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「ヒグマ出没!ガオー!」という従来の看板を改め、
「いこいの森」周辺では、
このような事実本意の看板を
設置しました。


ビビッドなデザインで
地味な活動をアピール
「ベアドッグ」





「白滝ジオパーク」

北海道・来たら白滝!



ベアカントリーに踏み入る


606-8-8=590

プロローグ―――クマはヒトを映し出す鏡
 
 近年、メディアを見ていても、日本各地でクマとヒトのいろいろなトラブルが増えているように感じられる。一見、クマたちの反乱のように見えるが、これは、じつはクマ側の自発的な変化ではなく、むしろヒト側の暮らしの変化、あるいはヒトの作った環境にクマが単に反応しているととるべきだ。
 クマはヒトに次いで順応力・適応力が高く、特に近代以降、クマはめまぐるしいヒトの動向変化に合わせるように生活パターン・生存戦略を変化させてきた。いわゆる
「自然環境」と、ヒトの暮らしっぷりという意味での「人間環境」だが、その時代その地域のクマは、そこのヒトがつくる。つまり、クマというのはヒトを映し出す鏡のような生きものなのだ。

 バブル期に無節操な山林開発が行われた一方、昨今では、特に中山間地域で過疎化・高齢化が進み、元来「人里」が持っていた活力・エネルギーを失ってきている。周辺の薮は人里に迫り、それとともに野生動物が人里に近くなってきた。クマとヒトの境界線は今や曖昧で、中には人里の断片化が起きてしまっている地域さえある。この状況下で人里周りのヒトとクマとの悶着・軋轢は高じているが、さらに「箱罠の乱用」「シカ駆除」あるいは「無分別なクマの捕獲」などの行政対応がクマ問題を不用意に悪化させている場合も多い。道内各地の地域によってそれぞれ事情は少しずつ異なるだろうが、総じて人里周りには「若グマ」「メス熊」が比較的高い密度で活動し、それらのクマが人為物を食べ慣れている傾向も強いだろう。

 「山親爺」「山の忍者」の異名をとるクマだが、現在、北大雪の私の調査エリアをはじめ全国各地の中山間地域においてクマとヒトの事故が起きる可能性が高いのは、山奥や源流ではなく、意外にも人里周りである。逆にいうと、山奥・源流では、クマの問題というのは昔とさほど変わらない。いや、奥をめざす源流釣り・登山の人ほどヒグマへの意識が高く、ヒグマの危険性は50年前よりむしろ減じている。メディアを賑わしている人里周りのクマ騒動とは、むしろ切り離して考えた方がいいと思う。

 
 

Stage1:北海道の強獣ヒグマ―――トラブル回避のカギは?
 
 何よりも
「ヒグマを知る・理解する」というのが先決。これは「ヒグマの興味を持っておく」と言い換えてもいいかも知れない。「知る」には、一般論としてヒグマの生態や性質(習性・身体的特徴)を知るということと、その地域あるいは時代のヒグマの傾向を知るということ。そして最後に、対応を要する個体の個性を知るということ。この三つの段階に分かれる。
 例えば、アラスカのヒグマと北海道のヒグマは異なるし、同じ北海道でも知床と北大雪
(きたたいせつ)では異なる。そして、同じ北大雪でもヒグマAとヒグマBは、いろいろな面で異なる。あるいは、大正時代のヒグマと平成のヒグマでも、行動パターンはやはり異なる傾向を示す。これは、それぞれの時代・地域の「自然環境」と「人間環境」にそれぞれのヒグマが適応した結果だが、個体差に関しては特に「インテリジェンス・フロー」(後述)がヒグマに大きく関与している。

 さて、知り得た事実をどう生かすかだが、これは
「先手必勝」と簡単に表現できると思う。つまり、何かの問題の前兆・予兆が現れた段階でそれを敏感に察知し、分析し、予測し、先回りして問題が起きる原因を的確に消していくのがコツだ。問題が実際に起き、それが進展すればするほど判断が難しくなり、労力がかさみ、なおかつ危険度が上がってしまうからだ。それで、常にヒグマを意識し敏感に居ること、そして何かを感知したら漫然と見逃さず、たかを括ることもなくしっかり対応すること。それが重要になる。
 
 ヒグマ対応に限らないが、次のような回路で思考と作業をこなしていくことになる。
 

 ただ、ヒグマ問題は熟考を要することがらも多いが、ベアカントリーの現場では、感知された時点から対応までを悠長にやっている暇がない場合も多い。ベアカントリーのエキスパートは、感知能力と分析・判断が極めて速く、なおかつ正確なのだ。それを、ほとんど淀みなく、自宅のドアを開けるようなさりげなさでこなす。一般にはなかなかそうはいかないので、何かのたびにシミュレーションしておくといい。
 大事なことは右の
フィードバックループ。対応して現れた結果に対して、ひとつのヒグマ遭遇の間にこれがおこなわれる場合もあるし、次のベアカントリー行のために生かされる知識や理解もあるだろう。


 現代のヒグマに関して、最も問題となりそうな要素をピックアップしていく。


1.ヒグマは「食べもの」で動く
 
 ヒグマは単に図体がでかいというだけでなく「冬眠」の他、「着床遅延」という戦略を持つ。
 クマの冬眠戦略とは、カエルやヘビと異なり、体温と新陳代謝を下げて飲まず食わずでウトウトした状態、いわば「冬籠もり」なので、その期間中にも相応のエネルギーを要する。そのエネルギーを、冬眠前までに体内に蓄えなくてはならないが、これを
「食い溜め」と呼んでいる。

 また、クマの交尾期は6月前後だが、実際に受精卵が着床し母体内で成長をはじめるのは約半年後の12月頃。繁殖におけるこのタイムラグの戦略を「着床遅延」というが、「夏以降十分に食い溜めを行えなかった母グマは流産してしまう」と解釈することもできる。

 「食い溜め」が正常にできるか否かは、若グマやオス熊にとって冬を乗り切るうえで死活問題、子を持った母グマにとっては、単に生きること以上の意味があることかも知れない。彼らの行動の多くが「食」によって左右され、クマとヒトとの悶着・軋轢の多くは、この「食物」が原因で起きる。
 我々はまず、「クマは食いしん坊で仕方ない」とこの動物を認めてやり、その理解のもとで「ヒト側の戦略」を考えてゆく必要がある。
 
 ヒグマの食の年周期は、我々ヒトにとって重要なものを記すと、だいたい下図のようになっている。これは、北大雪山塊の標高250〜700m前後の調査から描いた図だが、渡島半島・知床などを除き、概ね北海道の他地域に適用できる図だと思う。


 この図を説明していると本が一冊書けるほどなので大雑把に傾向を示せば、ヒグマとヒトのバッタリ遭遇から事故に発展する第一のポイントは
連休前後の山菜採りだろう。ヒグマの多くは交尾期に向けて、冬眠で弱った筋力や栄養の言わばリハビリを各種草本の新芽でおこなっており、この時期のヒトにとっての山菜とバッティングしている。
 その後、6月に向けてヒグマの食はフキへと移行していくが、山菜もまた同じ移行の仕方をする。私自身は、ヒグマがフキを食べ出した時期を狙って、ヒグマの食べ残しのフキを少し頂いてくるくらい、ヒグマはその食物の旬を知っている。

