北海道では、農地にヒグマの被害が発生したとき、「箱罠」によってそのクマの捕獲がめざされることが多い。銃器を携え 周辺にヒグマを追って仕留めることに比べれば技術的な困難もなく労力も小さいこの方法は、現在ではヒグマ出没対策の常套手段とされ、北海道各地で用いられている。その影には、駆除活動を担う猟友会ハンターの高齢化・空洞化・減少という、捕殺駆除能力の低下が横たわっているようだ。
箱罠は、夜間出没型のヒグマを捕獲できるメリットが大きいが、一方で、箱罠依存の悪影響・リスクがいくつか疑われる。
1.人里へのヒグマ誘引と「冤罪グマ」
箱罠にはシカ肉・ハチミツ・サケなど誘引力の高いエサが仕込まれるが、まず第一に、そのエサがかなり広範囲の山から被害に関係のないヒグマを引き寄せてしまうという点。例えば、腐ったシカ肉によって誘引されるヒグマの距離は、5〜6qを視野に入れる必要がある。そもそも、強誘因物で人里内にヒグマを引き寄せ、場合によっては居付かせること自体、人里のリスクマネジメントとは相反する方向性だろう。
箱罠は「追い払い」「電気柵」という教育手法と相反する手法でもある。一方でヒグマを人里から追い出し、降りてこないようにいろいろ工夫しているにもかかわらず、他方でヒグマの大好物で強力に誘引し人里に導いていることになる。また、教育によってせっかく電気柵を学習し近づかなくなった個体、あるいはヒトに接近しなくなった個体を、わざわざ呼び寄せ無差別に殺してしまうことにもなりかねない。そしてさらに、箱罠はヒグマに対してのヒトと人里への忌避をほとんど学習させることができず、場合によっては「罠さえ注意すれば大丈夫」と、舐めてかかるクマも出てくる。
ある箱罠を調べた結果、一頭の小さなヒグマが罠にかかるまでに、二頭(もしくは三頭)の別のヒグマがその罠の場所にやって来て箱罠周辺を歩き回ったあ
と、そのままエサに手をつけず立ち去った事例があるが、捕獲された小さなクマは、もともとその農地被害に関連のない、いわゆる「冤罪グマ」であったことが前掌幅から明らかだった。この手の観察は、一部の熱心なハンターによってもおこなわれているが、デジタルセンサーカメラを使えば、比較的安全におこなうことができる。
端的に言えば、ヒグマの捕獲頭数にさして重要な意味はない。本当に獲るべきクマを確実に取り除いているかどうかが問題だ。北海道でありがちな、クマはポツポツ獲れているが被害が一向に減らないというケースは、個体識別をないがしろにした捕獲頭数主義によって起きている面が大きい。ヒグマの捕獲数と被害の解消度・人里の安全度は、どちらもまったく比例しない。むしろ反比例の関係にある。
近隣の山が豊かなヒグマの生息地である場合、毎年箱罠に依存した農地周辺では、箱罠によって引き寄せられた、それまで人里に無関係だった特に若いクマが
農作物やゴミを食べるきっかけともなってしまうため、下記の「trap-shy」を大なり小なり伴いながら、数年のうちに徐々に降里ヒグマの数が増え、場合によっては数頭のヒグマが同時に一枚の農地に降りるようになったりする。これは「ハネモノ」を放置しておく場合と似ている。一度農作物を食べあさったヒグマはそ
のエサに常習性を示すことが多いので、一定レベルで捕獲数が維持されつつ、エリア全体の農地被害が増大する可能性がある。
ヒグマ捕獲の評価は、原則的に捕獲ヒグマ一頭でどれくらい被害が減ったかという尺度が一般にはあるが、実際は、一頭獲ったことで減る被害と、その捕獲によって生ずる諸々の被害・危険性の天秤になる。とすれば、上のような箱罠捕獲は意外とディメリットが大きいのかも知れない。
ヒグマの捕獲に関しては「必要十分に獲る」というのが理想だ。不必要にヒグマ捕獲することは、捕獲が必要な個体を捕獲できないのと同様に、問題を派生させることが多い。
2.trap-shy(トラップシャイ)の蔓延
もうひとつの要因が「trap-shy」にある。trap-shyとは、野生動物が罠への警戒心を覚え、容易に罠にかからなくなる性質のことだが、高知能でもともと警戒心を持つようにできているヒグマは、trap-shyになりやすい。嗅覚が鋭敏なヒグマは、罠に仕込まれた誘因餌のにおいで箱罠の置かれる場所まで導かれるが、罠の前で警戒し、周辺を徘徊したり、しばらく居付いたりしながら、結局、罠に入らず立ち去ることがある。仕込むエサや罠のかけ方により一概に
言えず、また正確な数字は不明だが、初めて箱罠に出合ったヒグマの半数ほどが罠にかかるのではないだろうか。1/3〜1/4という調査結果もあるが、
これは箱罠導入から数年後のデータなので、データ元のヒグマが初めて箱罠に出合ったかどうかがわからない。丸瀬布における箱罠導入年の降里ヒグマの推定値と捕獲ヒグマの実数より、仮にこの率を半分だとすると、
残りの半数は罠を警戒し回避した可能性がある。
箱罠の中に仕込まれるエサ(誘因餌)は、シカ死骸・ハチミツ・サケなど、基本的にヒグマの大好物だ。そ の大好物のにおいで箱罠まで導かれたヒグマが、それを見送って立ち去るには、よほどの動機がないと難しいのではないか。その動機として、trap-shyが浮上する。ヒグマの常習性・執着には触れた
が、ヒグマには一度覚えたことを律儀なまでに繰り返す習性もある。この習性が罠への警戒に現れるとすれば、いったん現れたtrap-shyの性質が、かなり継続
的に作用する可能性がある。恐らく学習能力の差で、何度追い払ってもフラフラ出てくる若グマもあるし、調査捕獲では何度捕まってもまた罠に入る個体もあるらしいが、逆に、先天的かどうかは別にして、警戒心を抱きやすい個体も存在するだろう。イヌでいうシャイ気質というやつだ。その個体が、trap-shyを覚
え、その警戒心を年々強化・固定化させるとすれば、軽率な個体が毎年あっけなく捕獲されながら、trap-shyの個体はむしろ数を増やす可能性もある。つまり、
箱罠がtrap-shyをヒグマに誘発させる道具だとすれば、罠にかかりにくい個体を選んで年々地域に残していくことになりかねない。
trap-shyについては定量的な検証がなく仮説の段階だが、このシナリオは十分あり得ると思う。
trap-shyが起きるシステムは不明だが、罠の門扉に挟まりつつ逃げたヒグマはtrap-shyグマになるだろうし、自分自身が危機一髪にならなくても、箱罠の誘
因餌で複数のヒグマが引き寄せられた状態で一頭不注意な個体が捕まれば、あるいは親子連れの状態で子グマが一頭かかれば、残ったヒグマがそれを感知し罠
回避を学習する可能性もあるだろう。当然、母グマにtrap-shyが現れれば、その警戒心は仔熊に少なからず伝承されうる。
ここに書いた仮説が正しければ、問題点は、捕獲を決めた問題個体を罠では獲れなくなる点。これでは被害解消に結びつかない。そして、罠をかけた原因グマが捕られない代わりに、無関係なヒグマのうちtrap-shyを学習しにくい個体を捕獲することになる点。捕獲個体の中で、いわゆる冤罪グマの比率が増える。
また、特に異常性を持った危険グマがその地域に現れた場合、銃器と罠を効果的に用いて速やかに取り除く必要があるだろうが、例年箱罠に依存しtrap-shyグマをつくっている地域では、その個体に罠が効かなくなっている可能性も高いだろう。また、箱罠に依存したヒグマ対策を行っている地域では、往々に して猟友会のヒグマ捕獲能力の低下が進んでいる場合が多いだろうし、人里へ降りるクマが多いことも推測できるので、周辺のヒグマが人里内で人為物 を食べ慣れている可能性も高く、危険グマ自体が生じやすい環境にあるとも言えるだろう。
3.電気柵下の「掘り返し」
ヒグマは「掘り返す」という動作に長けた動物で、その能力を常用している。長い五本の爪を配した腕は、まるでユンボのように機能的に土を掘り返すことが できる。シカ用の電気柵の普及したエリアで上述trap-shyグマが増えている場合、問題のひとつはこの「掘り返し」だ。電気柵のメンテナンスが不十分で電圧が 落ちてしまっている場合、あるいは電気柵の設置方法がクマに適さない方法であった場合、「掘り返し」グマはtrap-shy同様年々増加してゆくのが通常で、できるだけ早い段階で対策を講ずる必要がある。どこのどんな電気柵で覚えたかによらず、掘り返しを学習したヒグマは、別の場所へ行っても、電気柵を前にすると掘り返し戦略を用いてくる場合が多いようだ。推測だが、渡島半島のようにはじめからヒグマ用電気柵をきっちり設置・運用している地域の防除率を、もしかしたら他の地域では出せないかも知れない。これもまた実証的に見ていかないとはっきりしたことは言えないが、もし仮に、ヒグマ用電気柵の下を掘り返して破ってくる夜間出没型のヒグマが現れるとすれば、その時こそ、温存しておいた箱罠を効果的に用いるべきように思われる。
ヒグマの寿命が長く20〜30年生きうることを加味すれば、上のようなトラップシャイグマ、掘り返しグマを不用意につくることは、そのエリアの対ヒグマリスクマネジメントを恒常的に悪くすることにつながり、特に猟友会のさらなる衰退が必至となっている現在以降の北海道では、決して得策ではないのではないか。
