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《お知らせ》

「ヒグマ出没!ガオー!」という従来の看板を改め、
「いこいの森」周辺では、
このような事実本意の看板を
設置しました。


派手なデザインで
地味な活動をアピール
「ベアドッグ」





「白滝ジオパーク」

北海道・来たら白滝!


丸瀬布におけるトライ―――ヒグマ制御と教育の試み

 北海道の現況概要

カギは若グマ
 人身被害の危険性に関していえば、北海道で出没騒動を引き起こすクマは、総じて親離れから2〜3年の若グマだろう。そして、人里周辺で軽率に目撃され射殺・捕殺されるのも、この若グマが圧倒的に多い。「ベアカントリーに踏み入る」で示した「若グマ型」だ。学習能力の高いヒグマだが、ヒトの活動もクマスキルも千差万別な北海道では、母グマに育てられる1〜2年の幼児期にヒトが受容できるところまで十分いろいろな事を学ぶことができない。特にヒトや人里に関して経験をまだ十分積んでいない若グマを
「無知で無邪気で好奇心旺盛」というフレーズで私はよく表現するが、まさに仔犬同様、無警戒に行動するので、ある意味厄介なクマでもある。
 左図は2011年の8月までの北海道におけるヒグマの捕獲を年齢別にグラフにしたものだが、道内では例年、概ねこの年齢構成でヒグマの駆除がおこなわれている。5歳以下の若いクマの捕獲割合が73%を超え、いかにそれぞれの地域で若グマの扱い、あるいは対策がカギとなっているかが理解できるだろう。このグラフでは「13歳以上」として括ってあるが、実際は30歳近くまでグラフの横軸は伸びている。

 この若グマは、確かに警戒心が乏しいとはいえ、いわゆる危険性の高い「餌付けグマ」「異常グマ」ではない。単にヒトや人里の経験が浅く無知で無邪気で好奇心旺盛、つまりヒトや人里に対しての学習途上段階にあり警戒心が薄いクマなのである。幼稚園児に対し「社会人としての分別を持て!」と叱るのも滑稽なように、高知能で30年近くも成長するヒグマに対しては、年齢に応じた判断基準もあれば教育方法もある。

 従来の北海道のヒグマ対策では、クマの個体識別や異常性の判断、あるいはヒグマの成長段階を抜きに「クマ=危険」「クマ=害獣」という画一的でいささか短絡的な見方で「クマ→殺せ」としてきた。この価値観や方法論は開拓期以来のものだ。結果的に、100年間問題が解消することなく、今や泥沼化し解消の方向さえ混沌としている中山間地域も多い。クマはとにかく殺せば安全だという論は、いまや神話か伝説にしかなっていない。事実は、はるかに異なる場所にあるように感じられる。

 野生動物の保護管理では
「生息数管理」「生息域管理」が取り沙汰されるが、高知能で学習能力が高く20〜30年にわたって成長するヒグマという動物に対しては「性質コントロール」が最も重要なカギになる。つまり、ヒトでいうところの教育なり文化なりだが、若グマに対するこの刷り込みを「若グマの忌避教育」と呼んでいる。忌避とは「嫌がって避ける・警戒して遠ざかる」という意味。特に若グマに、ヒトおよび人里に対して忌避心理を抱かせるのが忌避教育である。山で釣り人や山菜採りに接近されたら興味本位で近づいたりじゃれついたりせず速やかに遠ざかる、あるいは人里へはフラフラと降りない、という性質・性癖を若い段階でしっかり教え込もうという狙いだ。
 この特に若グマへの忌避教育を大前提とし、突発的に市街地・住宅地に降りて今まさに危険を及ぼしている個体や、人為物を食べてヒトや人家に執着するような危険個体をピンポイントで捕獲して取り除いていくスタンスで、結果的に適性生息数は維持されるのではないか。
 その方策には、
各種「追い払い」・電気柵・バッファスペースなど幾つかの有効な方法が現在までに検証され、あるいは効果を期待されつつ北海道各地で試されている。猟友会・ハンターの高齢化・減少・空洞化が進み、従来の捕獲一本槍の政策が破綻必至ということも踏まえ、早急に合理的なヒグマ対策にシフトしていく必要があるだろう。



 丸瀬布「いこいの森」観光エリア概要―――丸瀬布における「自然環境」と「人間環境」

 湧別川水系の中上流部に位置する丸瀬布・武利方面は、北海道に典型的な中山間地域であり、形状としては河岸段丘に沿った線状の農地帯・人里が山塊に深く食い込んでいる。周辺の山(北大雪山塊=北見山地)はオホーツク海側の最高峰・武利岳を擁する深く険しい山塊で、最終氷期の名残で氷結が散在し、アカエゾマツ林、ナキウサギの生息地、コケモモ群生などが人里エリアの標高から見られる。山塊全域で比較的ヒグマの生息数が健全だが、シカとともに酪農を主体とするこのエリアの農業と軋轢が生じている。
 このエリアの特徴は支流武利川沿いに町の運営・管理する人気アウトドアレジャー基地「いこいの森」が存在することだろう。キャンプ場、パークゴルフ場、温泉やまびこ、昆虫生態館などの町営施設ほか、マウレ山荘、釣り堀、観光果樹園など様々なアウトドア施設が「いこいの森」周辺に散在する。ここを訪れるキャンパーは町営施設だけで年間のべ12万人を越え、道内のオートキャンプ場では集客力上位を誇っており、本州方面からのキャンパーも多い。また、丸瀬布は「昆虫の町」として知られ、特に夏休みにはカブトムシ・クワガタを探して深夜から早朝に懐中電灯片手に「いこいの森」周辺を歩き回る子供たちも多い。さらに、現在遠軽町が推進している「白滝ジオパーク」におけるジオサイトも点在し、ジオツアーのルートなども武利〜大平高原へ伸びる。

