灰がアスファルトについた跡。同様に、このクマが道を逸れて薮に入った場合も、石灰が草などにつくのでわかりやすい場合がある。現場で前掌幅をいちいち測ってノートにメモするのでは時間がかかるので、写真のように、高い位置からコインをデジカメで写し込んで、帰宅後の夜間作業としてPC上でピクセル数から計算して前掌幅を求める。
 この写真の場合、写真上の前掌幅が610ピクセル、100円玉が97ピクセル。100円玉の実寸は直径22.6oなので、単純に22.6×610/97=142.124・・・と比の式から求められ、小数点以下を四捨五入して14.2pと足跡の前掌幅を出せる。この方法の誤差は計測誤差も含めて最大でも2o。通常は1oとして考えていいと思う。これを、右足・左脚それぞれ幾つか調べ、誤差が十分小さければ信頼に足るデータと言えることになる。場合によっては、左右の足の大きさが違うケースもあるので、左右の別も記しておくとさらにいい。ヒグマの出没認知に関しては、基本的に地図に落として(GIS)後々ヒグマの動向・移動ルートなどの分析に用いる。
 デジカメの利用は、現場での作業スピードの他に、誤認を防ぐ点もある。足跡をコインと一緒に撮ったら、そこからの風景を広角側で何枚か写しておく。正確なGPS付きのデジカメなら、なおいいだろう。とにかく現場では、スピードと正確さが大事だと思う。
 ヒグマの降里・降農地のピーク時には、石灰をまいて3日もするとあちこちにこの状況が生まれ、どれがいつの足跡か一目で判らなくなってくるが、ベアドッグをセンサーに使えば、最も新しい足跡列を比較的正確に追うことができ、この作業が、私が足跡を見ながら点数をしっかりつけられる、ベアドッグの訓練試験ともなる。
 さて。
 上の142oの前掌幅だと中途半端で性別は何とも言えないが、前年度が希に見る山の実の豊作であったこと、行動パターンなど、幾つかの他の要素を加味することで、およそ推定できる場合もある。写真の個体は、旺盛な好奇心のまだ残る若いオスと、一応推定し私自身は対応している。

 各地域には、どのヒグマも通りやすいルートあるいは横断箇所があるだろう。先述「クマの銀座通り」「クマ渡り」だが、どうしてそこをクマが通るかには、必ず何か理由が隠されている。人家があったり街灯ひとつで移動ルートが変わる場合もあるし、山側の地形をつぶさに観察して歩くと、「なるほど」と納得できる場合もある。クマのルートとなりやすい場所の「理由」を突き止めておくことで、逆に、クマの出没を消す、あるいは移動ルートを遠ざけることが可能となる。
 また逆に、ヒグマと出没環境・条件の相関を詳しく知っていくことで、ある場所に出没した個体の警戒心・危険度など性格的なことを推定できる。
 そのヒグマの怪我や癖で左右均等に歩かない個体があるが、これも起伏・傾斜のある山や草・薮・障害物のある場所よりもアスファルト路面上でははるかにわかりやすく出る。数年前、怪我で歩き方の癖を持つ若グマを3歳〜5歳(推定)まで3年間ほど追跡したことがあるが、好きな食べ物や性格はもちろん、前掌幅の成長の仕方・分散の時期・追い払いの効果の持続性など、かなり多くの情報を得ることができた。前掌幅の成長曲線が判ってくると、仮に13pの前掌幅があって、その数値自体ではなく前掌幅の増加率(変化率)を見ることで性別の推定も可能になる。若グマの性別が早い段階で判れば、そのエリアのヒグマのその後の増加傾向も予測できるわけだ。「来年、順調にいけば3頭の若メスが初めての子を持ち、その行動パターンを変えなければ親子連れでこの農地周辺に出没する」などと、その予測が概ね正しくできることは、このエリアで確かめられつつある。
 「いこいの森」を中心として半径約5qの調査エリアでは前掌幅の最大は20p程度だが、「いこいの森」近辺には前掌幅17p以上のヒグマは出没の例が数年前に一件しかない。様々な方策の成果とも言えるかも知れないが、逆に、現在のこのエリアで前掌幅20pのオス成獣がフラフラしていれば、その徘徊だけでその個体の異常性を私はまず疑い、対策のシフトを一段おこなう。たかが足跡、されど足跡なのだ。