箱罠にはそれを人里および周辺におくこと自体の危険性も大きい。最も人身被害の危険性に結びつく2つの要素を加えておきたい。
a.シカ死骸近隣でのヒグマの攻撃性
通常、箱罠は農地周辺などの人里もしくは周辺に仕掛けられる。ところが人里にはキャンプ場や観光地があったり、そうでなくとも不特定多数の来訪者が歩くのが普通だろう。例えば、昨今の北海道で箱罠内の誘因餌(ヒグマをおびき寄せるためのエサ)よく用いられるシカ死骸などは、通常、周辺から複数のヒグマを誘引し、なおかつそれらのヒグマをにわかに攻撃的に変えることがある。ヒグマの調査をしていて最も緊張するのも、このシカ死骸に出遭ったときだ。
ヒグマはもともと肉食傾向が強く、歯をはじめとする消化器系は動物性タンパクを効率的に消化するようにできている。決して草食獣のようにフキや草本・飼 料用デントコーンなどを食べて栄養摂取するようにはできていない。ヒグマはサーモン・シカ・昆虫(アリ)などの動物性食物をはるかに好むが、現在の北海道ではサーモンの遡上が阻害され、従来得られていたはずの動物性タンパクが摂れないヒグマも多い。ただでさえシカ肉には目がないヒグマだが、そういう状況で シカ死骸が転がっていれば独占欲・所有欲が働いてしまうのだ。その独占欲・所有欲・執着は自ずと排他性・攻撃性につながり、そして、その攻撃性は、同族のヒグマとヒトに対して発動することがある。この相手は、ブラフチャージをおこなう相手と同一だろう。
具体的にどういう行動が見られるかというと、ふだんヒトとバッタリ遭遇を起こしても速やかに逃げ去るヒグマが、シカ死骸の近隣では積極的に威嚇・攻撃し
てくる、あるいは、その近隣に執着し頑固に居付くなど、人里のリスクマネジメント上、決して好ましくない状態が出来上がる。この攻撃性に関しては、シカ死
骸の至近距離で顕著だが、影響は半径数百メートル以内で大なり小なり現れうる。
なお、複数のヒグマが一つのシカ死骸周辺に寄り、それぞれが独占しようと攻撃性を発揮するので、必然的にヒグマ同士の争いが起きやすくなり、気が立っているヒグマとともに、負傷したヒグマも生じやすいと考えられる。2011年には、調査エリア内に仕掛けられた箱罠の隣のデントコーン農地で、ヒグマ同士の争いで大怪我を負ったと思われる個体が確認された。 この点が、デントコーンや、あるいは同じ動物性食物でも無尽蔵に遡上するサーモンと異なる点だ。深刻な怪我を負ったヒグマは、やはり通常のヒグマとは異なる行動パターンを見せ、人里内から移動せず周辺の人為物を食べあさったり、逃げる代わりに攻撃に転じやすくなったりする場合もあるだろう。これは、手負いグマがしばらく危険なのと同様で、彼らにとっては最も合理的で常用している「逃げる」という戦略を失い、追い詰められやすいためと考えられる。(手負いグマも、通常は、べつに仕返しをしようと攻撃してくるわけではない)
b.親子グマの問題
仔熊というのは、必ずしも母グマの言うことを何でもテキパキと聞くわけではない。興味の湧く対象があれば母グマから少し離れてうろちょろすることも多々ある。それは、母グマとはぐれたと思われる仔熊を見てもわかる。その好奇心の塊のような仔熊が箱罠にかかってしまったときの母グマの行動パターンの変化が懸念されるところだ。実際に、道内でもこのように仔熊だけ捕獲される例がたびたび見られる。
母グマにも個性のバラツキがあることから一概にどうなるとは断定できないが、はたして、箱罠内の仔熊をあっさりあきらめて去ってくれるかどうか、そこは
かなり疑わしい。仔熊と離ればなれになって執着をまったく見せない母グマのほうがよほど珍しいだろう。箱罠に捕獲された仔熊に執着し周辺を歩き回る母グマは、シカ死骸への執着で攻撃性を持ったヒグマより危険な場合があるかも知れない。
※この危険性に関しては、2011年の「ヒグマ捕獲技術研修(網走)」でハンター講師の側からも強調された。
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ヒグマに働く忌避力学
―――無分別な駆除がヒグマと被害を増やす?――― |
ヒグマは殺せば殺すほど安全になり、農地の被害も減っていくと考えられていたが、必ずしもそうならないことがわかってきた。人里周りでの無闇なヒグマ捕殺が安全対策・被害防止の両面で逆効果になるケースが起こりうる。
これには、単に一頭一頭のヒグマではなく、そのエリア周辺のヒグマ全体の力学を考える必要がある。先述したようにヒグマにはテリトリーはないが、それぞれのヒグマ間に力学が働いている。その力学的バランスをとりながら、ヒグマ全体が活動していると捉えることができる。あるエリアから一頭ヒグマを欠落させることは、力点・作用点を一つ取り除くことになり、そこから、またバランスをとれる状態まで、大なり小なり不安定が生ずる。その一種の混乱の過程で、人里および周辺の人身被害の危険性は通常高まり、農地の被害も数年単位で増加するのがむしろ普通だろう。 ヒグマにはテリトリーがない。これは昨今の研究者で大勢を占める見解だ。テリトリーの概念を掘り下げて考えていけば、まだ不確定な部分もあるが、仮にテリトリーがないとしても、あるヒグマは、必ずしも周辺の他個体を無視して自由に動き回っているわけではない。つまり、一頭一頭のヒグマ間には、何らかの「力学」が働いていると捉えることができる。では、その力学とはどのようなものなのか?
ヒグマの力学は、交尾期など特定の時期・個体を除き、引き合う力学より遠ざかる力学。つまり、忌避の力学が働いているととれば、ヒグマの行動圏配置や移住・移動など、いろいろな現象がうまく説明できるように思われる。テリトリーには大前提として遠ざける側の意志が働くが、忌避は遠ざかる側の敬遠・遠慮などが自ずと作用する。
例えば、私のエリア(北大雪・丸瀬布)であれば、左のような忌避の度合いを仮定すると、ヒグマの動向がだいたいうまく理解でき、ある程度の予測も可能だ。
もちろん、ここに書いた数字は科学的なものではない。そして個体差が大きいヒグマという動物に、このような一律の数字を当てはめること自体、不合理である
ことを承知しつつ、「忌避力学のモデル」ということで、概念を数値化してみた。オス熊からヒトへの忌避を仮に10とすれば、若グマからオス熊・ヒト・若グ
マ・メス熊へのそれぞれの忌避心理が7・2・1・1の強さであるという見方を、この図ではする。
特に重要な点は、
1.オス熊はすべてのクマから強く忌避されている
2.メス熊・若グマは互いに忌避が小さい
3.若グマ・メス熊からヒトへの忌避が可変であり、現在は、比較的小さくなっている。
この三点だろう。
私は、8年ほど北大雪の中山間地域で、この忌避力学をイメージしながら山や里に降りるクマを見、また、ここで起きた様々なヒグマの動向変化からこのような数値化をおこなったが、特に上の三点が、ヒグマの行動圏配置、ある局所的エリアの年齢構成・性比・生産力、あるいはヒト側に及ぼす被害の量と質などを、まずまず矛盾なく体系的に理解させてくれるように思う。
例えば、6〜7月の交尾期には、調査エリアで感知できなかった大型オス成獣がどこからか徘徊してくることがあるが、その時、それまで安定していたメス熊の一部と若グマの動向がにわかに変化し、場合によっては雲隠れしたように行方知れずになったりする。それは、子を持つ母グマ・若グマがともにオス熊を忌避して逃亡・隠れ潜んでいるからではないのか。ここでは、親子連れが一定の距離を置いてオス熊を追尾するという、一見変わった方法でもオス熊との遭遇を避ける場合もあるようだ。あるいは、人里周りで比較的年長個体を捕獲した場合、そのクマがよく利用していたエリアのヒグマの年齢構成・密度が変わる場合があるが、これは、捕獲個体の欠落によって力点(作用点)が失われ、バランスをとるように周辺ヒグマが動いた結果起きていることではないか。また、あるいは、若グマ・メス熊が昨今ヒトに対しての忌避を小さく変化させていることが、北大雪のみならず、北海道各地の市街地出没や札幌クマ騒動にも影響しているのではないか。
この忌避力学を用いて、いろいろなクマの現象に仮説を立てることは可能なように思う。
この忌避力学モデルの特徴は、ヒトをヒグマの力学の中に含ませて考えているところだ。テリトリーというのは、原則的に同じ種に関して適用できる 概念で、オオカミならオオカミ同士、アユならアユ同士の排他性の力学である。ここでは、同種間に働く力学を拡張し、ヒトを包含したヒグマの忌避力学としてモデルを構築した。このことで、この忌避力学を用いて、ヒトとヒグマの様々な問題を論じ、解決に向けうると考えられる。
つまり、ヒトは、ヒトの力学でヒグマをコントロールするのではなく、ヒグマの力学上でいろいろな対策をとる必要がある。奇異に聞こえるだろうが、私自身は、暮らすときも若グマ対応をするときも、イメージとしてはオス熊としてクマ社会に紛れ込むように振る舞っているところがある。例えばイヌを飼うとき、そこにはルーツであるオオカミの力学が存在している。オオカミの場合は引力で結ばれた群れの力学と排他性を基本とするグループ間の力学があるのでヒグマとは かなり異なるが、いずれにしても、イヌの飼い主はイヌの力学上でアルファ(リーダーオオカミ)として一頭一頭をコントロールすることになると思う。もし仮に若グマが強くオス成獣を忌避しているとすれば、オス熊の何がそれを引きだしているかを考え、人間流に改良し実践する。その具象化が、追い払いなどの威嚇・威圧行 為ということにもなる。こう書くとなんとなく滑稽だが。