      

 2007年前後に「いこいの森」の半径約5qの調査エリアで確認された痕跡・現物等から推定できたヒグマの活動数は25±5頭。もちろん把握漏れがあるだろうが、うち約半数が7月〜9月の時期に武利方面の人里・農地に降りていた。その後、若グマの増加傾向が続き、「いこいの森」東側のヒグマの活動状況からこのエリア全体を推測すると、若グマだけで倍近くに増えている可能性がある。(※1)
 「いこいの森」エリアの特殊性は、観光エリアと農地帯が混在しているところ。ヒグマの知識と防除対策が遅れてきたこのエリアでは、明治以来の捕獲一本槍のヒグマ対策が漫然とおこなわれ、結果、農地被害のみならず、人里内での人身被害の危険性が慢性的に高じてしまっている。ヒグマ側の社会を攪乱し変化をもたらしたのは、シカ駆除の隆盛箱罠の本格導入が原因としては大きいと考察される。
※1:エリア内にあるあるデントコーン農地で確認された東側で往き来する降農地個体数は、2007年から2012年で2-4-4-7-13-15頭(仔熊含む)と変化しているが、一定の法則に則った入れ替わりが見られる。また、この数字はシカ用電気柵の普及段階における周辺農地の影響を受ける。


パンドラの箱
 2004年の箱罠導入による大量捕獲後、調査をするのも悲しくなるほどヒグマの痕跡がさっぱりなくなったある沢沿いにクマの痕跡が戻って来たのは、1年半後の2006年初夏。CN(コードネーム)06a01、荒太郎と呼んだこの若グマはアスファルト路面脇のアリの巣をめくって食べるのが好きで、追い払ってもたびたび私の前に姿を現したが、結果、若グマ忌避教育の第1号となった記念すべき個体だ。このクマに張り付いて調査をし始めてすぐ、荒太郎より1歳年下と思える真っ黒でコロコロ太った若グマを同じ斜面で確認したかと思うと、立て続けに沢沿いに2qほど下ったところで、もう一頭の若グマらしきを感知した。沢沿いのまばゆいばかりのフキの群生がきれいに残った前年から、再びクマの派手な食痕で賑わしくなった。クマが戻ったのはいいことだが、この沢沿いに観察したことが、すべての予兆だった。
 私は浮かれるような急かされるような不思議な気持ちで朝から晩まで節操なく山を這いずり回って調査に明け暮れたが、歩けば歩くほど、それは不安と焦燥に変わっていった。私の知らないヒグマの摂理が、沢となく斜面となく、いたるエリアで若グマを増やしているように感じられた。この年、特に目的もなく「いこいの森」に侵入する若グマが2個体現れたが、これもまた一つの予兆だった。
「後手を踏んだ」―――苦い顔でそう思った。

 それにしても、これらの若い個体はどこから来たのか?地面から湧いて出るわけではなかろう。詳しい調査ができなかったが、人里周りの私の調査エリアの一歩外に、比較的ヒグマの活動が閑散とした空間があることに気がついた。恐らく、荒太郎ら一部若グマの出身エリアはここなのだろう。そして彼らの新天地には、エサ場・休憩場所など若グマにとって有利な条件が揃っているのだろう。
 この変化で、従来の北海道的因習からすれば当然箱罠を置くなり銃で射殺するなりして無差別に間引くという方向になる。鳥獣行政・猟友会はそのお決まりのパターンで動いたが、それをおこなっても、若グマ動向の大勢にほとんど変化はなかった。丸瀬布全域で年間に数頭、偶然のアトランダムで捕獲したところで、ほとんど効果は現れてこないように思えた。

 昨今、従来の釣り・山菜採り・昆虫採集・キノコ狩り・観光名所見学(滝や湧水)に加えMTBによるサイクリング・夜間の昆虫採集・犬との散策などなどレジャー形態も多様化していて、このような観光エリアでは簡単に銃器が使えず、罠も不用意には用いることができない。派生するリスクが大きすぎるのだ。
 クマの駆除をおこなう猟友会の捕獲能力の減衰が進み、捕獲が必要なクマではなく、イージーに獲れるクマを刹那的に殺すだけの傾向がますます強くなり、捕獲数と被害の解消度はさらに乖離した。駆除一本槍が破綻必至となっている現状も踏まえ、2006年の荒太郎を含む数頭の若グマに対して、ベアスプレー・轟音玉などを用い積極的な「追い払い」をはじめた。

 山塊の幾つかの沢筋に沿って調査を並行してきた結果からは、奥山・稜線筋まで含めた山塊全体のヒグマの生息数に関しては、はっきり数値でわからないものの、微増もしくはゆらぎの範囲としか変化は捉えられなかったが、人里周りでの若グマ増加傾向は急で、2012年現在なおそのスピードが鈍っていないように思う。ヒグマの防除対策が皆無のこのエリアでは、山の実の豊凶にかかわらずデントコーンで十分な食い溜めがおこなわれ、増えた若グマのうちメス熊は順調に子を産んで新たに第2世代の若グマを産出するようだ。2011年、「いこいの森」から2q以内で把握できた親子連れが三組。すべて若い母グマで、仔熊の数は2・2・1で5頭。2012年には8月までに半径5q内で現認した2組を含め、最低でも4〜5組の当歳子を連れた親子が活動していると判明した。把握漏れもあると推察できることから、現在のこのエリアのヒグマの生産性は「非常に高い」と表現できるレベルだろう。つまり、駆除一本槍政策の元での無分別な捕獲、防除の欠落、威圧の不足など一定の条件が揃うと、人里周りで局所的に若グマの増加は二段構えで起きてしまう可能性がある。