 第二に、
8月・9月の人里周り。現在の北海道では農地のヒグマに対する防除がほとんど施されていないため、小麦・デントコーンなどの実入りがヒグマの降里に直結している。ヒグマの降農地・降里時期はちょうど夏休みに重なり、シルバーウィークあたりのデントコーンの刈り取り時期まで続く。酪農の飼料作物では農地周辺の整備がなされず、またデントコーン自体の背丈が高く見通しが利かないため、デントコーン農地の周辺は特別危険な場所となる。ここがヒグマのエサ場となっている限り、その人里および周辺の安全確保は困難だ。デントコーンにヒグマ用の電気柵が普及しない限り、この状態は解消しないだろう。
 釣りで河川を遡行しているとき、背後にデントコーン農地が続く場合がよくあるが、そこでの釣りはヒグマとの遭遇の可能性が高く、少なくとも早朝・夕刻の釣りは控えるべきだ。

 第三が、
秋の行楽シーズン。キノコ狩り、木の実採りなどで山へ入る場合は、ヒグマもやはりそれを食べているので十分注意する必要がある。夏から秋にかけての降農地の時期はヒグマはほとんど農地周辺から移動せず、農地に「付く」と表現できる状態だが、それが終わって秋の木の実の時期に入ると、「食べ歩き」の様相を強め、移動はトリッキーで速いものとなる。前掌幅20pの大型オスのケースでは、スーパー林道を縫うように各種木の実を食べ歩き、二日間ほどで峠を越えて道のり40qほどを移動していた。このオス成獣の大規模な移動を「秋の縦走」と呼んでいる。

 ヒトとヒグマの遭遇時期をラフに分ければ上の三つになるが、昨今ではシカ・シカ猟・シカ死骸の増加の影響で、冬眠を放棄して真冬に歩き回る個体も出始めている。このタイプの個体が特別危険だということはないが、従来的な知識で「ヒグマは冬に活動していない」と思い込んで対策を怠ればむしろ対応に苦慮するだろう。

※穴持たずは凶暴?

 冬期に歩き回る個体を昔から「穴持たず」などと粋に呼び、「エサが足りないから食物を探し求めて冬にも歩き回る」などと解釈され凶暴グマの代名詞のように思われていたが、実際のヒグマの冬眠穴入りは、山が不作の年に早く豊作で遅くなる傾向がある。後者の顕著な例が冬眠放棄のクマだろう。つまり、穴持たずが凶暴で危険というのは風説でしかない。今のところ北大雪では、このタイプのクマは単独の若グマらしきのみで、親子連れや大型オス成獣の冬眠放棄は確認されていない。


2.ヒグマは知能が高い
 昨今のヒグマ研究者によれば「ヒグマの知能はイヌと霊長類の間」とされている。つまり、ヒグマを捉える場合、イヌやヒトのあれこれから類推しうる部分が多くある。 
 下の図は、ヒグマに関して
「インテリジェンスフロー」と私が呼んでいるチャート図だ。

 この「インテリジェンスフロー」がクマを考える場合の要(かなめ)となる。例えば、このフローに上の「クマは食いしん坊」を考え合わせると、我々が山に入ってゆくときに「何をしたらマズイか」、あるいは、どういう場合に「何をしなければならないか」は自ずと見えてくるだろう。
 ヒグマの場合、人為物を食べることを経験・学習することで「執着」「常習化」が起こり、それを漫然と放置すれば行動の「エスカレート」に至る可能性も高い。「エスカレート」というのは、食物への執着のあまりヒグマの最大の戦略であるはずの警戒心が希薄になり、ヒトに対して攻撃的になったり、もともと「こそ泥タイプ」だったのが徐々に「強盗タイプ」に変化したりすること。カムチャッカにおける
星野道夫の死、そして史上最悪のヒグマ事件と言われる苫前の「三毛別事件」には、人為物を食べ慣れた状態からの「エスカレート」が深く関与していると考えられる。
 このことからも、人里でも山でも、とにかくクマには「人為物の味を覚えさせない」ということが、ヒト側の初手の戦略ということになる。ここでつまずくと、あとの対応は一気に難しくなる。


3.無知で無邪気で好奇心旺盛な若グマ
 インテリジェンスフローから見える重要な側面は、クマが
「学習し成長(変化)する生きもの」という点だ。
 クマは冬眠穴で生まれ、多くは生後1年半前後で親離れを果たすが、親に連れられたクマを「仔熊」、親離れ後2〜3年程度のクマを「若グマ」と私は呼んでいる。
 若グマは、まだ経験・学習が乏しく警戒心が希薄だ。もともと持つ「好奇心旺盛」に「無知」「無邪気」が加わることで、ともすると非常に無防備で不注意な行動をとってヒトと問題を起こす場合がある。
 最もわかりやすく、またヒトからすると問題となる若グマの行動は、ヒトへの「好奇心による接近・じゃれつき」だろう。通常、クマによって怪我をした人はいろいろな先入観から自動的に「襲われた」と認識し、メディア等でもそのように画一的に表現されるが、じつは、クマに「襲われた」事例をよく見てみると「じゃれつかれた」である場合が浮上してくる。この若グマ特有の行動は、仔犬の「甘噛み」「飛び付き」と同じスキンシップなのだが、これを漫然と許し長引かせてしまうとじゃれつきが激しくなったり、何かの拍子に本当の攻撃になったりして、ヒト側の大怪我にもつながる。もちろん、走って逃げるのは自殺行為だ。

 また、ヒトそのものへの問題とは別に、人里に対しての経験不足と無警戒が、道内で近年増えている市街地出没などに結びついているとも考えられる。
 まだ全容に関しては仮説の域を出ないが、じつは、無闇なヒグマの捕獲によって、この若グマが特に人里周りに局所的に増加する可能性がある。特に周辺の山が豊かでヒグマの生息状況が健全な場合、このような現象が起きやすい。無分別な捕獲・過剰な捕獲ともいうが、ヒグマといえばいまだに捕獲一本槍が普通の北海道では、昨今、若グマが増え様々な問題が起きているエリアが多いように感じる。

※仔熊の中には、生まれた年の9月にすでに単独行動をしている個体がある。割合としては1〜2割程度だが、研究者にはこのクマは「単に親からはぐれただけだ」という意見がある。しかし、生態学的にヒグマの親離れが1年4ヵ月〜2年8ヵ月程度としても、1年半で親離れしたクマが、はぐれたのか親離れしたのかは、それこそクマに訊いてみないと判らない。どういう経緯で単独行動に移行したにせよ、若グマになったそのクマがヒトとの間に発生させる問題は同じで、なおかつ学習形態も若グマ流に変わる。そこで私としては、「親に連れられた個体を仔熊」、そこから「安定した単独行動に移行した個体を若グマ」と、活動形態から呼ぶことにしている。