さて。
下図は、ヒグマの捕獲に関わるヒグマ動向の変化を模式的に示した図だ。まず、ヒグマ側の変化だけ見てみると、比較的年長のメス熊を捕獲すると、その直後、当然ながらその個体の活動空間で空く空間ができる。周りの山にヒグマがいなければ、そのままヒグマ不在の空間がしばらく続くかも知れない。しかし、周辺の山にヒグマを多く生息する場合は、この空いた空間はそのまま続くわけではなく、しばらくして新しいクマが活動するようになるだろう。そのクマは、元々いたヒグマAより力のない個体、つまり、オスでもメスでも若い個体であることが多いのではないだろうか。それまで、ヒグマAの存在によって忌避・遠慮して いた若めの個体ヒグマB・Cが、ヒグマAの欠落によって行動範囲を変えてきた結果だが、そこにはエサ場などヒグマにとっての有利な条件が揃っているのだろう。とりわけ若いクマは、狭い空間で複数活動するすることができ、捕獲したヒグマによっては、このような活動数・密度の増加が起きる場合がある。
私が実際にこ れに似た現象を観察したのは、調査エリア内の小さな沢筋で、もともと、比較的大きなオス(前掌幅17p)の行動圏の本拠のような場所で、例年6月になると 沢筋の幾つかのフキ群生地でこのオスが派手な食痕を残していた。箱罠が導入された2004年の翌年には、この沢のフキはほとんどきれいなまま8月を迎えた。このオスがいなくなったのは、捕獲されて欠落したか、あるいは、この時期のもっと有利な活動エリアに移動したか、そのどちらかと推定される。後者にしても、箱罠導入による大量捕獲が何らかの形で影響している可能性が高い。
ヒグマの食痕がこの沢に戻ったのは2006年の6月初旬。前掌幅13p、金色のたてがみが特徴の若グマだった。(私は、骨格・行動からオス3歳と推測したが、その後の調査で3年後には16pに前掌幅を成長させ、オスであると断定できるようになった)ところが、この個体を感知してから立て続けに2頭の若い個体をこの沢のフキ群生地で確認した。どちらも2歳の若グマだと思ったが、1頭は真っ黒で、6月なのに丸々太った毛並みのきれいな個体だった。何度か現認できたのは2頭、前掌幅から3頭という見立てだ。のちに、1頭がオス、1頭がメスと断定されたが、残りの1頭は性別が確認できなかった。あくまで局所的な出来事だが、頭数からいえば1頭いなくなって3頭入ってきたので、3倍に増えたという計算。そして、明らかな若返りが起きている。
この3頭がどこから来たかという推論は、2006年以降の別の調査からできる。人里周りと表現できる数q以内の空間の外に、比較的ヒグマの活動が閑散とした空間があった。私が調査をした沢沿いでは、ツル科の植物(ヤマブドウ・コクワ・マタタビ)が比較的切られて少なく、それほどヒグマに有利な場所とは思 えなかったが、最低でも1頭のメスが2〜3年の周期で比較的順調に子育てをおこなっていた。個体識別が不確かながら他にも同様のメスがあると推定されるが、それにしては、このエリアで若グマの数が増えない。広く豊かでヒグマの生息数が比較的多い北大雪では、通常、健全なメスが何頭か活動していれば、そのエリアがヒグマのちょっとした生産エリアになるのだが。つまり、上の3頭のうち一部はこのエリアから供給されたものと考えるのが自然だろう。
さて、実際の観察にせよ忌避力学の仮説が導くシナリオにせよ、クマの数が増えるのは、じつはさして問題にはつながらない。クマの性質が問題だ。概して若グマはヒトや人里の経験が浅く、ヒトと折り合いを付けて周辺の山に暮らす術を身につけていないため、若返りによって、それまで起きなかった問題が起きるようになる可能性は高い。上の図を借りていえば、Aさんが裏山に山菜採りに入ると、ヒグマBはフラフラ近づいてじゃれつきかけたり、逆に威嚇攻撃を仕掛けてくるかも知れないし、ヒグマCは親子連れで畑を荒らしに来るかも知れない。ヒグマAが、仮にそこそこ分別のついたクマだったなら、その捕獲によってAさんの生活環境は改善したとは、とても言い難い。
上述の3頭到来した沢では、それまでなかったヒグマ目撃情報がいくつも行政に報告されるようになり、フキ採りの人とバッタリ遭遇も起きた。幸いに して事故は起きていないが、若返りでヒグマとヒトの距離がにわかに縮まったことは確かだ。
2008年には、3頭のうち1頭がまだ若グマの性質を色濃く持ったまま2頭の子を持ち、その後親離れさせて新たな若グマをこの沢に送り出したようだ。残る2頭は、あまりに無警戒な行動で、私の若グマ忌避教育の1期生となったが、最も問題児だった金毛たてがみの若グマは、(推定)5歳の春先にチラリと姿を見せたあと、この沢筋では感知されなくなった。
もし仮に、ここで起きたようなことが人里周りのあちこちで起きているとしたら?
2007年あたりから、丸瀬布市街地周辺を含め、あちこちでヒグマ目撃が頻繁に起こるようになり、行政・ハンター・住民は「クマが激増した」などと口々に言うようになったが、その原因は誰もわからなかった。ハンター側からは「クマをもっと獲らないからだ」と言う者が現れ、行政もその方向で箱罠を3倍の6器に増やして捕獲圧を強めた。しかし、効果はあまり出てこなかった。
2008年初夏には、この沢に見られたのと同様の軽率な親子連れが4組確認され、それを機に、私の調査エリアは山から人里に降りて、そこから山を見た。 唯一あったのはここに述べた観察と仮説であり、それを頼りにするしかなかったが、最も問題が高じそうな場所を選び定め、「忌避」というキーワードを念頭に若グマに的を絞って、2008年には轟音玉で追い払いをはじめ、翌年には狼犬を手に入れベアドッグとしての育成を開始した。
2008年の8頭の仔熊がどうなったかはわからない。が、移した人里内の狭い調査エリアでは、予想を超えるスピードで年々人里農地に降りる若グマの数が増え、現在までに、時期と場所によってはほとんど臨界状態ではないかと思えるほど過密な状態をつくっている。8頭の一部も、ここに含まれているのだろう。
さて、上の忌避力学とヒトの暮らしっぷり、ヒグマ対策などから、私のエリア周辺では概ね下のようなヒグマの活動配置になっている。元来、特にサーモンの遡上時期にはヒグマの主要活動域になっていたと考えられる河川周りは、現在ではほとんどヒトが占拠したような状態だが、簡略化して言えば、その動向を見ながらオス成獣・メス熊・若グマの順で、有利な場所に活動するようになる。メス熊の活動エリアが、特に現在はヒトの活動エリアに寄っていて、必然的にそのエリアがヒグマの生産エリアとなる。メス熊・若グマのヒトや人里への忌避が小さく、なおかつ人里のエサ場となりうる農地などが無防備な状態のため、これらのクマにとっては、人里周りが最も有利な場所となってしまっている。
人里周りの局所的なクマの増加、その周辺まで見たときの状況変化、そして山塊全域でのヒグマの生息数。いろいろ見方はあるだろうが、少なくとも、ヒトとの問題を生じやすいのは、人里周りの若グマの動向・性質だろう。見る角度によっては、人里がひとつの大きな罠として機能し、山のヒグマを人里周りにエサでコンパクトに集中させつつ捕獲と被害を繰り返している様相にも見える。
上図は、少し範囲が広くなるが旧・丸瀬布町エリアにおける過去30年間のヒグマ捕獲数の変移グラフだが、ここからもわかるように「獲らないから増えた」という説は、あまり合理的でないように思う。転機は二度ある。まず、90年の春グマ駆除廃止。通常、ここを境に捕獲数が減るところだが、何故か丸瀬布では、ここを境にヒグマの捕獲数が増加している。これに関しては事情をつかめていない。二度目の転機が2004年、箱罠の導入だ。この年の大量捕獲の影響、そして箱罠に依存したヒグマ対策の影響をここでは述べてきたが、2004年前後で、さして捕獲数に変化は現れていない。問題は、その事実をどう読み解くかだろう。捕獲数が同じだから2004年以前と同じクマの状況に戻った、とするのが最も単純な見方だが、捕獲方法が銃器から箱罠に移行したことから、ヒグマに忌避を植えつける機会が減ったともとれるだろうし、もし仮に上述trap-shyを加味すると、まったく違った結果も導ける。ヒグマの数が増加傾向を辿りながら、捕獲水準だけ以前と同じ、ということも起きうる。現に、調査している特定農地周辺では若グマが増え、道道・自動車道・国道・JR路線での衝突事故が起こるようになったのは2006年、あるいは、先述の「激増」という印象を人々に与えはじめたのが2007年あたり。まず、この近辺で若グマの増加が起き始めている可能性が濃厚なのではないか。
2004年に2器の箱罠で10頭のヒグマを捕獲したのに対し、11年は6器の箱罠で4頭捕獲。つまり、1器あたりの捕獲数は、7年間で駆除ハンターの罠技術の向上もあったにもかかわらず、5頭から0.67頭、捕獲率は1/7以下に減っている。この比率がtrap-shyグマの数に直結するわけではないだろうが、偶然と考えるにはあまりに違いすぎる。かといって、trap-shy以外のめぼしい可能性が私には見つからない。