 問題は、どうしてこのような「若グマのるつぼ」が人里周りにできあがってしまったかということだが、いろいろな角度から可能性を洗い出し、現実に起きていることと矛盾する説をひとつひとつ消していった結果、ようやくひとつの仮説にたどり着いた。
 「クマが急激に増えた」「激増した」と慌てたハンター・鳥獣行政は、短絡的に「クマを獲らないからだ」と結論を言い、当然の流れで2006年以降「もっと獲れ」のスタンスに傾いた。そして、罠が利かないtrap-shyグマが増える中、さらに箱罠を年々増やしてフル稼働させつつ、2008年前後まで、シカ駆除で林道を流す駆除ハンターが国有林内で偶然見かけたヒグマに対し区別なく発砲するという、現代では意味不明なヒグマ駆除まで横行した。
 ところが、そういった駆除の根拠になっている「クマを獲らないから増えた」という論は、まったく論拠を欠き、丸瀬布における過去に渡るヒグマの捕獲数を分析すると、むしろ逆の結論しか導けなかった。
 それは、下のグラフを見ていただければ比較的明白だろう。

 このグラフのように、過去30年間(1982年〜2011年)の丸瀬布におけるヒグマ捕獲数(道庁データ)をグラフにするとわかりやすいが、転機は二度ある。1度目は1990年の春グマ駆除廃止。2度目は2004年の箱罠導入によるヒグマの大量捕獲。通常、春グマ駆除廃止でヒグマの年間捕獲数は減るところだが、丸瀬布では逆に増加した。春グマ駆除時代1〜2頭捕獲だったものが、廃止と同時に2〜6頭に倍増している。ただ、この捕獲数でそれなりに安定したヒグマの生息数とヒグマ社会(配置や年齢構成)が保たれていたように思う。少なくとも、現在のようにヒグマの目撃が多発したり、市街地周辺への出没がたびたび起きたり、あるいは毎年何件かのクマとクルマの衝突事故は発生しなかった。
 そして問題の2004年。たった2器の箱罠を用い局所的エリアで11頭のヒグマが次々に捕獲されたが、これがパンドラの箱だった。翌05年には、絶対数が減ったことと、罠にかからない個体が選別され生き残ったことが起因して、箱罠による捕獲数がガクンと落ちた。ところが、2006年、武利の人里から半径5qのエリアで、若グマが増加に転じていた。その影響が人里に顕著に現れ始めたのが翌2007年。農地被害の件数・被害額・目撃数・遭遇数すべて増加し、実際に降里・降農地ヒグマの数が増えているように観察された。その後、捕獲数を除くすべてのパラメータに関して、過去30年間に見られなかった高い水準で増加傾向を伴い2012年まで推移している。

 2004年の大量捕獲後の2006年以降、ヒグマの捕獲数が2003年以前とさほど変わらぬ数値を示しているが、これをもって「人里周りのヒグマの活動数、もしくは降里数が元に戻った」とは残念ながら捉えられない。ここにtrap-shyが絡んでくる。
 このエリアには、いわゆる「クマ撃ち」が存在しない。必然的に箱罠への依存度が高く、このグラフの捕獲ヒグマの多くは、「trap-shyにかかっていないヒグマのうち捕獲された個体」であって、trap-shyグマはこのグラフ上には姿を現しにくい。trap-shyグマが生じはじめたのは箱罠元年の2004年、その後trap-shyグマの数・比率はともに増加の一途をたどっていると考えられる。したがって、2004年以降、捕獲個体のうち冤罪グマ比率が高く、問題個体が野放しになっているため、箱罠捕獲の根拠となっている被害自体が減るどころか増え続けているのが現状だ。

 つまり、「(2006年以降)何故人里周りにクマが増えたか?」という問いに対し、「獲らないからだ」というのは、少なくともこの山塊の麓の町では成り立たない。この捕獲数推移を論理的に読み解けば、むしろ「無闇に獲り過ぎたから」と結論せざるを得ない。

―――はたしてそんなことが起こりうるのだろうか?
 私自身疑念を持ちつつ、2006年からそこに一つの焦点を定めながら、調査とパトロールと若グマへの追い払いをおこなってきた。若グマ増加のメカニズム仮説が信憑性を帯びてきたのが2008年。調査エリア内に親子連れのクマが4組ほど感知された年だった。
 それを機に、2009年以降は「いこいの森」周辺に調査エリアを縮小し、集中的にそこのヒグマの動向を追った。観光エリア内のデントコーン農地に4頭降りていた若グマが、2010年に7頭を数え、2011年には仔熊3頭を含めて15頭前後にのぼり、そのすべてが5歳未満のクマであると推測された。この状態をもって、私は「若グマのるつぼ」と表現している。