 この無邪気で危うい若グマも、それぞれの自然環境・人間環境の元でいろいろを経験・学習し、次第に一人前になってゆくが、最終的にクマという野生動物の個性はヒト以上にばらつきの激しいものとなる。
 また、ヒトと遭遇した時間・天候・場所・人数などに加え、ちょっとした気分によってもクマの行動は変わってくる。それで、バッタリ遭遇対応などの単純で確実なマニュアルが作れないのだ。

 このことから、ベアカントリーでの対ヒグマリスクマネジメントは、「遇ったらどうするか?」ではなく、「どうやったら(悪いシチュエーションで)遇わないようにできるか?」というところに、まず焦点を持ってこなくてはならない。悪いシチュエーションとは、概ね距離に関してだろう。30m以内だとだいたい状況は良くない。50mでも黄信号だろう。距離以外では、例えば、交尾期(6〜7月)のオスとか、親子連れのクマ、手負いグマ、シカ死骸に付いたクマなど、これらの特別な状況だと、仮に距離が50mでも切迫した進み方をするかも知れない。

ヒグマの成長とは?―――孤立性と警戒心
 無知で無邪気で好奇心旺盛な若グマが成長するにしたがって何を獲得するか。ヒグマの成長とは、端的にいえばと「孤立性」と「警戒心」を獲得してゆくこと。特にオスはこの傾向が顕著だ。逆にいえば、成長過程の仔熊・若グマは、孤立性が低く警戒心が薄い、ということができる。

 成獣ヒグマが本当の攻撃(real charge/real attack)に移った場合、それは強い警戒心の元でとった戦略が破綻した場合なので、攻撃自体はまさに大怪獣の如く強烈で、ヒグマの破壊性能が瞬時に発揮されてしまうので、ほんの一撃でヒトは深刻なダメージを負う場合も多い。
 臆病な一面を持つヒグマが自ら好んでヒトを攻撃したりすることはまずないが、偶発的に切迫したり、驚いたり、ヒトが追い詰めたりすると、攻撃に転ずる場合がある。ただ、この攻撃はあくまで自己防衛のために咄嗟に起こされる行動なので、その攻撃が延々続くことはむしろ希だ。それで、現在なおクマとの「バッタリ遭遇」からのreal attackに対して「死んだ振り」に類する手法が合理的な対応として存続している。

 まず、バッタリ遭遇のときに見せるヒグマの攻撃行動のほとんどは、「切迫」「怯え」「びっくり」が原動力となっていること。そして、ヒグマとのトラブルとなくす方法が、殴る蹴る殺すの武闘的なことではなく、むしろこの繊細な動物の心理に巧妙に働きかけ、いかに衝突の前にヒグマを遠ざけるかであると記憶して欲しい。私の言う「高知能はヒグマ」は、優れた記憶能力に加え、それだけ高い「感覚」「類推能力」を持っている。突飛に聞こえるだろうが、ヒグマの側の「気分」が問題なのだ。

 ただし。この警戒心はそれぞれのヒグマの経験・学習によって強化され定着していくもので、ヒトがどのように振る舞うかによって、ヒトに対して無警戒で呑気なクマも出来上がる。
 ヒグマの無警戒には概ね2種類あり、ひとつは人為物を食べ慣れて徐々にヒトへの警戒心を欠落させていく
「餌付け型無警戒」。そしてもう一つが、危害を加えられずに多くのヒトに接することによって徐々に慣れ、ヒトの存在そのものに無関心になっていく「無関心型無警戒」。後者はカトマイ、マクニールなどのヒグマ観察・ヒグマ観光で観光客の間近でくつろぐヒグマが代表的で、ヒグマのこの状態が必ずしも悪いとはいえない。ただ、ヒト側への教育を抜きにこのクマが漫然と増えると、おおかたの場合、各種の悶着・軋轢が生じ解決はなかなか困難なものになる。特に無関心型のクマのエリアに教育不十分なヒトが紛れ込んだ場合、それは人身被害の危険性に直結する。したがって、知床・大雪に見る人慣れ型・新世代ベアーズは、これらのエリアでヒグマ観光の可能性を立証したような存在だが、今後これらのクマをヒグマ観察・ヒグマ観光に利用するとすれば、クマに対する以上に精度の高いヒト側の制御・教育が必要不可欠となる。

 



Stage2:クマと出遭わないためのエッセンス

 北米では、クマ生息地のことを「ベアカントリー(クマの森・クマの土地)」と呼ぶことが多い。この印象的な言葉を使うことで、観光客やキャンパー、釣り人に効果的にクマの存在を印象づけている。
 我々がベアカントリーの踏み入る前、まず重要なことは「クマの存在をしっかり意識する」ということ。この意識が持てていれば、自ずとクマに興味が湧き、「知ってみよう」という気も起こるだろう。「風説」「思い込み」ではなく、また、できればマニュアルを暗記するのではなく、「クマを正しく理解する」というところから―――つまり、曖昧で恐ろしいモンスターではなく、山に普通に暮らす野生動物として理解するところから合理的なリスクマネジメントを考えたい。

 日本の山にクマが暮らしていることを否定する人は、恐らくいない。しかし、「まさか自分が遇うことはないだろう」とたかを括っているヒトが意外に多いのも事実。釣り、山菜採りなどでヒグマに遭遇し怪我をするケースなどを調べると、まず「意識」「理解」の段階でつまずいていることがほとんどだ。
 クマへの意識・理解を欠き平気で危険な行動をとる人がいる一方、山で常にビクビクと過剰に怯えるクマ知らずの人がいる。私に言わせれば、これらの人は山に対してクマに対して横柄なのだ。どうしてそんなことが断言できるか。それは、若き日の自分がそのものだったからだ。つまり、ヒグマを怖れてやまないわりに、いざとなれば巧く誤魔化してやり過ごせないかと考えたりする。それで、真剣にヒグマについて知ってみようというところまで意識がなかなか向かなかった。あくまでクマの場所に「お邪魔させてもらう」という謙虚な意識を持つことで、自然にクマへの理解を深め、自然にベアカントリーで過不足なく敏感に居られるようになる筈。そして、その山を自由な気持ちで歩き、全身でいろいろを感じ、享受することができるようになるだろう。
  
 ヒトの戦略を考える前に、まずクマ側の戦略に焦点をあててみたい。

 上述したヒグマの警戒心・孤立性・臆病という性質がヒグマの常套戦略には如実に現れるが、若グマ・餌付けグマなどを除くごくごく正常なヒグマは基本的に積極的にはヒトには関わろうとはしない。具体的には以下の表の通りだが、ヒトと遭遇したヒグマの多くは、何らかのミスでヒトの接近を許してしまい咄嗟に戦略を持ち出しているにすぎない。
 我々の戦略の目的は、下表のLevel1〜Level2の戦略をヒグマ側に持ち出させてやること。逆にいえば、Level3にまでヒグマを追い詰めないことである。鈍感なヒトが、通常至近距離に存在するヒグマを感知しないだけで、意外なほどヒグマは我々の近くにいる。ヒグマ側がヒトを巧くやり過ごしてくれているわけだが、それだけではヒトとヒグマの衝突は起きないのだから、仮に5mの距離にヒグマが潜んで隠れていても、それは必ずしも危険な状態とはいえない。
 下に示す通り、クマの起こす行動としては比較的安全なLevel1から危険性の高いLevel3に行くにしたがって頻度・確率が小さくなる。これはヒグマという野生動物がいかにヒトとの悶着・衝突を避けようとしているかを示す事実だが、このクマの性質をできるだけ発揮させてやる方向性となる。