箱罠とtrap-shyと若グマの増加現象に関して、どういう環境下・条件下でどのような関係をもって起きるのか、それは今後の研究課題だろう。ヒグマの力学・社会学についても同様だ。
仮説からの予測
仮説を立てたからには、ひとつ予測をしなくてはならないだろう。あくまで人里回りの局所的エリアの話だが。
先述の増加を感知した沢筋におけるヒグマの、少なくとも6月〜7月の活動数は、2001年あたりから1110354と変化しているが、この後の変化を予測したのがこのグラフだ。これを考えるには、このエリアでのメスの頭数・性比、年齢構造、オスの若グマの分散、食物的な有利度(豊富さ≒被害・援助)、捕獲圧、捕獲性比(2:1)などを加味して考えなくてはならないが、ここには「準テリトリー理論」という、流動的で局所的かつ時限的なテリトリアルな空間の考えを導入しないと、私の頭ではスッキリ理解できない。
この理論の概略を述べるとすれば、ヒグマのホームレンジの中に、特異点(他と異なった特殊な点)としての空間があり、それが季節によって、あるいは場合によっては突発的に出来上がる。ヒグマがホームレンジを形成する原動力として、単なる回遊ではなく、この特に季節による特異点を巡る巡回ととる。すると、その間の空間は移動空間の色合いが濃くなるだろう。移動空間でものを食べないということではなく、食べても占有性と滞在性が低くなる。特異点は、特に食物で出来上がるが、最も強く狭くわかりやすいのがシカ死骸だろう。その他に、一時的に(HRに比べて)比較的狭い空間をある特定の個体が占有する傾向が現れうるのは、6月・7月のフキ群生、場合によっては8月後半〜9月のデントコーン農地。逆に、占有されないのは、サーモンが遡上する河川流域、木の実類などだ。この占有空間ができたりできなかったりするには、その食物の豊富さ・広がり・特異点度・誘因度が関係すると考えられるが、原動力はアユやオオカミのテリトリーと同様である。つまり、ホームレンジというのっぺりとした空間とテリトリアルな空間は結びつかない。時限的に、いつからいつまでのという言い方が正しいだろう。例えば、アユのテリトリーはすごく狭いが、そのアユは移動するので、午前中と午後でテリトリーが異なっていたりする。そして、個体によってテリトリアルな性質のものとそうでないものがあり、あまり個体密度が増えてくると、すべてのテリトリーは消滅する。つまり、その場所を競合し(ときに争ってまで)執着するのが有利か、あるいは、無尽蔵に食物があるから空間を共有しそれぞれマイペースで食べられるのかにもよるが、ここにも、ヒグマの場合は、どちらかというと排他性の力学より忌避の力学が働く。この結果できる占有空間を準テリトリーと私は呼んでいる。結果的に、この力学が働いた状態で、若グマ・メス熊は比較的狭い巡回、オス熊は広大なエリアの巡回をおこなうことになり、厳密にいえばそれぞれの巡回が連動している。また、原則的に、ヒグマの巡回にはヒトの活動が作用している。
ホームレンジの中には、活動拠点と呼んでいいような空間、あるいは好い場と呼んでいい空間もあり、一方で、ほとんど足を踏み入れない空間もあるだろう。
この準テリトリーは明らかに結果的形態としてはテリトリアルであり、しかし、恒常的にその空間が存在するわけではなく、出来上がったり消滅したりするので、ヒグマという動物がテリトリアルに見えたり、そうでないように見えたり、なかなか定まらないのだと思われる。
先述の沢の優良なフキ群生は、準テリトリーになりうる空間ということができるだろう。
いずれにしても、予測するのはそう簡単ではないが、ここで生産された個体のうち、オスはある年齢で大規模な移動をするかも知れないし、現代では、オスの捕獲数がメスの2倍程度であることから、このエリアのメスの性比が増加しつつ、活動数も増えていくことは予測できる。かといって、延々増え続けるわけではない。では、その増加グラフの変曲点・極値はどのようにして訪れるのだろう?
恐らく、年齢構成が起因すると思う。つまり、現在、若返りが起きて若年個体ばかりになってしまったが、そのクマもそのうち成長し、オスの中にも移動せずこのエリアをホームレンジの本拠に含む個体が出てくるだろう。元々いた前掌幅17pのように。すると、その成獣が、若年個体のこのエリアにおける活動を制御する可能性がある。この制御は、交尾期などに徘徊してくるだけのオスからは得られない。
また、もしかしたら、そのオス成獣によってメスの活動範囲の移動が見られ、生産エリアが人里回りから離れることもあるかも知れない。一頭のオス成獣が欠落し、この局所的エリアの若返りと増加現象が起きたとすれば、再び同様の力点(作用点)となる個体が戻れば、元の状態に収束する可能性はある(赤グラフ)。この上極は、早ければ数年のうちに現れると思われるが、何年以内という予測はできない。この上極における個体密度に関しても、残念ながら言及できない。
さらに言うならば、前述忌避力学的に、このオス成獣に相当するヒトの活動がこのエリアに生じても、同様の結果が得られる可能性が高い。(類似した事例は丸瀬布・上武利にある)
※年長個体ほど濃い緑で示してある。
※この沢の予測に基づき、丸瀬布全域への予測の拡張をおこなった結果、近隣のアウトドアレジャー基地「いこいの森」周辺の集中的調査とリスクマネジメントが急務と判断され、そちらに専念することとなった結果、2009年以降のこの沢の綿密な調査ができていない。(2008年後半以降2011年までの、「いこいの森」周辺の調査と対策は、こちら「ヒグマ制御の試み」・「若グマの増加」(下述))
このエリアのヒグマは、箱罠依存の影響もあって総じてヒトに対する警戒心が小さく、なおかつ、農地が無防備なため、8月〜9月は、この人里周りのエリアを比較的「有利」と判断するかも知れない。もし仮に、現在の状況のまま、農地が無防備でヒトや人里への忌避を植えつけられず、また、その元で無作為に近い偶然の駆除を中途半端におこない続けるとすれば、場合によっては、年齢構成の成熟が阻害され、オレンジのグラフに近い形で高止まりすることがあるように思う。もちろん、仮に捕獲圧を強めてこのエリアの若グマを全滅させたとしても、再び2004年以降と同じことが起きるだけで、堂々巡りにしかならないだろう。若グマへの教育要素を中核に、ヒトや人里にとっての危険性観点で選別捕獲を、しっかりした判断でおこなえば、赤グラフに準じたグラフで、比較的少ないヒグマの活動数かつ悶着・軋轢の小さな状態に収束させられるかも知れない。
くどいようだが、この仮説・予測は、周辺に比較的広大でヒグマの供給力が十分にある山などが存在するという条件下で立てている。軋轢・悶着・ヒグマの捕獲数ともに高じているのも、そのタイプの人里だと思う。
「いいクマ」と「いいヒト」
アイヌでは、ヒグマに対して山の守り神を意味するキムンカムイという呼び名がある。キムンカムイとは、即ち、穏やかで問題を起こさない「いいヒグマ」「正常なヒグマ」「普通のヒグマ」のこと。ヒグマが学習能力に長け、ヒトの暮らしっぷりにきっちり対応してくる動物だとすると、人里周りに「いいヒグマ」が出来上がるためには、まず自然・野生動物の暮らしを攪乱しない「いいヒト」の存在がベアカントリー周りには不可欠だ。
ヒグマによる被害には先述の経済被害・人身被害のほかに精神的被害というのがある。ヒグマが近隣に存在することによって感ずる恐怖心・不安・心配などのネガティブな心理を言ってきたが、この仮説に基づいていうならば、折り合いをつけてお隣さんとして穏やかに暮らすヒグマが一頭捕殺されることが逆に多大な精神的被害となりうる。つまり、ヒグマをどう理解し、どう対応し、どう見ているかによって、精神的被害というのは画一的に言えないのだ。今後、北海道ではヒグマのへの理解を深め、意識変革とスキルアップによって合理的な対策を講じ実被害を防ぎつつ、ヒグマという強獣の存在に対する寛容を発揮していけたらと思う。 |
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事例:若グマの増加(調査結果と考察)
遠軽町・丸瀬布(旧・丸瀬布町)では、箱罠の本格導入の2004年の大量捕殺があって以来、春グマ駆除の時代を通して比較的安定していたと思われるヒグマの活動状況に比較的急な変化が現れ、2年後の2006年には人里周りで局所的な若グマ増加が確認された。その後、行政は箱罠を3倍に増やすなどしてヒグマの捕獲圧を強めたが、銃器による人里周りの山林の捕獲を加えても、その増加傾向と経済被害の拡大を止められないばかりか、ヒグマの人活動域への出没・目撃・遭遇、そして市街地周辺への出没のいずれの件数も増加した。また、過去にあまり起きなかった道道・国道・自動車道あるいはJR路線でのヒグマとの衝突事故も、ここ数年は1〜3件生じるようになり、毎年確認できる親子連れの数から単純に考えても、増加傾向は緩やかにはなっていないように思う。