 具体的にすぐ利用できるか否かは別にして、可能な限りヒグマを知るというところから、あらゆるヒグマの防除・コントロールを考えているが、そのスタンスの重要性は、実際にいろいろやってみて、考えていたより重要だと理解するに至った。ヒグマの習性・危険性などについて、従来ハンター間で言われてきたことの誤認も随分多い。誤認から対応すれば必ずほころびが出る。ヒグマ場合、そのほころびは地域のリスクマネジメント上、慢性的な危険性に直結する。私自身は、ヒグマ対策のうち半分ほどは、ヒグマを知るための努力をしているように思う。

安全を願う心と導く身
 
 当初の石灰まき(2010年)から比べると、最近では同じ石灰をまくのでも均一に無駄なく、かつスピーディーにまけるようになった。ヒグマの足跡を踏みながら「最近、フォームがいいね」「石灰まきはスポーツだ」と冗談が飛ぶくらい。特に2011年はヒグマ降農地のピークの9月に入って雨がちだったため、路上の石灰が流されるたびにこうした作業をおこなった。右写真は、デントコーンの刈り取り開始でヒグマの動向が変わったため、雨が上がったのを見計らって夕刻に急遽おこなった石灰まきだ。努力を惜しまずここまで積極的に動いてくれる観光行政がかつて北海道にあっただろうか。一町民として誇りに思う。


むすび
 先年、あるベテランハンターが私のところに来て、「あそこに、二頭でとる」と緊張の面持ちで告げた。私は、すぐそ場所に出向き痕跡調査をおこなったが、どうもハンターの言う数字とは随分違うようだった。そこで、翌日になって、睨んだところに何カ所か石灰をまいたのだが、二日後には7種類の足跡が確認された。ベテランといってもクマ撃ちではないからヒグマの察知能力は低いが、それにしても誤差がありすぎる。通常のハンターがシカ駆除で徘徊し、偶然にヒグマの土の足跡を見つけてもだいたい計測さえしないし、明らかに大きさの異なる足跡を区別して数える程度だろう。出没を教えてくれたハンターが無能なわけでは決してない。ごくごく平均的なハンターだ。ヒグマの単なる出没でいちいち石灰をまいていたら、私の町ではあちこち真っ白になってしまうので要所でいいのだが、知りうる事実はやはり知ってみる習慣をつけたほうがいいと思う。
 一般的には、人里に降りてくるヒグマ全体の調査に用いられる手法ではないが、ヒグマが牛舎や人家周辺に執着し再三出没する場合などには、この「石灰まき」は必須となるだろう。つまり、特にエサが絡んで異常な行動を示す個体には、個体識別が通常より重要になるからだ。ありがちなケースとしては、例えば、牛舎侵入が起こっている近くで、一頭の犯人グマらしき個体を箱罠で捕らえたとする。そこで、個体識別が曖昧だと、似たような個体は全部犯人にされてしまう。これは、デントコーン脇の箱罠で毎年毎年懲りもせず普通に起きている錯誤だが、牛舎の場合、それで一件落着とすることで被害が一気に拡大するケースとなる。
 捕獲一本槍の対策のもと、「クマなら全部殺しとけ!」という意識が北海道には蔓延してきたため、個体識別をする習慣自体がほとんど育ってこなかった。しかし、個体識別なしに、つまり無差別にヒグマを殺して生ずる不合理・リスクも、じつは小さくない。ヒグマに対しては、常日頃からなるべく正確に個体識別をする習慣を持つようにし、ある程度習熟しておく必要がある。その手法として足跡の前掌幅計測があり、「石灰まき」があり、デジタルセンサーカメラがあり、また、調査や追い払い中の写真撮影があり、場合によっては体毛採取があるが、誰でもできる簡単な方法が「石灰まき」だ。
 ただし、この石灰まきから計測までの作業、ヒグマのルート上での作業となるので、常に近隣のヒグマの存在を意識し、最低限のベアカントリー・スキルを実践しながらおこなう必要がある。上右の写真は、夕方にセンサーカメラを設置し、そのあと石灰まきをおこなっている写真だが、この写真を撮ったまさにその時刻、写真の林のむこう50mの距離に設置したばかりのセンサーカメラが反応し1頭のヒグマを捉えていた。もちろん、この事例が特別危険な状況だったとは言えない。我々が大声で騒がしく話ながらカメラ設置の作業を逐一おこなったので、近くまで来ていたヒグマが薮に隠れてじっと我々が居なくなるのを待っていたに過ぎない。この手の行動は、ヒトが気付かないだけで、ヒグマにはよくあることだ。こういう個体は、こちらがきちんとすべきことをしていれば、むしろ安全な個体ということになる。




 
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