【ヒトが接近した場合のヒグマ側の戦略】
ヒトの存在を感知すると―――
   Level 1:
      
1.前もって遠ざかる・・・・・・・大半
ヒトは認知できないことが多い
      2.そそくさと遠ざかる・・・たびたび
:ササの音だけで認知できる場合がある
      3.ササ藪に潜む・・・・・意外に多い
いったんこの戦略に持ち込むと相当動かない
距離が縮まり切迫すると―――
   Level 2:
      4.近距離からの大逃亡
・・・・
たまに:潜みきれず、あたりを蹴散らかしての逃亡
      5.威嚇攻撃(bluff charge)・・・(=はったり攻撃)乱暴で激しいクマの会話
    
Level 3:
      6.本攻撃(real attack)
・・・ごくごく稀
(=Panic Charge)自己防衛の最終手段  
  ※若グマの「接近・じゃれつき」は単なる好奇心・興味・遊び心の現れであって戦略でも何でもない。

 ヒトが釣りや山菜採り、登山などでベアカントリーに入ってゆく場合、そのエッセンスを絞れば次の三つになる。


1. ヒトの存在・接近をアピールする
 これは臆病で非攻撃的な野生動物であるクマに、できる限り選択肢を与え、クマの側にどうするかを委ねてやるということ。あくまでアピールであって威嚇ではない。
 「嗅覚の動物」と言われるクマだが、通常は安定して届く音によってヒトの存在を周辺のクマに知らせてやる。できる限りクマの痕跡・植生などから行く手の状況を判断し、「怪しいな」と思う場所の少し手前で「ほーい!ほい!!」「通りますよお!」などと大声で呼びかけたり、「パン!パン!」と手を叩いてアピールする方法をお勧めする。当然ながら、このアピールの大前提として「注意深く観察し分析し判断して行動する」ということが必須となる。このアピールの習慣によって、クマの存在を意識し、周辺のいろいろに気を配り、「クマを読む」癖が身につく。昨今普及しているクマよけの鈴も決して悪くはないが、鈴が自動的にチリンチリンと鳴ることで、じつは「観察」「読み」「判断」というベアカントリーのスキルをおろそかにしてしまいがちなのだ。
 例えば、渓相・地形によって、沢筋には音の通りづらい局所的な場所も存在する。滝があったり、強風・スコールによって鈴の音程度では不十分な場合もあるだろう。現場で現れた状況に逐一応じてアピールの度合いもシフトしてやるのが正解なのだ。
 なお、爆竹・轟音玉などの破裂ものは、近くに潜んだクマを驚かせ飛び出させる可能性もあるため、特に移動しながらの使用は極力避ける。轟音玉・爆竹・ロケット花火は、必然的にゴミを残すことになるので、TPOをわきまえて使用すべきだろうが、釣りや山菜採りなどのレジャーでは、ほかの方法でクマを遠ざけながら活動したほうがいいと思う。

 じつは、このアピールというのは、単にクマを遠ざかってもらうだけでなく、もしクマが眼前に現れた場合、そのクマがどういうタイプのクマかをある程度判断する材料となる。少なくとも、アピールを十分行っていたにも関わらず近くに現れたクマは、ヒトの存在を知って何らかの意図で近づいてきたクマと判断できるだろう。その多くは、後述する「若グマ型」である可能性が高い。

ヒグマの逃げる方向をコントロール
 ときどきあるケースで一歩進んだアピールを必要とする場合がある。例えば、登山道を歩いていて山の斜面にヒグマを発見した場合。距離は100m以上あったとしよう。このケースでは、ヒトの存在をアピールしてクマに知らせてやるのが常道だが、クマがヒトに気付いて逃げる方向をコントロールしたいときもあるだろう。自分らがこれから進む方向にクマを逃がしたくない場合などだ。その場合、声を出しながら手を高々と振りつつ大股で歩く。最後の「大股で歩く」というところがミソで、ヒグマに対してできるだけ判りやすく進む方向を示してやることで、逃げるヒグマの第一歩目をそれとは反対の方向に仕向けてやるわけだ。
 ただし、他の山行者・散策者がありがちなエリアでは、特に威嚇にならないようにおおらかに声を出し、悠々と歩くよう心がける。

 ヒグマの行動コントロールというのは、物理的・武闘的なことではなく、あくまで心理学・心理戦略だということ、そしてできるだけ事前に先手を取り働きかけることだと理解していただけたらありがたい。


2. 食物の管理をしっかり行う
 「食いしん坊なクマ」からすれば自明だが、例えば、私がオレンジジュースを飲み干したペットボトルをポイと投げ捨てるとする。嗅覚の敏感なクマは、そのオレンジジュースのにおいを遠くから嗅ぎ当ててしまうこともある。そして、ペットボトルを噛みちぎって中の数滴をなめる。ところが、このボトルには私の手のにおいもついている。そこで、クマは美味しいオレンジジュースとヒトのにおいを関連付けて覚えてしまう可能性がある。そのクマは、逆にヒトを感知すると「美味しいジュース」を思い出す。そして、ヒトに接近するようになったりするわけだ。
 数滴のジュースもエビフライのシッポも弁当箱に残った肉汁も、およそ我々が街で食べたり飲んだりしている食物は、山の野生動物にとっては特別な味・香り、いわば麻薬的なものと考えてもらってかまわない。

      

北海道にもまれに存在するが、登山道入り口や釣り場の駐車スペースにたびたび現れる個体、あるいは特定の渓流で釣り人のあとをついてくる個体、これらは何らかの形で人為物を食べたり飲んだりした経験があるクマと疑われるので特に要注意。渓流の遡行であれば、一日に時間をあけて二度同じクマを見かけたら、速撤退が賢明な判断だ。
 また、源流で野営する場合などは、食料の管理を徹底する。ベアプルーフコンテナというクマが開けられない容器にすべての食料類を入れて持ち運ぶか、沢周りで私が勧める方法としては、川の流れの中に工夫して沈めてしまう方法。食器・残飯も同様に扱う。
 ポイ捨てのゴミが多く食物の管理が甘いエリアでは、「クマさん、頑張って悪いエスカレートを起こしてね!」と奨励援助しているようなものだろう。私とて、そういうエリアでは相当神経質に行動せざるをえない。
 この意味で、もし訪れた渓流・山にゴミが落ちていたら、率先して拾う癖をつけるのがいい。そうやって気がついた人がゴミを拾うことで、結果、自分ばかりでなく、お互いを守ることにつながる。