あるアウトドアレジャーエリアの中央に道道に沿った細長いデントコーン農地がある。そこは対ヒグマの防除が施されていない農地だが、そこに8月末〜9月に降りるヒグマの数は2010年で最低7頭、2011年では9月11日現在で最低13頭(仔熊3頭を含む)となっている。最低という言い方は、おもに前掌幅から個体識別をおこなってるため、同一の前掌幅をもつ個体があった場合、複数を感知し得ないからだ。
2011年8月下旬から約2週間、ヒグマ出没で閉鎖されたアスファルト町道の約300m区間に2週間にヒグマの足跡が不明瞭なものも含め2500〜3000ほど残されたが、それぞれの足跡列から選んだ前掌幅サンプル数94をグラフにしたものが下図だ。オレンジ色が西側で往き来するヒグマ、赤が東側からの降農地グマ。これらの足跡の90%は石灰をまいてアスファルト上で採取したので、ある程度正確にデータは取れていると思う。(算出誤差は1o以内。これは一つの足跡列で幾つものサンプルをとり確認。計測方向の誤差を合わせても最大2oだろう) 残りの10%は雨後、できる限り明瞭な土の足跡をアスファルト上で採取撮影したが、若干精度は落ちる。
これらのデータから、現認・移動ルート・行動パタン・追い払い時の反応などを加味して、ざっと数字を出してみたい。
※サンプリング2011年8月28日〜9月11日/閉鎖された町道約300m区間/有効サンプル数:94 |
集団A.7.5〜8.9pの個体は当歳子で1+2=3頭。2頭の母グマも若い(いずれも前掌幅11p前後)。
集団B.10〜12.4pの集団に、上記母グマ2頭と単独の若グマ2〜4頭が含まれる。
集団C.13.4〜15.3pに、単独の若グマ4頭が含まれると推定される。
小計11〜13頭のうち3頭に対して「追い払い」をおこない(4回)、また、集団Cの2頭に対しては、センサーカメラで撮影。うち1頭は追い払いを二度おこなったオス若グマ。
このほかに西側からの進入個体が2〜3頭と推測されるが(オレンジ色)、グラフより、これらの個体は東側の調査町道には抜けず、概ねデントコーン農地内でUターンし西側で往き来していると考えられる。東側・西側からの降農地個体を合わせて合計で13〜16頭という計算になる。性比についてははっきりしないが、全体として偏りは感知できない。2011年は台風崩れの温帯低気圧の影響で農地沿いの河川がしばらく大増水し、渡れない個体が河川と平行に歩き回るなど動向を変えたため、一時的にこの区間に足跡を残した個体の可能性も考えられる。
2008年からの同じエリアの調査では、把握個体のミニマムが4頭・4頭・7頭・13頭と変化していて、少なくともこの調査エリアでは、特に若グマの降里個体が増加していると考えられる。また、2008年・2009年の把握個体4頭は、数字的には偶然同じだが、個体の半分(2頭)は、より若い個体に入れ替わっている。このエリアでは、ある年に降りていた個体に、翌年新しい個体が単純に加算されるのではなく、年長個体から出没が消え、その代わりに親離れ年と見られる新しい個体が加わるという入れ替わりが起きている。
2004年以前には、同農地に対して、前掌幅17p・20pのオス成獣が降りていることが確認されたが、近年は、17p以上の個体が確認されない。最大前掌幅は、2009年16.0p、2010年14.8p、2011年15.3pと、いずれも若オスのものと考えられる。メスに関しては、仔熊を連れていればメスと断定するが、10p前半の個体を1歳メスと推定するほかは、あまり確かな推定材料がない。
補足)オス成獣による抑制
写真はオホーツク海側のある河川で見かけた若グマだが、左腹部を大きく負傷している。これは、オス成獣の一撃によって負わされた傷だが、内臓まで達していることからこの若グマの生存は難しい。傷の爪痕から推すにかなり大型オスの仕業だが、若グマがくわえているカラフトマス死骸の状態から分かるように、時期的にこの攻撃は繁殖絡みで起きたものではない。無知で無邪気で好奇心旺盛な若グマであっても、通常はここまでの深傷を負わずオス熊を学習して忌避・遠慮・敬遠するようになっていくが、原則的に、繁殖期にかかわらず、すべての時期を通してメス熊・若グマからのオス熊に対する忌避心理はかなり大きく、そのことが結果的に「オス熊が若グマ・メス熊を抑制する」という現象を導いている。現在の北海道(特に中山間地域)では、場合によってこのようなオス熊が捕獲によって人里周りで欠落しつつ、メス熊・若グマのヒトや人里に対する忌避心理が相対的に小さくなってしまっている。 |
補足考察)前掌幅の空白が語ること
このグラフで見逃してはいけない点は、空白の前掌幅が存在することだ。9p台、そして13p前後のクマが見られない。9p台がいないのは、秋に当歳子は8〜9pにまとまり、1歳の個体はオスでもメスでも10p以上に前掌幅を成長させてしまうからだと考えられる。問題は13p前後がほぼ空白となっていること。この山塊で広く調査をすると、最も数が多い前掌幅が13p〜15p程度で、成獣メスに限っていえば13±1pというのがボリュームゾーンだろう。その13p前後がこの周辺に降りていないということはどういうことなのか?
経験則からすれば、メスは往々にしてオスより心理的成熟が早く、通常はいつまでも「無知で無邪気で好奇心旺盛」を続けない傾向がある。大人のクマとしての警戒心がオス若グマより早く起動すると考えられるが、それは若いオスの好奇心の強さの裏がえしとも感じられる。若グマ後期(3〜5歳くらい)に、順調にいけばオスは分散行動に移り、メスは子育てに入る。その性による役割の違いが、好奇心と警戒心の違いに通じていると推測はできる。じつは、このアウトドアレジャーエリアは夏の集客力12万人以上のキャンプ場があり夏期に賑わっていることに加え、近年、ちょうどヒグマがデントコーンの様子を見に降りる7月下旬〜8月上旬に毎年観光祭り・花火大会が盛大に行われたりもする。そういう諸々の人間活動で、前掌幅13p以上のメス熊はこのエリアのデントコーン農地を敬遠している、そうとれば理路は整然とする。この推測が正しいなら、集団Cの個体にメスはいないと考えるのも自然だろう。とすれば、集団Cの個体はすべてオス若グマで年齢は3〜4歳、集団Bのメス若グマの年齢は1〜3歳と考えることができるように思う。
集団Cの個体がすべてオス若グマであるという推定の後押しとしては、次のような論もある。
このエリアの農地のほとんどがヒグマに対しての防除を施していないため、メス熊は人為物で食い溜めを十分にできる傾向にある。また前年2010年は山が豊作で、コクワ、マタタビ、ヤマブドウなどの木の実のなりがよく、シカの回収不能個体(手負い死骸)も慢性的に多いなど、どの条件から考えても交尾に成功したメスは着床が順調におこなわれた可能性が高い。と同時に、このエリアでは2006年から若グマ増加が起こっており、交尾可能な個体はオス・メスともに豊富であることから、交尾も順調におこなわれた可能性が高い。
2010年にはこのエリアに親子連れがなく、9月下旬に当歳子と思われる単独個体が1頭、西側から入ってきただけだ。7頭の降里個体のうち、3頭を翌年出産可能なメス熊と仮定し、2011年には3組の若い母グマの親子(たぶん初出産)がこのエリアに降りると予測した。実際に2組がこのエリアに降りてきたが、母グマの年齢は予測通り若い。何もかも未熟な初出産組がこれだけ順調に交尾・着床・出産をおこなっていることから、いい年頃のメスが交尾・着床・出産・子育てのいずれかの段階で失敗して子を持てていないということは、ちょっと考えにくい。そういう母グマがこの季節に単独行動をとっている一つの可能性は、若い母グマにありがちな「早期親離れ」がおこなわれ、つまり、当歳子を9月の段階で親から離してしまう可能性だが、それにしては、当歳子の単独個体がまったくこのエリアで感知できないのも不自然だ。
※ただし、このタイプの単独当歳子をどう呼んでいいかは若干迷う。科学者の説によれば親離れは1歳4ヵ月程度からとされているらしく、単に親からはぐれて単独行動をとっているだけなのかも知れない。そのあたりの事実がわからないので、ここでは、安定して他の若グマ同様の活動を単独でしている当歳子は、親離れした個体という認識で書いている。
このグラフの前掌幅分布は、年によってサンプル数こそ異なるが、パターンは同一である。仔熊の有無をのぞけば、どの年も集団A・B・Cに分かれ、その分布も概ね2011年グラフを踏襲する。
このエリアではデントコーン農地に降りる個体を若グマが増える前兆を見せた2006年から調べてきたが、降りるヒグマはほぼすべて若グマで、それらの個体が捕殺されてもされなくても、年が変わると若グマの入れ替わりが見られる。また、概ね4歳〜5歳に至るとこのエリアへの降里・降農地がなくなる。代わりに、また1歳・2歳の新参の若グマが降りてくるということの繰り返しなのだ。
そこで、2008年からは、この若グマの一部に対し「追い払い」をおこないつつ、降里数・年齢構成・性比・性格にどういう変化があるかに焦点を絞って調査をおこなってきた。こうして若グマが局所的に増えたエリアで、どのような対策が最も合理的か。単にその年の対策ではなく、最低でも数年のスパンでどういった方向性がこの状況を解消に向かわせ得るか。それを実証的に見定めるためである。調査をしながら「追い払い」という人為的な働きかけをするのは、通常の研究からすれば掟破りで、本来のヒグマの性質が見えにくくなる。しかし、人里の現場では、特に人身被害の防止対策をとりながらの観察にならざるを得ない。