山からの集中―――人里罠?
 ただし、これはあくまで「人里周り」における局所的な若グマの増加であって、山全体でヒグマが増えているわけではない。武利川水系の幾つかの沢筋に沿って稜線筋までのヒグマの調査をしてきた結果からは、正確な数字は出せないものの、感触としては「微増」もしくは「変化なし」で、ヒグマの活動数は、少なくとも「ゆらぎ」の範囲にあるように思われる。北大雪山塊全体の、あるいは湧別川水系全体のヒグマの生息数についてははっきりわからないが、現象としては、山のヒグマを人里周りに引き寄せてコンパクトに集中させ、被害と捕獲を続けているイメージだ。
 現在のこの状況を端的に表現するとすれば、人里が一つの大きな罠となっている状態だ。人里にはヒグマが好み、また高栄養な食物が沢山ある。その食物が無防備であれば、必然的に多くのヒグマを山から引き寄せ、それらの有力なエサ場となる。無防備であれば、野生動物としても、それを制御しようとしている我々としても、これは止められない。避けることができず農地や里に降りたヒグマを罠や銃器で捕獲(捕殺・射殺)しているのだから、多くのヒグマを人里にエサでおびき寄せ駆逐する
「人里罠」と表現してもさほど的外れではないだろう。
 では、その人里罠がどの範囲のヒグマを捕獲しうるかとなると、それがはっきりしない。だが、この山塊の大型オス成獣が、峠を越えて40qの道のりをたった2〜3日で踏破してしまうことがらすると、北大雪山塊全域、あるいは天塩山塊、置戸のほうからも遠征個体があるかも知れず、捕獲範囲はかなり広大となるかも知れない。防除重視の合理的なヒグマ対策がおこなわれている近隣の地域で、せっかくヒトと折り合いを付けて暮らしていたヒグマを、この人里罠で殺してしまうことも、まあ、なくはないだろう。これは、ヒトにとってもヒグマにとっても決していいことではない。
 また、ヒグマをおびき寄せる大きな罠と化した人里に暮らしているヒトにとっては、たまったものじゃない。子供一人安心して外で遊ばせられない人里は、こうしてできる。

補足)
 遠軽町には「星空を見るツアー」などがおこなわれる遠隔農地(山上農地)「大平高原」がある。ここは無人で人里から道のりで7〜8q離れたヒグマ生息地のど真ん中だが、ここで無防備にデントコーンを栽培し、必然的に起きるヒグマ被害に対して、精力的に箱罠を仕掛けて捕獲している。もちろん、冤罪グマの量産状態で、10月には大規模に移動して山の木の実を食べ歩く大型オス成獣などもコロリとかかり射殺されることもさほど珍しくない。駆除をおこなう猟友会はヒグマの個体識別などほとんどせず「4頭獲った」「今朝も1頭」と数でしか考えないので、もちろん、上のような現実を認識もしないだろう。「人里罠」に加え、このような意味不明の誘引捕獲を延々繰り返しているのが、残念ながら現状ではある。

ヒグマ活動状況地図
(←)「いこいの森」周辺のアウトドアエリアにおけるヒグマの出没認知地点とよく使われる移動ルート。ここに示したヒグマ認知ポイント()は、原則的に通常の4WDで行ける場所のみで、「ヒトとヒグマの交わり(接点)」を示している。ポイントされていない山林部に関しても、同様のヒグマの活動状況があると考えていい。調査をして地図に落とすと多いように思うだろうが、山塊としてのこのヒグマの生息・活動状況は、天塩・大雪などの周辺山塊に比べ特に多いものとは思われない。
 ただし、この酪農エリアではこの10年ほどで牧草からデントコーンへの飼料作物転換がおこなわれており、デントコーンによる餌付けが起きる8月・9月はヒグマの活動がデントコーン農地周辺にコンパクトにまとまってくる。
 同じ時期・同じエリアに、一方で膨大な数の観光客・キャンパーが訪れ、他方で周辺のヒグマがエサ場を求めて寄ってくる状況のため、捕獲を基調とした従来的北海道のヒグマ対策では安全確保が不可能に近い。
(←地図A)


※2011年9月現在のヒグマ捕獲数はこちら
 2005年に遠軽町・丸瀬布町・生田原町・白滝村の4町村が合併し広大な新・遠軽町となったこのエリアだが、行政・猟友会の現場では旧町村単位の対策がとられ、ヒグマ対策では混乱さえきたしている観がある。2007年の網走管内市町村のヒグマ捕獲数(左図)で突出した数値を記録している遠軽町だが、これはヒグマの生息数が遠軽町内に特別多いのではなく、このエリアのヒグマに関する知識・意識が遅れ、実際の対策が不合理であることが残念ながら起因している。
 この捕獲数からすると、さぞかし農業被害は解消しているのだろうと思いたくなるが、実際は、捕獲数が増えつつ、比例するように農業被害も拡大し続けている。因習ベースの捕獲一本槍ではどうにもならないのだ。
 「手当たり次第クマを殺せば被害はなくなる」―――このじつはかなり不合理で事実からかけ離れた感覚・認識から抜け出さない限り、遠軽町ではこの状況が続くだろうし、もちろん早い段階で改善を必要とするが、山間部の一大アウトドアレジャー基地「いこいの森」周辺の「るつぼコントロール」をめざすので、残念ながら現在は手一杯だ。



 上図は「いこいの森」を中心とした主要調査エリアの地図で、GPSで取得したデータをそのままカシミール3Dの地図に落としたナマの図。(地図クリックで拡大図が開きます)ただし、医療のCTやMRIのように均一にスキャンしたものではないので、データ取得には偏りがあり断片的ではある。
 ピンクの点は2011年の10月までのヒグマ出没認知地点。
 黄色が2012年6〜7月中旬の出没認知地点。