 北米では、ベアプルーフコンテナの他に左図のようなハングアップ方式が普及している。機関・団体によっていろいろ推奨方法はあるが、原則的に、二本の樹にロープを渡し、その中央に食糧袋をぶら下げる方式だ。地面に立って、あるいは樹に登って食糧を奪おうとしたクマの手が届かない位置に食糧を上げてしまう。もちろん、この保管食糧は野営場所の風下に設置するのが好ましく、ロープがけは簡単にほどけないように工夫する必要がある。
 ロープを持つときはカラビナを携帯しておき、それをホイスト(滑車)代わりに使うことで、より機能的なハングアップ方式はつくれる。

 通常のキャンプでは使う機会がないだろうが、どうしても登って欲しくない樹には高さ2-3mほどにトタン板・ステンレス板・超高密度高強度PE板などを巻き付けクギで固定し、とにかく爪がかからないように工夫する。ベアプルーフコンテナも同様の原理だが、爪や牙がかからなければ、ヒグマの強大なパワーは空転するばかりで登ることも噛みちぎることもできない。
 ヒグマの防除には大きく分けて二つの方向がある。一つは、上述のようにヒグマが不得意とするものをこちらが持ち出し封じる方向。もう一つは、ヒグマが得意とする戦略を用いないように心理的に導く方向。これは、むしろヒグマが得意とする戦略をうまく利用して心理をコントロールする方法で、高知能・高感覚のヒグマをコントロールする際の主戦略となる。

 

3. 誘引・刺激しない
 食物の管理に準ずるが、歯磨きのペースト、石鹸、シャンプー、オーデコロンから飴・ガムまで、ヒトの世の中にある香料はおよそクマを誘引、あるいは至近距離であれば刺激する可能性がある。
 クマの「においの学習」をデフォルメしていえば、はじめて感知するにおいにはおよそ接近を試み、そのクマの警戒心と欲求のバランスの中で、それの「危険度」と「美味しさ・面白さ」を確認する。「美味しくて危険はない」と学習すれば、次回からそのクマの中でそのにおいは「誘引要素」として働き、「危険だ」と学習すれば「忌避心理」を抱くようになる。そして、「美味しくも面白くもない、危険もない」と学習すれば、クマは反応しなくなる。

 通常、人里周りにつくるべきが第二のクマ。クマ観察やクマ観光の現場につくるべきが第三のクマ。山につくるべきは、私自身の感覚では、第二寄りの第三グマ。つまり、過度にヒトを恐れはしないが、自ずとゆるゆると遠ざかる程度のクマだ。「忌避」というのは「嫌がって避ける」という意味で「恐怖」とは少し異なる。クマにあまり強い恐怖心を植え付けると、バッタリ遭遇時の反応がピーキーになって対応が難しくなる。

 ただ、ここで一つ問題がある。例の「若グマ」だ。このクマだけは、食物抜きに単純な好奇心で興味津々にヒトに近づいたりする。それは、知床などのヒトの多い観光地周辺ではなく、むしろヒトの希な山塊などに現れやすいようだが、この場合は、若グマの「好奇心を刺激しない」という意味になる。「釣りの動作」「写真を撮る」などがこれにあたる。
 
 さて、以上のようなエッセンスのもとで、ヒグマに悪いシチュエーションで遇わないための戦略を8つに絞り込むとすれば、多少重複はあるものの次の8か条になる 


―――遇わないための8か条―――

1.ゴミ捨て厳禁!―――危険なヒグマを作らない!
 人為食物は山の野生動物にとってはどれも特別な味。食物・ゴミの管理は厳格に!
 「生ゴミ」をはじめ、「ガムや飴」「空き缶」「ペットボトルの容器」などもヒグマを誘引し、あとから訪れる人を危険にさらしかねない。山菜採り・釣りなどでも食糧の携帯はできるだけ避け、飲料はヒグマを寄せつけにくい「水・お茶」がおすすめ。
 人間が捨てた生ゴミや空のペットボトルを一度舐めたり食べたりしてしまったヒグマは、ヒトと「おいしい味」を関連付けて学習してしまう。そうなったヒグマはヒトを感知するたびに「おいしい食べ物・飲み物」を思い浮かべ、ヒトに接近するようになる可能性があり、警戒心が薄れ行動のエスカレートを起こすと非常に危険。


2.ヒトの存在をアピール!―――ヒグマの側に選択をゆだねる
 ベアカントリーを歩くときは、「クマよけの鈴」「声と拍手」など、音で随時ヒトの存在・動向をヒグマに知らせながら行動する。
 ヒグマは「嗅覚」「聴覚」が非常に発達しているが、「におい」によって人間の存在をヒグマに知らせる方法は風向きによって不安定なので、「音」でヒグマを遠ざけるようにする。ただし、爆竹などは、近くに潜んだヒグマを驚かせる可能性があり、極力釣りや山菜採り・登山などのレジャーでは控える。


3.できるだけ複数で行動する―――信頼できるパーティーは強い
 複数で行動すれば自然に騒がしくなりやすく、ヒグマとのバッタリ遭遇は少なくできる。また、仮に出遭ったとしても、単独行動と比べ、心理的にも物理的にも、はるかに有利だ。実際に、4人以上の集団に本攻撃を仕掛けるヒグマは非常に希。ベアカントリーを歩く理想的人数は6〜7人程度。
 上の「6〜7人」という理想の人数は、まず、曲がりくねった道などで「ヒグマを多人数で取り囲まない」ための人数であり、また、もし何かあった場合に「速やかにコンパクトにまとまれる」人数でもある。よって、仮に7人で歩くとしても、全体が離れ離れにならないように歩くことが肝心だ。逆にツアー登山や遠足など数十人で山を歩くときは、7名程度にグループ分けして、それぞれにリーダーをおく。先頭グループと最後グループのリーダーにはできるだけヒグマの精通者をおくといい。
 ただし、これは単独行動を全否定するものではない。単独には単独の良さがあるが、それには一定レベル以上のベアカントリースキルを身につけて欲しい。


4.ヒグマのサインを見落とすな!―――五感をフルに使って歩く
 「糞」「食痕」「足跡」「爪痕」「クマ道」から「風」「におい」まで、ヒグマの痕跡・存在に常に気を配ろう。
 ヒグマには、いわゆる「なわばり」「テリトリー」はないが、山で暮らす中で自然にいろいろな痕跡が残される。特に、その時期の山菜採りなどで新しい痕跡が残っている場合は、十分注意しよう。ちなみに、ヒグマの方からは、しょっちゅうヒトを見たり、聴いたり、嗅いだりしている。登山道で何かに取り憑かれたように地面を見てひたすら歩いている姿を見るが、このような取り憑かれ歩きはベアカントリーでは適さない。釣り・山菜採り・昆虫採集などでも、熱中しすぎはマズイ。