以上の状況から、この局所的エリアは、特に若い個体の「秋の幼稚園」のような様相を呈していると表現もできる。成獣のクマにとっての「有利」に「ヒトの活動が疎」という要素が大きく働いているのに対し、若グマの有利不利に、少なくともこのエリアでは、ヒトの活動はさほど影響しないということである。それは2011年秋、ここに現れた二頭の若い母グマにも言え、「母グマは警戒心が強い」という定説をこの二頭は見事に裏切っている。キャンプ場から100m地点に午前中にまいた石灰に午後には仔熊共々足跡を残すなど、母グマでありながら、若グマの行動パタンの特徴を色濃く残していた。ヒトと遭遇した際に、すべてのクマが「慌てて逃げ去る」あるいは「立ち上がり様子を見てから逃げ去る」という行動形態を示しているので、いわゆる新世代ベアーズとは言えないが、若グマ特有の無警戒・軽率は大いに見られる。
2頭のヤンママグマに育てられた今年(2011年)の仔熊3頭は、順調に親離れすれば来年には若グマと呼び名を変えるが、この若い3頭の行動ぶりは今から目に浮かぶようだ。もちろん、ヤンママからの無警戒の伝承はヒトとクマにとって好ましくないので、来年度の追い払いターゲットの筆頭格となる。(※1)
同じく要注意グマとしてマークしてきた集団Cの1頭は推定4歳。二度の追い払いを含めた幾つかの観察から、もしかすると攻撃性の高い個体との疑いがあり、捕獲を念頭に観察を続けて来たが、ここ数年のパターンからすれば、この個体は今年を最後にこのエリアからは姿を消す可能性も高い。
ここを卒園した5歳以上の若グマの動向は、また調査エリアを拡張して調べなければ分からないが、シカ用の電気柵に対しては、いとも簡単に掘り返し戦略を持ち出しほとんど障壁とならないので、ヒトの活動が活発でない周辺のデントコーン農地のうち、オス成獣が活発に利用していない場所を見つけ、こっそり出没しているのだろう。断片的な調査データ・事例からすればそう推察できる。残念ながら、「秋の幼稚園」でデントコーンの味を覚えた若グマは、よほどしっかり対ヒグマ電気柵を設置していない限り、何となく自然にあきらめるということは考えにくい。実際にデントコーン農地に入り込み飽食する1ヶ月前から、デントコーンへの意識がそれらのヒグマには生じ、様子見に降りるなど行動を変化させるのが通常だ。
※1: 翌1012年、予測通りこの親子が前年同様のルート・パタンで降里してきた。日中にアスファルトの閉鎖町道を走り回ったりした。ただ予想外だったのは、8月に入っても子離れをしていない点。3頭の距離は若干伸びつつ、おおむね一緒に行動していた。8月上旬に派手な追い払いを一度。そして下旬に夕刻のパトロールで近距離遭遇を経験したが、日中に降里しているわりに、ヒトが接近したときの反応はいい。前年より好ましい方へ降農地ルートを移動したので、しばらく2頭の仔熊の親離れに注意しながら静観の構えだ。
(写真)2頭の仔熊を林内から追い始めたが、途中で山から姿を現した母グマが先導に入り、写真の林道を渡って山の斜面に登った。左写真・先頭が母グマ。右写真・仔熊二頭。
なお、前掌幅と年齢の関係に関しては、オス・メスともに90%以上のヒグマに適用できる年齢別前掌幅の範囲グラフをめざして数年来作成中で、補正はまだ必要とするだろうが、現段階では、概ね下の前掌幅成長曲線に沿って考えている。
通常、特に若い個体は前掌幅から性別が判らない。仮に14pの前掌幅を持つヒグマがいても、オスともメスともつかないのだが、数学の微分方式でその「変化率」を見るとそれなりに推定できる場合がある。
下図の折れ線グラフ(紫)は2006年から数年間ある若グマを教育(追い払い)・追跡しながら前掌幅をとっていったデータだが、13pと確認した年の初冬には既にオスと推定した。そして、その推定通り前掌幅は成長し、5歳を越えた春先にうっすら積もった雪の上に16pの足跡をくっきり残した。この足跡以来この若オスは大規模に分散行動をとったのか、さもなくば捕獲されたのか、まったく感知できなくなった。
親離れ後しばらくの若グマの小さな足跡から性別を推定できると、そのエリアの1〜2年後の降里ヒグマについて、数も含めて予測材料になる。また、母系伝承を加味すれば、母グマになると予想したヒグマの行動パターンからは、その仔熊の親離れ後までいろいろを予測することもある程度可能だと思う。予測ができるということは、先回りして合理的な対策をとれるということだ。予測なしに刹那的・場当たり的な対策を、それも不完全極まりない形でとっている現在よりはるかに対策の方向自体がマシになる。
(2006年より作成模索中)
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展望と対策指針
(前提0.ヒグマに関しての基本的知識を持つ)
1.何が起きているか、事実に則してできるだけ正確に知ること(調査)。
2.それがどうして起きたかを考察すること。
3.今後どう推移していくかを予測すること。
4.それらの認知・考察・予測に対し(少なくとも)短期的かつ中期的に合理的な対応をおこなうこと。
この4点をしっかり押さえ、できるだけ精度高くおこなうことでのみ、不用意に攪乱してしまったヒグマ社会の正常化を安全に実現することができる。人里周りを軽率にうろちょろする若グマから、警戒心を強く持ちヒトと人里をある程度避けて暮らすヒグマに育てることが可能と考えた。残念ながら、ここで起きていることは、私の想定を越えており、道内の過去事例を調べた限りでは、同様の状況を生む事例も、速やかに解消した事例も見つからなかった。
2は、科学的な立証は無理にしても、考察によって科学と矛盾しない仮説を立て、3に結びつける。予測通りにいろいろが動けば、仮説の信頼性が高まるだろうし、予測し対応した結果と仮説に食い違いが生じてくれば、その場でまた考察し修正していくほか道がないと理解した。現場の現象が、科学の立証を待ってくれない。かといって、従来よりの因習的な捕獲一本槍では効果は知れている。ここに降りている若グマを半ば偶然、毎年二頭三頭殺して取り除いても、降里個体が来年入れ替わるだけでほとんど効果がないはずだ。仮に、過剰なヒグマ捕獲がこの状況の引き金になっているとすれば、なおさらそれを続けて何かが根本的に解決しないことは想像できる。現実的に、このエリアでは銃器も箱罠も使用する余地が限られ、どちらにも相応のリスクがつきまとう。また、その捕獲が一定レベルで可能であっても、無作為に近い形で若グマを間引きするような捕獲では、レジャーエリアの安全性に結びつけられない可能性が高い。そこで、追い払いと電気柵を主軸にとにかくこの状況を凌ぎながら、人里内のヒグマのエサ場に対ヒグマの防除が施されるのを待ちつつ、これらの若グマの成長を促すことに専念する方向となった。若グマの成長に、ヒトと人里への警戒心と忌避を積極的に擦り込んでいこうというのが現在おこなっている取り組みだ。その中で、特に警戒心が弱く追い払い等で行動改善が見られない個体、人為物の餌付けでヒトやキャンプ場・人家などにつきまとい・執着を示す個体、あるいは、性格に問題がなくても突発的に危険性が高じているケースに対して捕獲して取り除く方向とした。
地域の安全を確保しいろいろな被害を総じて減じていくヒグマ対策というのは、動物愛護の発想ではおさまらないし虐殺・迫害・復讐の類でもない。「何でも殺すな」でも「何でも殺せ」でもないわけだが、何をもって必要十分とするかがカギとなり、そのカギは事実本意にヒグマを知り、理解することからしか得られないように思う。
遠軽町には現在「毎年30頭のヒグマを捕殺する」という数値目標が公式にある。捕獲以外に何ら方策を持たず、100年変わらぬこの感覚には恐れ入るが、その100年で、ぼんやり灯る電灯から冷蔵庫・テレビ・携帯電話・パソコンと科学技術が進化してきたのと同様、優れたクマ撃ちや研究者・活動家によってヒグマの事実は徐々に解き明かされ合理的対策の実像も進歩してきている。漫然とヒグマの捕獲目標数を掲げ、漫然とヒグマを捕獲し、意図も予期もせず若グマだらけの混沌と危険な人里周りをつくってしまっているのは、現在の北海道にあって何も遠軽町だけではないだろう。実際に、2011年には有害駆除でヒグマを(10月現在)32頭という北海道では突出した数のヒグマを捕獲している遠軽町だが、これだけのヒグマを防除も一切普及せず漫然と殺していることに、文化・文明的な遅れという恥の意識はどうやら持てていないらしい。シカじゃあるまいし、この現代にヒグマの捕獲目標はゼロ以外にない。ヒト側のミスや不十分や怠慢、そしてごく希にヒグマ側の遺伝的要素が捕殺につながることはある。私としては、捕殺の判断もするときは速いが、様々な手法で勝手に遠い彼方のゼロをめざしている。
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種明かし―――スカンクとウルフ