 現場の環境を知っていろいろ分析すると読めることは多いが、この地図で視覚的に最もわかりやすいのは、ピンクの点と黄色い点のズレだろう。「季節による移動」といえばその通りなのだが、その移動の原因が、じつはデントコーンをはじめとする人里内の農地にある。
 「いこいの森」の西側・太平周りは、湧別川本流と武利川の農地帯に挟まれているため混沌としてわかりづらいが、東側の二本の大きめの沢(三の沢・51点沢)がわかりやすい。6月に比較的山塊全体に散在しているヒグマの活動だが、7月中旬以降、人里に向かって降りて、最終的に人里内および周辺でピンクの集中した場所をつくっている。この集中ポイントには無防備なデントコーン畑が存在する。
 こういう定性的データの蓄積で、ヒグマの活動状況の経年変化もわかるし、特定の場所の降農地ヒグマの年齢構成や性比の偏りも浮き出てくる。

 あるエリアのヒグマの活動数というのは、
   1.繁殖による生産数
   2.他エリアからの移動
   3.他エリアへの移動
   4.捕獲数=捕殺・射殺数(丸瀬布全体で通常2〜6頭)
   5.自然死(寿命や争い・病気・事故等による死)
   6.交通事故死(丸瀬布全体で1〜2頭)

 概ねこの6つのバランスで決まるが、それぞれ、必ずしも独立したパラメータではない。例えば、捕獲数が上がると空いた空間ができるため、2が増える可能性がある。あるいは、捕獲数が多いということは、通常防除が遅れ農地被害が多いということを意味するので、着床遅延の関係で1が増える可能性があるし、捕獲圧が高ければ、自然死する個体数は必然的に減るだろう。
 また仮に、1・4・6から、丸瀬布全体のバランスのとれた仔熊の数を考えると、単純計算で3〜8頭。親離れまでに自然死する率を25%と仮定すると、4〜10頭毎年生まれれば帳尻は合う。メス一頭あたりの産子数を2頭とすれば、だいたい年に2〜5頭のメスが母グマとなれば、つまり、当歳子を連れた母グマが2〜5頭いれば、丸瀬布のヒグマの活動数はバランスがとれることになる。これが、目安くらいにはなる大雑把な計算だ。
 この目安から、上述した「いこいの森」周辺の局所的なヒグマの生産数・繁殖率は、すでに高い水準にあると結論できる。

 さて、ここに見る「若グマの増加」というのは、要素を二つに分けて考える必要がある。つまり、ヒグマの「数の増加」と「若返り」だ。数の増加からは、比較的単純に農地の被害額・被害件数、そして人里周りの痕跡数の増加が現れる。そして、若返りからは、目撃数・近距離遭遇数そして人里内の痕跡数・市街地出没数の増加が現れる。前者はどちらかといえば、防備・整備が不十分でヒグマのエサ場となっている場所の経済被害。後者は、人里および周辺の、不特定多数のヒトの人身被害の危険性につながっている。若グマは凶悪グマ・異常グマとはかけ離れた無知で無邪気で好奇心ばかり旺盛なヒグマだが、その無警戒・軽率が時としてヒトとの悶着につながる。
 しかしながら、特に箱罠による捕獲に依存した対策では、このるつぼ状態から脱することはもはやできない。リスクマネジメントの原点に戻り、ヒグマを知ることから始め、多種多様な手法を導入し増えた若グマがそれぞれ成獣となりヒグマらしい警戒心を抱くように教育・制御する方向しかない。これが、現段階で私の持てる結論であり、ここに示す対策はその具象化ということになる。

 2011年までの8年間で可能な限りのヒグマデータを蓄積し考察を深めてきたが、その結果は行政を動かすに十分なものだった。核となるべき鳥獣行政をはじめ、農家・住民・来訪者・駆除ハンターと、一向に合意形成が進まぬ中、事態を重く見た観光課職員が安全対策に動き、2010年には「いこいの森」を電気柵で囲う措置がとられた。調査から得られたヒグマの動向を加味して、移動経路と周辺の効果的な場所にはバッファゾーンを配し、さらに準備してきたベアドッグを対策の要に投入して、ようやくヒグマの動向を変えることができた状況である。




「いこいの森」周辺の課題―――出没の構造と対策方向は?
地図B画像クリックで拡大図
 2007年より「いこいの森」内の「温泉やまびこ」にヒグマに関する閲覧用冊子を置き、「いこいの森」受付では簡易版のパンフレットを随時配布したが、一向に観光客・キャンパーの行動が改善されず、近隣で活動中にヒグマと遭遇する事例が収まらないため、ヒグマの側に働きかけ動向自体を変える方策が必要と判断された。
 実際に、クマの往来が激しく閉鎖された町道に設置したデジタルセンサーカメラには、走るクマに混ざって何も知らない昆虫探しの子供たちや釣り人の歩く映像が記録された。