5.朝夕はヒグマと遇いやすい―――基本的にヒグマはヒトを避ける
 夜間のほか、早朝・夕方・霧・雨など視界の悪いとき、強風のときは、山林・林道の散策は控える。
 ほとんどのヒグマは人間の接近を感じ取るとすぐに自分から遠ざかるが、「どしゃ降りの雨」「強風」「夕暮れ」など、あたりの状況が分かりにくいとき、私たち同様ヒグマの側からも人間の存在を感知しづらくなるためヒトを避けることができず、ヒトとヒグマの「バッタリ遭遇」が起こりやすくなる。
 通常、ヒグマが人里へ降りる理由は食物(エサ)がらみだが、「夕暮れ時」「早朝」は、いわばヒグマのエサ場への通勤・通学時間帯で、ヒトとの遭遇も多くなる。特に8〜9月のデントコーン農地はヒグマの活動密度が特に高い場所となっている場合があり、日中でも周辺での活動は注意が必要。


6.「甘い香り」を持ち込まない!――ヒグマを刺激しない・誘引しない
 「嗅覚の動物」ヒグマは「におい」には極めて敏感に反応する。
 ベアカントリーに入る際は、香水類(オーデコロン、ヘアトニックなど)、化粧、飲食物などヒグマを誘引したり刺激したりする「香り」を身につけないように心がける。意外と盲点となるのが「食事をとるタイミング」。例えば、焼き肉を食べた後しばらくは、焼き肉のにおいを吐く息とともにまき散らしているようなものなので、ヒグマと遭遇しそうな場所を訪れる前ではなく、そこから戻って、あるいは通り過ぎてから食べるという工夫があっていい。


7.悠々とゆっくり歩く――ヒグマの「潜む戦略」を成り立たせてやる
 ヒグマの身を隠せる藪などの近くでは、「急に止まる」「進路を変える」などトリッキーな動きは避ける。ベアカントリーでは、特別の訓練をされていない通常の犬はトラブルの元。
 人間の接近を知ったときのヒグマの「潜む戦略」は、潜んでヒトを襲うためではなく、あくまで隠れてヒトとの衝突を避けるための戦略なので、このヒグマの戦略を成功させてやるために、「犬を連れて歩く」「ジョギング・サイクリング」は原則避ける。不用意に足を止め、路傍に駆け寄りヤマブドウの実に手を伸ばしたら、至近距離から薮を蹴散らかしてヒグマが逃亡した、などという例もちょくちょくある。もし犬を連れる場合は、必ずリードをつける。


8.シカの死骸からは速やかに退避!―――シカは山の地雷?!
 「エゾシカの死骸・残骸」周辺はとりわけ危険な場所。歩くときは「風向き」「臭い」に注意するなど、近づかないよう心がけよう。 もし、エゾシカの死骸に近づいてしまったときは、あわてず速やかに来た道をそのまま戻るように。
 ヒグマは、一度に食べきれないシカの死骸に土や草、雪などをかけて一時的に保存する習性を持ち(土饅頭・草饅頭・雪饅頭)、その近隣に潜んでいる可能性が高い。シカ死骸を迂回して通り過ぎるのも危険。「来た道をそのまま」という部分がミソとなる。昨今の北海道ではシカ駆除が銃器によっておこなわれているため、特に盛期は回収不能個体(手負い個体)の死骸が人里・農地周りで増えているので要注意だ。



Stage3:もしクマに出遇ってしまったら

 いわゆる「バッタリ遭遇」では、だいたいヒトのミスや油断が絡んでいるが、仮にいろいろな注意・工夫をしていても、クマに出遭うことはある。近距離にクマを見た瞬間、「クマだ!」と動揺するのは仕方ない。が、ここで、目の前のクマが「どういうクマなのか」を、できうる限り冷静に捉えるよう心がける。ただ、自分が直前にとっていた行動の意味を理解していないと、瞬時に頭を巡らせてこの作業をやるのはなかなか難しいだろう。
 
 現在の北海道で起こりそうなクマとの遭遇・トラブルパターンは概ね従来型を分類した三つに加えて、近年、知床や大雪などの観光エリアに生じている「新世代ベアーズ」的な個体を合わせ四つあるだろう。特に、新世代型との遭遇は、都市部郊外も含め今後増えると考えられる。

     
 じつは、それぞれのクマに対して、基本的な対応方向が異なる。従来、例えば「眼をにらむ」「死んだ振り」などが一律に正否を論じられてきたが、上の表に従って同じ行動でもヒグマの側にとって意味が異なってくる。そのあたりの差異を示しておこうと思う。 
 

1.「バッタリ遭遇型」→なだめながら距離をとる
 このケースでは、クマと遭遇した我々よりクマの方がびっくりし切迫した状態だろう。なので、刺激せず、できるだけゆっくりとした動作で距離をとって、万が一クマが突進してきても防ぎやすい立ち樹の後ろなどに回り込む。撃退にはベアスプレー(クマ撃退スプレー)が有効だが、遭遇から間髪入れず突進に移るクマも多いので、スプレーは瞬時に抜いて構えられるように持っておく必要がある。
 特にバッタリ遭遇で見せるヒグマの攻撃・突進の多くが
bluff charge(ブラフチャージ・威嚇攻撃)なる「はったり攻撃」で、これはそのヒグマがまだ対話をしたがっている証拠なのだが、はったりだけあってその攻撃は激しい。突進が起こった瞬間に「はったり」か「本気」かを見分けるのは困難だ。
 もし本攻撃であった場合、中途半端に応戦すると、単にクマを興奮させ攻撃が致命箇所に及ぶ可能性も高いので、ある程度の怪我を覚悟して
「うつ伏せ防御」姿勢をとるのも一つの方法だろう。「うつ伏せ防御」とは、腕で後首を守りつつ、脚を適度に開いてうつ伏せに寝転ぶ方法。合理的な「死んだ振り」と思ってもらえばいい。

 先に触れたように、クマとコンタクトをとるような状況に陥ってしまったら、それは既に失敗だ。本攻撃まで受けるようなら、無傷で済まそうというのではなく、むしろ自らの負うダメージを最小限に抑える意識にシフトする。この場合、山でやっかいなのは出血多量。よって、止血の困難な頭部・頸動脈などをとにかく守り、ケツや腿を噛まれてクマが立ち去ったのであれば、むしろ安い授業料だと解釈できる範囲だ。

 バッタリ遭遇型では、とにかくこちらの「非敵意」「非攻撃性」を示すのがポイントだが、クマとのやりとりによほど慣れていない場合、あるいは攻撃が瞬時に起こった場合などに、手っ取り早く確実にそれらをクマに示す手段が「うつ伏せ防御」なのだ。バッタリ遭遇型の多くのケースでは、変に荒立てて対決姿勢を示すのは得策ではない。北海道で最も多くヒグマの攻撃によって死傷しているのは、最も高性能な武器つまり銃器を手にしているハンターだが、その理由は銃器という高性能な武器を手にしているために、はじめから最後まで「殺すか殺されるか」という意識でクマに対することがひとつの原因となっているように思われる。
 同じ理由から、切迫しているヒグマの「眼をにらむ」というのはお勧めしない。野生動物に対して執拗にアイコンタクトをとることは、敵意として受け取られる可能性の方がはるかに高いからだ。クマを見るとしても、むしろ漫然と視野に入れ、手はあまり動かさず下にさげたまま、ゆっくりとした動作で後退り、というのが基本となる。