二人の先生───スカンクとオオカミ(StripedSkunk&GrayWolf)
■悪いクマ―――問題性と異常性
原則的に、私が問題を起こしているヒグマを評価するとき、仮にある場所で多数のヒグマが次々に問題を起こす場合はその場所に何らかの問題があると疑い、1頭のヒグマがあちこちの場所・ヒトに対して問題を起こす場合は、そのヒグマに問題があると判断する。つまり、ヒトにとってのヒグマの問題性ではなく、そのヒグマの異常性を基本的な判断の尺度として持っている。
ある人がフキを採りに沢に入ったら、そこでちょうどフキを食べていたヒグマとバッタリ遭遇を起こし攻撃を受け怪我をした。この場合はどうだろう? ヒトがヒグマによって負傷しているのだから、ヒトからすれば大問題だが、加害グマに、じつはさしたる異常性が見られない。恐らく、ヒトもクマも不注意でバッタリ遭遇は起き、その状況があまりに切迫していたためにそのヒグマは咄嗟に手を出してしまったのだろう。この手のヒグマは、ヒトと問題を起こしておきながら、その後、雲隠れしたように音沙汰なくなってしまう。どこかで普通のクマの生活を送っているのだろう。遭遇し怪我をした人には「今後注意してくださいね」くらいの言い方を私ならするし、クマに対しても同様で、このクマを追い回して捕殺する根拠は持たない。
もし仮に、そのクマに悪い異常性があった場合は、似たような負傷者が出たり、あるいは危険な遭遇・目撃が相次ぐことになる。この場合は、あらゆる手を尽くして捕殺の態勢で臨むが、実際は、誰かが怪我する前にその異常性を感知することに神経が遣われ、もしあるクマに危険な異常性が確認できれば、即座にそのクマをマークし、場合によっては捕殺のスタンスで対する。実際、私のパトロールは「クマがいるかいないか」ではなく、あらゆる面から見て「危険度の高いクマがいないか」、その予兆も含め見て歩いている。
人里のリスクマネジメントでも同様の尺度が利く。要するに、ヒグマとの間に問題が生じたとき、何でもかんでも「クマが悪い」としていると、いつまでたっても対ヒグマのスキルが向上しないのだ。スキルも知識も持たず傲慢に振る舞っていると、結局、被害の解消に近づいていかない。それは北海道が100年かけて立証してきたようなもの。厳しい言い回しに聞こえるだろうが、人身被害にせよ経済被害にせよ、山奥にせよ人里にせよ、本気で被害解消をめざすのであれば、あまりヒト本意に偏らず事実本意考えるべきだろう。そのスタンス上で、ヒグマの異常性というのは、我々がヒグマ問題を解消していくうえで堅持しうる最も信頼に足る尺度である。
このクマは2011年の調査で8月下旬から引っかかって来た個体(推定4歳・オス)だが、無防備なデントコーン農地に降りる習慣を持ってしまっていた。まず100%デントコーンを食べているので農家の経済被害を出しているヒグマということができる。しかし一方、ヒトそのものと人為食物(お弁当やお菓子・ジュース)を関連付けて覚えておらず、一大観光エリアに活動しながら、観光客・キャンパーに遭遇したことはおろか、目撃されたこともない。つまり、ヒトに対して一定の警戒心を既に獲得した個体ということができ、ヒトを十分避けて活動していることから危険性の低いヒグマと判断できる。
また、電気柵を前にしたこのヒグマの行動を三台のデジタルセンサーカメラで動画撮影し確認したところ、この個体が完全に電気柵を学習し忌避していることがわかった。
この場合のこの個体への対応判断として、道庁・振興局は捕獲を簡単に許可するが、実際、箱罠を仕掛けたり、銃器を発砲するリスクに加え、この個体を捕獲し欠落させたあとのディメリットのほうがはるかに大きいだろう。
この写真の向こうには別件でひとつの箱罠が置かれているが、この時期の風向きからすれば、このクマは箱罠に仕込まれたシカ死骸を十分感知できる状態にあるにもかかわらず、それにかかる気配はない。道庁の捕獲許可の判断がこの次元だと、各自治体の鳥獣行政担当者に合理的な判断を要求するのも酷なようにさえ思えてくる。今後、数少ないかも知れないが専門家を駆使、いや酷使し、各地のヒグマの事実を把握し、精度の高い合理的な判断ができるよう踏み出してくれることを期待する。
現在、北海道ではヒグマの危険度・異常度を測るための対応基準が出されている。例えば、「ヒトを見ても逃げないクマは捕獲対応」とする項目があるが、残念ながらそれは必ずしも正しくない。実情をよく考えた場合に実効力のある判断材料となっていないのではないか。それは、同じく学習し成長するヒトで考えればわかりやすい。「パンツ一丁で走り回るヒトは異常者である」とした場合、それは大人に成長したヒトに適用できる尺度で、幼稚園児がそれをやっても「あら、かわいい!」となるだけだろう。つまり、母親から離れ、いろいろを学習している最中の若グマには、上の判断は単純に適用できないのだ。極端な話、北海道の出している基準では、仔熊のほとんどは異常性を持った危険なクマ、となる。が、それはヒトや人里に対して警戒心を持つべき成獣ヒグマの尺度として異常に見えるだけで、仔熊としてはいたって正常な状態なわけだ。現在の北海道では特に、人里周りに若い個体が多く活動していることが多いだろう。その環境において、若グマに焦点を当てない対応判断は、往々にして不合理を含んでしまう。
仮に10歳以上のごくごく普通に暮らしている成獣ヒグマを正常と表現するなら、仔熊・若グマの異常性というのは無経験・無知であることによるもの。餌付けが絡んだいわゆる異常グマ・危険グマの異常性は、逆に何かを学習した結果現れた悪い異常性。つまり、経験・学習ということにおいてまったく正反対の事象を一括りにしているのが、上述北海道の出している判断基準なのである。特に人為食物で餌付けされ異常性を帯びた個体の更生などは極めて困難だが、経験の乏しさ・無知・未熟による異常性ならば、知らしめることによって行動改善を狙う余地は十分にある。
少なくとも現在の北海道では、親離れの段階で十分ヒトとの関係・距離感を学び終えることはできないように思う。ヒトが「いてもいいですよ」と言えるところまで、ヒトにとって必要なことを学習しないのだ。これにはヒト側の度量の問題もあるが、若い母グマは早期に子離れする傾向があるため、若グマ(若いメス)が増えた人里周りでは、さらにその傾向が強まる可能性もある。パンツ一丁の幼稚園児を糾弾するレベルの一律の基準ではなく、もう少しヒグマの成長過程に配慮する基準が必要だ。学習過程にあり、まだ経験が浅く無邪気で好奇心旺盛な若グマに対し、刹那的で軽率な行動をもって即捕殺ではなく、追い払い等の行為でヒトが許容できる段階まで学習させ、行動改善をめざすべきだろう。
野生動物の保護管理では生息域コントロールと生息数コントロールがよく取り沙汰されるが、高知能かつ寿命の長いヒグマという動物に対しては「性質コントロール」が重要課題となる。また実際問題、生息域コントロールといっても追い払い・電気柵などの効果的な手法なしにヒトが勝手に決めた境界線を保持できるはずもなく、現在の北海道における生息数に関しては信頼に足るデータは得られていないが、自然環境的(生態学的)な適性生息数上限をはるかに下回っていると思われ、人間環境的な適性生息数(許容量)を考える必要がある。つまり、ヒト側のスキルがアップすれば、ヒトが「いてもいいよ」と許容できるヒグマの数が増やせるし、被害も減少に向かわせられる。
例によって定性的な議論にしかならないが、仔熊から親離れを経て成獣になっていくヒグマの、「人間側からの許容性・合格ライン」のグラフを定性的に描いてみた。あくまで模式図だが、母グマによる教育を初等教育と呼ぶとすれば、いま問題にしている若グマ教育は中等教育にあたり、その後は自律的な学習・成長ということになるだろう。
グラフA:現在の北海道で最良な成長曲線
グラフB:平均的な成長曲線
グラフC:母グマが育児期に捕獲された場合の成長曲線
グラフD:悪い学習を定着させている母グマによって育てられた場合の成長曲線
「仔熊は異常グマだ」という論は、仔熊が若グマ以上に「無知で無邪気で好奇心旺盛」なため、ヒト側から見た性質の合格ラインをはるかに下回っているためだが、通常、母グマの制御下にあるので、ヒトとの間に問題が表面化してくることは少ない。問題が出るのはその制御が外れたとき、つまり親離れを境にしてしばらくだ。初等教育がヒトにとって好ましいようになされていれば、若グマになって少し手を添えてやるだけで自然にヒトが十分許容できるヒグマに成長するだろうが、そうでない場合、追い払いや電気柵など、これまでになかった手法で積極的に教育してグラフを上に持ち上げてやらないと、現代の若グマはいつまでも許容範囲に到達できない。端的にいえば、それがヒト側の第一のスキルアップと表現できる。
一方、ヒト側の合格ラインを引き下げ許容度を上げてやることも必要だ。「クマ→捕殺」という自動的な図式ではなく、個体識別をし、その個体の性質を見定めた上で、「こいつなら居てもいいかな」と容認するスタンス。つまり、ヒグマ側のヒトへの学習度(グラフ)を持ち上げつつ、合格ラインを下げてやることで、折り合いを付けていこうというのが、一つのめざせる合理的モデルということになる。