 従来的には、ほかの市町村同様、キャンプ場内に現れたヒグマの足跡や糞をササッと消して、ビクビクしながら運用されていた「いこいの森」だが、あまりにうるさく言う私の声に半信半疑ながら耳を傾けてくれたある一人の観光課職員によって流れは変わった。私は、彼を伴い「いこいの森」周辺に現れたヒグマの痕跡を説明し、彼は興味と驚きをもって私の話を聞いた。私は包み隠さずこのエリアの陥っているヒグマの現状を話すとともに、トレイルカメラ、石灰まき、バッファスペース、電気柵などの有効性を説いた。
 「いこいの森」関係者にとっては、正直「不都合な真実」「知りたくない事実」だったかも知れないが、目をそむけて誤魔化せる状況でも既になかった。彼と私は、ときどきぶつかりながらも、「いこいの森」およびその周辺でヒグマの事故を起こさないという大目標を共有し、不格好ながら二人三脚で様々な対策を繰り出し現在に至る。

 一口に「ヒグマ出没」といっても、「目的地」に出没している場合と、その目的地への移動ルートで感知される場合と、まずこの二つを明確に分けて考える必要がある。「目的地」はヒグマに対する適切な防除がなくヒグマらのエサ場となっている場所だが、ここへの出没は対ヒグマ防除を施す以外、効果的に解消する方策はない。
 人里内にヒグマの目的地・エサ場があれば、必然的にその移動ルート上にヒグマが頻繁に存在することになるが、これに関しては、ヒグマに対して巧妙にいろいろなストレスをかけることでルートを変更、あるいは部分的に遮断することは可能である。もちろん、目的地のエサ場に対ヒグマ防除策を施せば、移動ルート上の出没は自然に消え、特に若グマの単発的・刹那的な出没のみに抑えることができるはずだ。
 このエリアの目的地は、「いこいの森」周辺に広がるデントコーン農地。特に東側の山から降りたヒグマの一部が「いこいの森」を横断、またはかすめる形で移動するケースがときどき見られた。・・・というのは一般に認知できているだけで、実際は、「いこいの森」内の薮を日中の休憩場所にして隣のデントコーン農地に出没していた例さえある。幸いにして「いこいの森」内でバーベキューの残りや生ゴミを覚えたクマはこれまで生じていないので、とにかく「いこいの森」への侵入を防ぐことを優先課題とした。

 2008年〜2010年のヒグマ出没認知地点を地図に落とすとBのようになる(省略あり)。「いこいの森」南端のルートAとその南のルートBが大きなヒグマの移動ルートとして確認できたが、「いこいの森」進入個体、あるいは観光客が遭遇しているのはルートA上だったため、とにかくルートAを消すことに専念し、「いこいの森」から100m以内にヒグマを近づけないことを目標とした。最も問題だったのは武利川右岸に沿って「いこいの森」南にのびている町道だったが、ここを500mほど閉鎖してもらい、この町道を中心にヒグマにいろいろなストレスを加え、ヒグマの動きをコントロールすることをめざした。
 また、ヒグマの移動ルートAを仮に消せたとしても、このエリア全体でのキャンパー・観光客とヒグマのバッタリ遭遇の可能性は残るため、ヒグマのルートコントロールと同時に、このエリア一帯のヒグマ側の性質を一定レベル以上安全な側に改善することが必要と判断された。具体的には、若グマならではの好奇心・興味による「ヒトへの接近」および「じゃれつき」などをなくすことと、バッタリ遭遇時に切迫してヒトに対し攻撃性を発揮しにくいように「逃げ癖」をつけること。概ねその2点である。

 取り組みの一環としておこなった閲覧用冊子・パンフレット・フォーラム・看板設置等のヒト側への働きかけは別の機会に紹介するとし、ここでは特に若グマの行動改善を狙った取り組みについて紹介する。もちろん、実現された若グマの行動改善は、ヒト側の普及にフィードバックされうる。

目標まとめ
1.「いこいの森」に若グマを接近あるいは侵入させないこと。
(「いこいの森」への忌避・敬遠)
2.ヒトが接近したときに速やかに遠ざかり、あるいはバッタリ遭遇時に、若グマ側から即座に逃げる癖をつけること。
(威嚇攻撃・本攻撃および好奇心による接近・じゃれつきの回避)
3.問題性の高い個体、もしくは突発的に危険度が高じている場合以外には、まず非致死的対応で安全を確保する。
(必要な捕殺判断は、立ち入り制限とともに間髪入れずおこなう)
4.北海道指針(北海道鳥獣保護事業計画書)に反した、ヒグマ対策における遠軽町独自のルールを是正する。
(「防除前提の駆除」あるいは「鳥獣行政の認知の元の捕獲」などの実現)

 賢明な読者は不思議に思われるだろう。このエリアに降りて歩き回るヒグマの目的地がわかっているのだから、そこを防除してしまえばすべて解決。その通りなのだが、それには農家の理解を得るか、もしくは行政の理解を得るか、どちらかを必要とする。農家は観光客の安全にまで気を配る義務まではなく、これまでのところまったく理解が得られない状況だ。かたや行政にはあれこれ宣伝してここへ呼び込んだキャンパーや観光客に対しての誘導責任があるが、観光行政にせよ鳥獣行政にせよ現場の職員がその責任に則ったヒグマ対策の必要性を感じて訴えたところで、町長をはじめとする町の幹部が無理解ならば、観光客の安全対策などには予算がつかない現実がある。昨年度も7000万かけてキャンプ場に箱ものを建設したが、客を寄せるためのアトラクションや箱ものにはカネを出しても呼んだ観光客の安全にはあまり支払いたくないという、まあ、世にありがちな現実だろう。