ヒグマの走破性能・ダッシュ力はいざとなるとすこぶる高い。走って逃げ切れる相手ではない。 「追い払い」の最中、道と平行に左右に動き出したこのクマは、最終的に30mの距離から若グマ特有の中途半端な突進を開始した。 ビビッて切迫しているが、これ以上追い詰めるとbluff chargeがあり得る。


大型オス成獣にありがちなbluff chargeのパタン
 私の場合はベアプロファイリングの反応テストもあり、ここで述べている「遇わないための戦略」をあえて用いないし、遇ってもいちいち相手をなだめて機嫌をとらないので、希に大型オス成獣のbluff chargeがある。下の連続写真は、バッタリ遭遇から「なんだよ!」「おまえこそ、なんだよ!」というやりとりのあと、斜面下方30mほどからbluff chargeに移った例。交尾期にメスを求めて私のエリアに入ってきたと思われる個体で、見知らぬ顔。大型でかなり自信を持った個体。とは言え、こちらもすごすご引きたくはない。
 左手には魁と凛。右手にカメラ。腰にはベアスプレー二本。

  

 このケースでは、ヒグマ側は口から白い泡を吹いて興奮しているが、お互いに完全衝突まではしたくない。で、相手の力量を測るようなやりとりになることが多い。
 初手のやりとりで巧い具合にクマ側に少し余裕ができた。こちらはこちらで「bluff(はったり)で来るな」と直感し、状況のわりには冷然と対応した。荒々しく見えるだろうが、これが私のクマとのやりとりだ。が、よほど慣れ冷静かつ直感的にヒグマのボディーランゲージを正確に読めないとbluffかrealかは判断がつかないだろうし、相手の心理と次に起こす行動を読めなければ、ギリギリのやりとりはできない。ギリギリでやらなければ必要なその個体の本性が見えてこないこともある。
 結局、斜面上2度目のbluff chargeのあと林道までついて上がってきて、しばし林道上20mで睨み合ったあと今度は道に沿ってbluff charge。その突進の最後に、3mほどの距離で身を翻して斜面下方に逃げ去り、あっと言う間に姿どころか気配も消した。怪しげで挑戦的な犬と人間に対してやることはやって多少満足しつつ、驚きを伴いヒトとベアドッグを少しは学んだだろう。私も、それ以上追う必要がなかった。
 思わず口を突いて出てきた―――やるな・・・見事なbluff chargeだ。

 私自身のこのオス成獣に対する評価は「合格」。まず、「遇わないための戦略」を実践していれば、このクマに遇うことはなかっただろう。第2に、bluff chargeに誘導するような挑戦的態度をとらなければ、このオスも不服ながら穏やかに立ち去っただろう。第3に、「いいクマ」と仮定し行動した私の想定内でこのクマは遭遇から逃亡まで一部始終動き、実際に衝突を回避して逃げ去っている。ゆえに「合格」だ。

 さて、このケースで、まず遇いたくなければ、引き返せばいい。この遭遇直前、まだ暖かい糞を確認し、近くに大型オスが存在していることを感知しつつ私は遭遇するつもりで追うように歩き続けた。仮に引き返さず遇ってしまった場合、bluff chargeを避けたければ遭遇と同時に後ずさりして距離をとることだろう。それに失敗し突進が起きたら、real attackを想定し樹に回り込みスプレーを構える。4m以内でスプレーは噴射。
 このケースでも走って逃げたらどうなっていたかは、私も検証する勇気がなく、わからない。

「うつ伏せ防御」のタイミング
 「うつ伏せ防御」とは「合理的な死んだ振り」ととってもらってかまわないが、重要なのはそれをおこなうタイミングだ。ヒグマに遭遇したときに、無策のままその場に伏せて無抵抗を演じるものではない。ヒグマの攻撃がbluff chargeであった場合も、まだおこなうべきではないだろう。4つの遭遇型で様々な撃退方法・なだめる方法があるが、それをおこなってもヒグマの本攻撃が回避できないときのための戦略なので、ヒグマの攻撃がまさに自分におこなわれようとしたとき、この方法をとる。
 遭遇したヒグマがどんなタイプのヒグマかを見もせず「死んだ振り」「うつ伏せ防御」をおこなうと、特に若いクマの場合は好奇心・興味で近づいて寝転んだヒトを小突いたり噛んだりして物色する可能性もある。その物色で怪我をするケースも北米では多い。「最後の手段」というのは、なりふり構わず迎撃する姿勢だが、その一歩手前に「うつ伏せ防御」があると考えて欲しい。
 万が一、ヒグマの側に食欲が絡んでいると感じた場合、例えば、自分の身体の一部をかじり食べようとしているとか、無抵抗な自分をくわえて持ち去ろうとしたり、その場合は「うつ伏せ防御」などしているときではないので、下述の「餌付けグマ」対応にシフトする。・・・と、マニュアルではなるが、実際に異常なヒグマに食べられかけている状況で効果的に怒り狂えるヒトはなかなかいないかも知れない。


2.「若グマ型」→様子を見ながら、「相手にしない」or「ガツンと一発」

 若グマ型の特徴は、「ウロウロする(躊躇する)」「辺りをキョロキョロする(注意散漫)」の他、表情にその好奇心が表れる場合も多い。軽やかなステップでフラフラと近づいたりする個体は、ほとんどこのタイプだろう。このクマは、あくまで気分で動いているので、興味を失うとさっさとどこかへ行ってしまう場合も少なくない。
 この若グマが「無警戒に好奇心で動いている」ことから、こちらの戦略としては
「警戒心を上げてやる」「興味を削ぐ」か、どちらかの方向性がある。
 「興味を削ぐ」には、単純に「相手にしない」「無視する」という態度がある。立ち止まり目を合わすと、それですでに若グマとやりとりをしていることにもなるので、チラリと見てそのまま知らん顔で通り過ぎる方法だ。ほかの戦略は、これをまずやってみて、相手の出方を見てからで遅くない場合が多いだろう。
 「ガツンと一発」が「警戒心をあげてやる」手法だが、これも棒や何かで中途半端にやると、若グマにとっては遊びの相手をしてもらっていることになり、さらに激しくじゃれつくことにもなりかねない。じゃれつきかけた若グマにおこなうのであれば、あくまで「ガツンと一発」で一気に撃退する方法でなければ逆効果だ。

