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ヒグマの個体識別



 ヒグマの個体識別はときにかなり難しい。見た目で明らかに見分けがつく場合も多いが、特に若い個体ではどこからどう見ても見分けがつかない別個体もある。ということは、あるエリアに活動する10頭前後のヒグマの見分けをきっちりおこなうことは難しいとも言い換えられるし、その頭数の特定が難しいとも、個体の同定が難しいとも言い換えられる。
「04manage_1」で紹介した私の調査や分析・判断は、基本的にどれもヒグマの個体識別を前提におこなわれるものなので、見分けのつきにくい二頭のヒグマをどう見分けるかがひとつのポイントとなる。

 個体識別で最も単純なのは「見た目」、つまりヒグマの大きさや色・斑紋など外観的な特徴などから個体識別をおこなう方法である。その延長に、デジタル一眼レフを用いた写真やトレイルカメラなどの自動撮影写真がある。あるヒグマに特徴的な斑紋や傷があればそのクマに関してはわかりやすいが、そうでない場合、ヒグマのある部分の長さや角度で分析をおこなうことになる。
 人からの伝聞で詳細が不明だが、酪農学園大学で目と耳の位置関係(角度)から性別(あるいは個体識別)をおこなおうというトライがされている話を聞いたことがある。なるほどヒグマのオスメスの外観特性の中でも面白いとこに目をつけたものだと感心するが、例えばトレイルカメラの映像分析でこの方法を使う場合、 問題は二次元画像の解析をおこなう際にその2次元平面がヒグマの顔の基準線に対してどの角度から捉えられているか、つまり、ヒグマの正面がどの角度なのか、あるいはある画像でそこから何度補正を必要とするか、その認定方法とそこから生ずる誤差補正が難しい点だろう。トレイルカメラの画像程度だと、鮮明度が足りず、その補整がなかなか難しいかも知れない。
 比較的前からヒグマの陰毛云々でオスメスの識別をする方法が言われている。そこに注目してヒグマの立ち去る姿を見てみると、確かに正しいような気もしてくるが、その精度に関しては今のところ私にはわからない。後ろ姿なら、私も個体識別を「尾の形状(縦横比・先端形状など)」でトライしたことがある。意外なことに、ヒグマの尾の形状というのはいろいろあるのだ。しかし、その方法も十分吟味せず単に個体識別のひとつの方法程度にしかなっていない。

 じつは、ヒグマの専門家の一部は数多くのヒグマの顔を見る経験を積んだために目が肥えていて、つまり、人間が人間の個体識別を顔を見るだけでおこなえるのと同様、ヒグマの顔を見るだけである程度個体識別ができる能力を獲得している。足跡でも、ライムトラップのような調査を毎年おこなっていると、山で足跡ひとつ見ただけで「あいつだ」とわかることも少なくない。この「目が肥える」という現象は、勘や右脳的な空間把握と同様、膨大な情報から必要な部分を瞬時に抽出して自動的に分析し導く結論のようなもので、集中してあることに取り組んでいると自然に養われる人間の特技のようなものだ。私が「勘が働く」といった場合もこの類の瞬時分析を指していて、いわゆる「ヤマカン」とは別物と捉えておいて欲しい。膨大な資材と経費と労力を用いて三年かかって得られるデータを解析してようやく浮き出てくる事実を、ブラブラとヒグマの生息地を歩いていて勘が瞬時に見抜くことさえある。十分な観察と経験値に裏打ちされた勘は、研究者であればなおさらあまり粗末にすべきではない。

ちょっと休憩:個体識別
 クマでやっても面白くないので、もっと小さなエゾクロテンで見てみよう。

 左図はある年の二ヵ月間ほどで私の自宅周辺で撮られたエゾクロテンの顔写真だが、重複があるかも知れない。さて、何頭いるように見えるだろう?
(画像クリックで拡大)
 私には、瞬間的に4頭に見えるが。

 私にはBとEの見分けが瞬時にはつかないため、「BとEはたぶん同一個体では?」程度の曖昧な表現する一方、「ABCDは別個体である」と比較的明確に表現し、「最低4頭の個体」と認識する。
 一頭一頭名前でもつけて100頭のエゾクロテンを飼育している専門家がいれば、もしかしたらBとEが別個体と明らかにわかるかも知れないし、逆に同一個体とすぐ判断できるかも知れない。デジタル一眼レフによる撮影では、クロテンの毛の一本一本まで解像するので、撮影された等倍写真を細かく分析していくとほとんどの場合個体の識別・同定が可能だ。それをこの5枚の写真で今おこなったところ、BとEは同一個体であるとほぼ断定された。私はクロテンの専門家ではないが、自宅周辺にクロテンが多く興味深く見てきたため、まあまあ私にも「クロテン眼」ができている証拠かも知れない。