 具体的対策―――取り組みとノウハウ

 具体的対策もくじ ※もくじのページをクリックすると、各ページにリンクしています
      
Page1:1.不用意な誘因物の除去
           2.電気柵
           3.バッファスペース
      
Page2:4.若グマの忌避教育
      
Page3:5.ベアドッグ
           6.オオカミの尿
      Page4:7.石灰まき
      
Page5:8.デジタルセンサーカメラ
      Page6:9.その他(高所作業車の利用など)
      
Page7:10.熊見やぐら(計画中)
           11.カプサイシンと電撃の関連付け(計画中)



 「いこいの森」は道内で最も安全なキャンプ場

   

 さて、ここまで「いこいの森」周辺の対ヒグマリスクマネジメントの一部を紹介してきたが、ある人は思うだろう、「近くにそんなにヒグマがいるようなキャンプ場は危険だ」と。しかし、それはまったく逆だと思う。確かに、ヒグマが周辺に存在するからこれだけのマネジメント(管理)をおこなっているのだが、道内でヒグマが近隣に存在し得ないキャンプ場というのはほとんどない。私自身、学生時代より道内を巡り歩き、各地のキャンプ場に世話になってきたが、キャンプ場内に人知れずヒグマの痕跡が残っていることが何度もあった。ちょっと目が慣れた人が近隣を歩くと、すぐヒグマの痕跡など見つかるはずだ。たった3頭しか近隣の山に生息していなくても、そのヒグマの性質と、そのキャンプ場の情報収集から始まるヒグマ管理スタンスが不合理ならば、危険度はむしろ高いものになる。近隣のヒグマの存在から目をそむけ、偶然得られた情報も隠してやるべきことに一切手をつけないスタンスが、最も危険なレジャーエリアをつくる。

 キャンプ場だけではない。この秋の札幌市のうろたえようを見れば判る。「把握せず、対策をとらず」では200万都市に迫る大都市札幌でさえ、若グマが歩いただけで大騒ぎ。効果的な手を迅速に打つこともできない。近隣の山が豊かで魅力的であればこそヒグマの生息数は多い。そのヒグマの生態や習性をできる限り正しく知り、動向をしっかり把握し、人身被害防止をあくまで重要視して、ときに積極的に性質や行動の制御をおこなうスタンスのほうが、はるかに安全な場所ということができる。
※札幌市は、2012年、優秀なヒグマの専門家を雇い入れ、調査から対策までを担わせる方向に舵を切った。

 北海道では、キャンプ場や自然公園近くでヒグマが目撃されるだけで閉鎖される風習がある。いつからこんな風習になったのか知らないが、「ヒグマ出没」の恐い看板同様、見方によっては滑稽でもある。例えば私のある調査エリアの小さな沢では、5月からヒグマの痕跡が出始め、毎週いくつもの新しい足跡や食痕が確認される。調査中に痕跡の張本人に遭遇したり見かけたりすることも、年に何度かはある。要するに、常時その沢周辺でうろちょろしながら暮らしているクマなのだが、町からやって来た山菜採りなどに偶然チラリとでも見つかると、突如「○月×日・ヒグマ出没・危険!注意!」となり、その通りの看板を鳥獣行政担当者が慌てて立てに来る。この町の「しきたり」なのだろうからそれで仕事をしている気になるのも仕方ないが、あまりに子供騙しが過ぎる。傍らで見ている私はあきれ果てつつ、「せめて「ヒグマ生息・注意」にしませんか?」と口を開いてしまう。
※2013年、遠軽町本庁の鳥獣行政によって「ここはヒグマの生息地」という立派な看板が制作され、人里外の要所に立てられた。

 キャンプ場の閉鎖も、この鳥獣行政とまったく同様だ。ヒトが見ようが見まいが、多かろうが少なかろうが、いつだって周辺にヒグマは活動している。それは人里離れた山奥だからではない。札幌クマ騒動を見て気付いて欲しいが、北海道のほとんどの地域で、ちょっと郊外に出れば、あるいは農地周りを歩けば、あるいは河川で釣りをすれば、いつヒグマに遇ったっておかしくない状況にある。それが事実。ただ、そういう事実から目を伏せて、「誰かに見られやしないか」「通報されてニュースになったらどうしよう」とビクビクコソコソしているのが、北海道のごくごく普通のキャンプ場の現実だ。この傾向は、管理者の体質を反映して、民間(私営)より公営のほうがはるかに強い。
 いってしまえば、その危険なしきたりを捨てて、正面から事実を知って誠実に安全確保に取り組もうと少し動いたのが、「いこいの森」を管理する観光行政なわけだ。ただ、肝心の鳥獣行政はまだそこには至らない。

 もう一つ事実をいえば、北海道では各エリアのそれぞれ周辺に、これだけ多くのヒグマが活動しているにも関わらず、ヒグマの事故にあって怪我をしたり死亡したりするヒトは極めて少ない。その極めて少ない事例を見ても、ヒグマ対応を明らかに間違っていたりすることが多い。手前味噌でいえば、私自身が2006年から調査や追い払いなどでヒグマに遭遇している回数は、とっくに三桁に乗る。だいたい5月からの半年で15回前後。頭数でいえば、その1/3程度だと思うが、今年などは若グマのチェックに勤しんだため、7月までに17〜18個体に近距離で遇って反応を確かめた。それでもこうして怪我もなくシャーシャーとクマのことを書いたりしている。決して、いたら危険な動物でもないし、遇ったらもうおしまいという動物でもない。少なくとも、ヒグマの習性や生態を正しく知った上で、把握・管理そして情報開示と普及、この四つをきっちりやっていれば、ヒグマの危険性というのはごくごく小さいものにできる。