北海道・自然環境課提供 |
上は 2011年8月9日現在、駆除によって射殺・捕殺されたヒグマの年齢構成をグラフにしたものだが、捕殺の年齢割合としては例年、概ねこのような傾向で推移している。今問題としている成長過程の若グマの捕獲数割合が圧倒的に高く、「若グマ」にどう対応するかがヒグマ保護管理の肝であることがはっきりしている。また、このグラフと先述の前掌幅分布のグラフを見比べると、北海道各地において、大なり小なり私の調査エリアと同じ方向のヒグマ社会の変化が起こっていると推察できる。少なくとも21世紀に入ってからの箱罠への依存・過剰な駆除が推察できる。
人里周りで増えた若グマをこのように捕殺しても個体が入れ替わるだけで堂々巡りにしかならず、次年度以降に効果的につながっていかない。5年後も10年後も同じ状況かさらに悪化した状況に対して同じ捕獲を繰り返していくぐらいしか手がないが、今後の猟友会にそういう未来を期待して押しつけられるのかという不可避な疑問がある。つまり、この部分を追い払い・電気柵などの若グマ教育にシフトしていくことで、被害・危険度の減少とヒグマの生息数保全を両立させることが可能となる。
問題は、そういう作業のできる人材である。近距離からゴム弾をヒグマに撃ち込んだり轟音玉を投げつけたり、ましてや至近距離からスプレーを吹きかけたりするのことには、ほとんどのハンターは二の足を踏む。恐らく、生粋のクマ撃ちなら銃を持たずとも若グマ対応が十分可能だ。そして、やはりクマ撃ち同様、現場の山を這いずり回って活動してきた実践的ヒグマの専門家を頼りにするしかない。
どうして北海道ではこれほど顕著な捕獲一本槍もしくは捕獲偏重になってしまったのか? そこには、北海道の政策の過失・怠慢もあるように思われる。北海道におけるヒグマ駆除は狩猟とは別の『北海道鳥獣保護事業計画書』という長い名の「指針」にしたがっておこなわれうる。その「指針」の基準となっているのが、環境省から降ろされている『鳥獣保護事業計画の基準(環境省告示2号)』で、根拠法はいわゆる『鳥獣保護法』。これらの法・告示・指針を鳥獣三点セットなどと私は呼んでいるが、要するに、北海道では絵に描いた餅で現場でまったく機能していないのだ。国は都道府県知事に「ちゃんと守らせてくださいね」と告げているが、歴代の道知事はそれを殆ど無視して守ろうともしない。それでは北海道自然環境課にも振興局(旧・支庁)にも「よし、守ってやってみよう」という気運が起こらない。それも人間だから仕方ない面もあるだろうが、各市町村の鳥獣行政に至っては、鳥獣三点セットの存在さえ知らずに駆除を指揮する人さえ多いのが実情なのだ。
このことが要因で起きてこじれている問題は多いが、例えば「防除前提の駆除」という大前提などはヒグマ問題を解消していくためにじつは必要不可欠な要素にもかかわらず、今なお完全におろそかにされたままだ。農家は防除か駆除か選択せよと北海道に迫られている心地になり、当然コストのかからない駆除を選択する。被害があるから何とかしてくれと行政にいえば、行政が自動的に猟友会にお願いして箱罠を設置したりするわけだが、本当は防除or駆除ではなく、少なくとも防除and駆除なのだが。
問題は結果だ。駆除一本槍というのは北海道で100年ほど漫然と続けられてきているが、それでヒグマ問題が解消に向かったか?という命題に突き当たる。経済被害が効果的になくなり安全な人里が出来上がったか? 否、解消どころか、被害は拡大し、人里は危険となり、昨今では市街地出没まで普通に起きているのが現状だ。
ヒグマを止める実力
無闇にヒグマを殺してそのエリアから欠落させることにより、被害・危険度の解消に必ずしもつながっていかないことから、無分別なヒグマの駆除は慎み別の方策「追い払い」「電気柵」などにシフトするというのがここに書いた論調だが、では、ここまで書いてきた努力をしたにも関わらず危険な異常グマが万が一出来上がってしまったらどうするか?という問題が不可避にある。その場合、そのクマをできるだけ速やかかつ確実に仕留めて取り除くしかないが、その最後の砦となるのがクマ撃ちだ。地域そして北海道は、その最後の砦を失ってはいけない。だが現在、北海道ではヒグマを山で対峙できるクマ撃ちが風前の灯火である。このヒグマの捕殺能力に関して、年配者から若手へ、各地域間のクマ撃ち同士、縦・横の情報交換を密に行いヒグマを仕留める技術を伝承していきつつ、危険な異常グマをピンポイントで捕殺するという重要な作業ゆえ、単に猟友会という趣味・ボランティアの枠ではなく、公的な権限で責任と保障をともにしっかり付与してプロとして雇い入れる必要があるように思う。この点、同じ危機管理という意味で消防や警察と同様である。若グマの忌避教育を担うヒグマの専門家なり、最後の砦のクマ撃ちなり、いずれも公的なプロでなければなかなか成立していかないだろう。しかし、成立させなければ、北海道におけるヒグマ対策、被害防止、安全確保が破綻するのは時間の問題でもある。「いつかやります」ではなく、いま手をつけはじめなくてはいけないことのように感ずる。
あとがき―――さらば、前世紀のクマ対策
アラスカの原野で学んだひとつのこと。それは、生きることは殺すこと、という真理。アラスカの森の生活では魚でも獣でも、食うためには殺さなくてはいけないし、殺せば必ずありがたく食った。それが身に染みついている私は、もしかしたら日本の動物愛護団体からはにらまれるのかも知れない。別に私が動物愛護の精神を持っていないわけではないとは思うが。しかしながら、北海道でおこなわれている野生動物の殺しは、私が長く体験してきた殺しと、どこか本質的に異なる。シカをバタバタ殺し、粗大ゴミとして処分場へ持っていく。ただ経験が浅く無知で無邪気で好奇心旺盛な若いクマを、問答無用で容赦なく射殺する。無意味で、ときに粗雑な殺しが蔓延しているように感じる。
北米の開拓期にバッファローやオオカミ、ヒグマにおこなわれた無茶苦茶な殺しが、まるで再現されているかのように感じるときさえある。ただクルマで林道を流し、偶然見つけた動物を撃つ「流し猟」に北海道の狩猟形態が移行してきたのが、大きな理由だろう。私の教わった狩猟からはあまりにかけ離れている。風を感じ、音を感じ、においを感じ、一歩一歩そっと地面を踏みしめて獣に接近し、あるいは待ち構え、静まりかえった気持ちの中で一発の銃弾を発射する。それが狩猟だと思ってきた。オオカミに対するエアリアルハンティングは、道のないアラスカ流の流し猟だが、それには、狩猟者からも非難の声が上がっている。北海道のハンターにそういう感覚はあるのだろうか。
子供のゲームのように野生動物を殺そうが、ゲラゲラ笑いながら殺そうが、私が「嫌いだ」と言っても何の役にも立たないが、若グマが無意味に射殺されるのを見て押し黙るのは卑怯というもんだ、少なくともわたしの感覚では。別にクマの肩を持つわけでもなく、かといってヒトのやっていることなら何でも支持するわけでもないが、ヒトとクマの間に強引に割り込んで立ち回っているというのが、残念ながら現在の私の状況だろう。
ここにまとめた対ヒグマリスクマネジメントは、アラスカにおけるテン場(野営地)のリスクマネジメントが元になっている。つまり、「食糧の管理」と「自分の空間の誇示」そして、それらに失敗したときの「捕殺能力」 私自身は、この三つを自分なりに最大限に精度高くおこなうことでなんとか生存を維持してきたが、このアラスカの原野における原則が北海道の人里に適用できることを、北大雪の中山間地域の12年で確かめることができた。人里の安全を確保し、様々な被害を解消しながら、なおかつ多くのヒグマを近隣の山に生かしてヒトが暮らすことは、現在の知識・技術―――これらは優れたクマ撃ちや研究者・専門家などが蓄積してきた結晶のようなものだが―――によって達成できる段階に現代はある。問題は、それをおこなう意欲があるか否かだ。
冒頭に書いた人里周りのいろいろな混乱は、ヒト側が引き起こしたヒグマ社会の攪乱、つまり様々なヒグマの配置や年齢構成が一つの大きな原因として起きている。若グマが人里周りに増えたことが最も大きな原因なのだ。ではこの若グマを人里周りで安全に、なおかつ安定的に減らすためにはどうすればいいか? それは、できるだけその若グマを殺さないことである。若グマはいつまでも若グマではない。成長し孤立性と警戒心を得て成獣となっていくものだが、それまでの間に、できる限り我々の望むようなことを若グマに擦り込み、積極的に学習させていく。そのことで、現在の若グマがいっぱしの成獣となる頃には、少なくとも以前のレベル以下に人里・市街地への出没は収まるようになっているはずだ。残念ながらゼロにはできないと思うが、限られた個体の希な出没であれば、今後の鳥獣行政・ハンターでも対応可能だろう。市街地出没・農地被害等の問題数自体を減らしていかないとどうにもならない現状から、「殺すことから教えることへのシフト」は十分道理にかない、また現実的な方向性だと思う。
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