 ちなみに、この5枚を撮った際のエゾクロテンへの働きかけからの反応・態度で、例の警戒心と攻撃性に関するデータも幾ばくか得られている。問題グマならぬ問題クロテンはB(=E)。そもそも食べ物などひとつもない私のログキャビンにあがり込んでいるし、この写真を撮った直後、高さ5mのリッジ(棟)から私の頭めがけて飛び降り一撃を食らわした。予想外の攻撃に思わず防御に回ったが、ヒトに対してこういう態度のエゾクロテンはかなり異常だ。  

 さて、ここでひとつ命題が生ずる。この画像判断の結果を「科学的」と言っていいかどうか? 
 私はもちろん十分科学的な分析であると認識している。これが非科学的なら、久々に帰った実家で母親に会っても、科学的には本当の母親かどうかはわからないとなるし、誰もいちいち母親に会うたびに「遺伝子を調べさせてください」などとは言わないだろう。少なくとも現場の対策においては、この科学レベルで対応すべきなのだ。
 遺伝子検査というと何かとても科学的でハイテク感があり100%正しいように思うかも知れないが、調べた2個体の遺伝子の染色体配列が同じでも、じつは100%同じ個体であるとは断定できない。ただ、一定以上の確率で100%に近いとは言えるため、断定的表現として科学あるいは司法裁判の上でも採用されているに過ぎない。

 今デスクにあるカップにはネスカフェ・ゴールドブレンド「コク深め」がグラニュー糖飽和水溶液に近い状態で入れてある。ネスカフェといえば「違いがわかる男のゴールドブレンド」だったが、AとBの違いを識別するというのが、乳幼児に初めて発現する知的な能力だと聞いたことがある。その人間の能力をもっと純然とのびのびと育てるふうであっていいのではないかと感じることが多々ある。そして、データの収集と分析ではなく、もっと演繹的に右脳を使って科学する力を生物学者はもっと逞しゅうしていいのではないかと、そんなことを感じる。勘が働き目が肥えた、違いがわかるクマ研究者が本当に必要とされていると思う。



さて、本題に入っていかねばならない。

前掌幅と体高表現
 ヒグマの大きさというと、よく「体長」が言われるが、頭胴長なのか撃ち殺したヒグマの最大の長さなのか、ヒトによってどの部分を言っているのかが異なるため曖昧だ。「足跡の大きさ」もあるハンターは後ろ足の跡を指して「40pあった」というし、私などはだいたい前掌幅で表現する。体重の表現は、ヒグマの場合食い溜めで毎日変わる数字であることに加え、遠隔測定が不可能なため個体識別・同定に使うことは現実的にできない。私自身は、デジイチの撮影で正面から撮影したヒグマの眼球距離で個体識別をトライしたことがあるが、前掌幅レベルで個体差が現れるものの、その採取にかかる労力が大きすぎるために継続的な採用を断念した。マークした数頭のヒグマの個体識別ならいいが、20頭30頭と識別を必要とする個体がある場合に今後眼球距離を使うことはないだろう。

 ヒグマのサイズの表現では、足跡なら「前掌幅」、体格ならば「体高」が最も合理的だと私は現在結論している。体高というのは、ヒグマが四つ足で立ったときの前足付近から肩のコブの先端までの長さのことだ。コブ最上部から架空の垂線を降ろした地面までの距離、でもいい。犬の大きさの表現でも全長や体重が言われることが多いが、ブリーダーなどの玄人は体高表現を用いる。一般の飼い主が自分の犬は大きいと言いたいがために「うちのラブは60s」とか言っても、私らは「ものすごい肥満犬ですね」と解釈するだけで「大きな犬」とは認識しない。つまり、体高は骨格の大きさであり、体重は皮下脂肪を含めた状態の表現として使う。
 例えば、2本足で立ちあがったときの背丈とか座ったときの座高とかでは、そもそもヒグマがその体勢をとるのはかなり特殊な状況でしかないため、ヒグマの大きさの表現やエリア全体での個体識別には不適である。基準となる計測部位には汎用性が不可欠だが、ヒグマの最も普通の体勢とは、四つ足で立って歩いているか立ち止まっているか、その二つであることをまずふまえておきたい。
 体高をヒグマの大きさの表現基準に使う利点は、普通に立っているときや歩いているときの変動が小さく、何より全方位から測定が可能であることだ。上述した「眼球距離」はヒグマの気を引きこちらに正面を向かせなければ計測できないし、頭胴長では真横からでなくては正確に測れない。四つ足で立ったり歩いたりしているクマのある長さを全方位から計測しようと思えば垂線に沿ったどこかでなければならず、なおかつ視認できなければならない。結論は体高以外にないだろう。
 

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