 この点で、一度だけ感服した例がある。お隣・白滝でその年、牛舎侵入が発生した。当時の白滝の鳥獣行政担当者は近くにあるキャンプ場を即刻閉鎖にしたのだ。その彼は自ら銃を手に鳥獣被害対策を担っている。ヒグマが周辺の山にいくらでも活動していることくらい、百も承知だ。つまり、牛舎侵入を犯し中の牛を食害するような個体の危険性を判断し、キャンプ場の閉鎖に結びつけた。これは単にキャンプ場の近くでクマが偶然目撃され、トカゲのしっぽ切りみたいにキャンプ場を閉鎖して誤魔化そうとする行政対応とはまったく異なる視点だ。ヒグマの個体識別、性質・危険性の判断、そして決断力と実行力。行政でこれらがすべて揃うのは「極めて」希だ。   

 随分若いころだが、カナダの公営キャンプ場に滞在していて、テーブルで昼食のベーコンエッグをのんびり食べているとき、メインストリートをまっすぐ歩いてくる若いヒグマ(グリズリー)を見たことがある。発見した距離は50mほどだった。こういう目撃は、そんなに珍しいことではないらしい。そこからダートのアラスカハイウェイで国境を越えアラスカに入ると、キーナイにせよビッグスーにせよ、ヒグマが現れ得ないキャンプ場など存在しないし、多くの人はヒグマの性質と危険性を北海道の人より正しく知っている。つまり、ヒグマというのは単に存在することが危険であるというよりは、悪い学習をさせることで危険な存在になる。
 知床では、子供たちを連れてベアカントリーでキャンプをする体験学習があると聞く。もちろん、この引率にはベアカントリーのエキスパートがあたる。知床では、一日ブラブラすると、運がよければ2頭や3頭のヒグマを目にできるほどヒグマが普通に存在する。そういう場所で煮炊きをし、テントに泊まる子供向けの体験学習。恐らく、「そんなキャンプ場は危険だ」と「いこいの森」を思った人は、この知床の体験学習など自殺行為にしか思えないのではないだろうか? しかし、この体験学習でヒグマが原因で怪我をした子供もテン場(野営地)をウロウロと徘徊したヒグマも、かつて1人・1頭もいない。恐らく、今後も出ないだろう。
 ヒグマがただ存在することを過度に危険視するくらいなら、一定のスキルを正しく実践した上で、現実的に本当に危険なスズメバチ・河川・重力をマークしたほうがよほど合理的思考だと思う。「いこいの森」にはスズメバチを熟知した昆虫の専門家がおり、ヒグマに対しても北海道では1歩も2歩も進んだ情報収集と対策に乗り出している。道内のキャンプ場から対ヒグマリスクマネジメントに関して視察に訪れるほど。弱点となっている情報開示と普及啓蒙に関しても、町の幹部が理解さえ示せば今後しっかり進めていくだろう。
   

    



まとめ
 遠軽町全体はともかく、少なくとも「いこいの森」を擁する武利方面の必要なエリアでは、ヒグマの無分別な駆除を可能な限り抑え、上述した「ヒグマを知って、合理的な安全対策をとる」というスタンスで防除・調査・パトロール・追い払いなどの、特に若グマに対する教育要素に対策をシフトしつつある。そして、現在まで、キャンパーが12万人以上訪れるこのエリアで、目撃や遭遇は予測通りの地点で起きているものの、ヒグマによる事故はもちろん、ヒグマによって危険な目に遇った人は存在しない。ヒグマ側の制御は必要最低限できていると思うが、今後、ヒト側への教育をおこなわずに継続的に事故を防ぐのは困難だ。ゴミのポイ捨てから始まり、深夜から早朝にかけてのカブトムシ拾い、ヒグマと遭遇した場合の対応まで、「いこいの森」外での安全な活動の仕方をしっかり普及させていくことが必須となるだろう。

 これまでの対策に関して、とにかく早急な被害防止が必要とされたので研究目的のスタンスをとる余地はなく、上記の対策を一気に導入したため、どの方策がどの程度効果があったのか、そこがはっきりしない。が、これらの方策の合わせ技でとにもかくにもヒグマの動向を効果的に変えられること、そしてヒトと遇ったときのヒグマの行動パターンを変える教育が可能だということ、つまり
「ヒトと場所への忌避」をヒグマから一定レベルで引き出すことが可能だとわかった。
 ヒト側の理解や合意に関して不十分でいろいろな問題が生じた2011年だが、調査をしながら普及・説得に7年余りをかけ、理解・合意が得られぬままいよいよ状況が待ったなしとなってきたために、現場の観光サイドと協議し上述の8つの方策を出し惜しみなく一気に導入したこと自体に後悔はない。このエリアが、悠長に各所の理解を得るのを待っていられる状況にないことは、調査データ・写真等が十分示していると思う。また、現在なお科学的な立証に至っていない手法を積極的に試しているが、それは決して非科学的ということではないと思う。バッタリ遭遇対応でもそうだが、科学的に立証された事実だけから対応するなどというのは、どだい不可能なのだ。現在知りうる科学と矛盾しない方法で、いろいろを試し、ときに失敗しながら成果を上げていくしかない。
 「いこいの森」エリアのヒグマ対策協議会に関しては、2010年8月に既に町長宛に提案書を出しているので、できるだけ早い段階で実現してくれればと願う。

遠軽町長宛「ヒグマ対策の調査報告・提案書」
(2010年8月)(pdf)




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