 鉈などの刃物を全否定するわけではないが、老若男女・年齢・腕力を問わず、精神的技術だけで誰にでも安定して効果の発揮できるベアスプレーをお勧めする。興味本位でヒトに近づく若グマに対してのベアスプレーの撃退率は非常に高い。(私が用いているスプレーはカウンターアソールトというものだが、北大雪における私自身のスプレーによる若グマの撃退例は20件弱、撃退確率は今のところ100%だ)
  ただし、多少でも躊躇しながら近づく若グマなら、こちらの強い態度や音で威嚇することで逃げ去る場合がほとんどだ。イメージとしては、バッタリ遭遇で切迫したヒグマがおこなうだろうbluff charge。それを、ヒトなりに怒鳴り声を混ぜつつ棒や何かを使って荒々しく激しくおこなえば、若グマはおののいて逃げることが多い。仮にビクビクしていても、その気持ちを悟られてはダメ。2006年〜2011年の6年間に100回ほど若グマの追い払いをおこなっているが、ベアスプレーの消費は年間に1〜3本。その他は、ほとんどこちらからのbluff chargeで追い払っている。消費するスプレーの多くも、特に様子を見ながら忌避教育をおこないたくて、若グマが射程に入るまでわざわざ静観して噴射したものだ。


   
ヒグマが立ち上がるのは、その大半が攻撃のためではなく、曖昧な警戒心をもって興味の対象を確かめるため。手を高々と振ってやるくらいがちょうどいいマナーだ。 このクマは40mほどで遭遇し、やりたいように振る舞わせてみたが、好奇心が特に旺盛で、薮に入ってゆっくりと近づき、最終的にベアスプレーの射程内にまで入ってきた。
若グマ特有の軽やかなステップで接近。このタイプはあれよあれよという間に距離を縮めてくるので、スピーディーな判断が要求される。
 
顔はあらぬ方向を向いているが、意識はしっかりこちらに向けていると、右耳が物語っている。何か考え事をしているようにも見えるが、この状態からの突進が、若グマの場合は意外と多い。斜面上方のヒグマは特に要注意。 陽の昇り切った時刻になっても、このように姿を露わに農地で遊んでいるヒグマはだいたい若グマだ。いわゆる「異常グマ」ではない。 ヒトと関わる経験の乏しい若グマは、隠れる戦略もまだ未熟だ。逃げる姿にも、どこか無邪気で無警戒な感じが漂っている。ただ、このクマも追い詰めて切迫させ、本気で自己防衛本能を発揮させれば、ヒトは大怪我をする。
何やらおとなしそうで、かわいげなクマだが、私自身はこの手の若グマが大の苦手だ。何を考えているか、なかなか読めないからだ。 突然ササ藪に伏せて隠れた・・・つもりらしい。隠れ潜みのスペシャリストのヒグマだが、どうやら天性のものではないらしい。若グマはときにこのような滑稽な行動もとる。確かに、ササに隠れるのはいい方法だが・・・何かを見落としている。 こちらに興味を失い立ち去る若グマ。親離れ直後と見られる。親の顔が見てみたいが、ヒトへの警戒心はかなり薄い。穏やかで呑気な若グマだが、心を鬼にしてヒトへの警戒心を植え付けなくてはならない。


若グマ特有の「中途半端なbluff charge」

 bluff charge(ブラフチャージ)と呼んでいるヒグマの行動は、よく観察・分析してみると、幾つかの心理的な原動力がるように思われる。通常、論じられるのは、ヒトとの至近距離遭遇などで切迫した気持ちから起こされる、まさに「威嚇突進」。これが、じつは完全衝突を避けるためのヒグマの対話方法だということは述べたが、もう一つ、特に昨今の北海道で多いのではないかと考えられるbluff chargeに、私が
「play charge」と命名した突進がある。この突進のほとんどは、若グマによって起こされる。
 ヒグマのbluff chargeの類型としては、概ね下の三つのタイプがある。北海道の場合、ヒグマが突進を回する距離は、ほとんど50m以内だろう。少なくとも私が北大雪で経験するのは30〜40m程度が多い。

《bluff chargeの類型》
         TypeA:波状突進型で、ほぼ同じ方向から数度突進を繰り返すパタン
         TypeB:突進から方向転換をして、別方角から数度突進を繰り返すパタン
         TypeC:一度の突進から急停止して、その後、こちらの様子をうかがって用心深く歩き回るパタン
      

 いずれの場合も、急停止・Uターン・方向転換の距離は、ヒトから5〜10mが多いように思う。TypeA・Bにおける突進回数は、経験からすると3〜6回。これが延々10回も20回も続くようなことは、あまり考えにくい。
 いま問題としている若グマのplay chargeは、TypeAとBの形でおこなわれる。play chargeという呼び名が語るように、この突進には遊び要素あるいは自分の力とヒトを試しているような要素が含まれる。つまり、心理的に切迫していないのだ。非科学的言い方になるが、切迫したbluff chargeに対しては「落ち着け!大丈夫。いいから落ち着け」となだめる気が湧くし、play chargeに対しては「おまえ、いい加減にしとけよ!」とたしなめる気持ちが湧く。もちろん、これはヤマカンで思っているわけではなく、ヒグマのボディーランゲージを無意識に観察して瞬時に判断している結果だ。

 若グマは、とにかくtry&errorをおこなっている成長真っ只中のクマなので、様々な戦略を固定化させていない。固定化の前に「強化」という段階もある。「潜む戦略」では、潜みきれずに20m以上も離れた場所からコソコソっと動いてしまったり、あるいは、ヒグマの常套手段bluff chargeでも、じゃれつきなのか威嚇なのかはっきりしないものがある。
半信半疑で試している、と表現するのが的を射ているように思う。real charge(real attack)にも、突発的に自己防衛が働き相手を排除しようとした攻撃から、本当に相手を打ち倒そうとした攻撃まであることを示唆したが、bluff chargeにも、じつは幾つかの種類・段階があることになる。若グマは、bluff chargeをおこないやすい。しかし、そのbluff chargeが中途半端で、大して威嚇になっていない場合もある。「bluff chargeごっこ」「bluff chargeのトライ」と表現できる。
 特にこのplay chargeの前では、なだめるよりは、気丈に振る舞ったほうがいい結果が出せるように思う。私が心がけていることは、どちらかというとおおらかに声を出すということと、若グマがトントンとほとんど全力で加速し接近してきたときは、急停止・方向転換の行動が起きて、なおかつ視線がこちらに向いている瞬間に前へ一歩踏み出すこと。若グマに対して肩を入れて身を乗り出す感じだ。若グマがベアスプレーの射程を知っているわけではなかろうが、4〜5mの距離で急停止してUターンしたり、急に方向転換して走り去ったり、そういう波状接近を何度か繰り返す。もしかしたら、私がその距離で踏み込むような動作をするからかも知れないが、とにかく、1度目の突進でUターンしたときは、2度目はむしろ「さあ、来い!」というような気になっている。その構え自体が若グマを退けるのかも知れない。あくまで私見だが。いずれにしても、play chargeと見なした若グマの突進で、ベアスプレー噴射まで至ったためしがない。

 一般にあまり勧められる方法ではないが、
かつて、若グマのbluff chargeに対して、こちらもbluff chargeで返して退散させたことが何度かある。あるいはまた、突進を開始した若グマにベアドッグが突進し、そのまま追い払うこともままある。

 bluff chargeがヒグマの対話方法だとすれば、その対話のスキルをちゃんと若グマにも身につけさせたいところだが、走って逃げるなど、その対話ができるヒトがあまりに少ないので、若グマにあまりその対話方法を持ち出させないように躾けたほうが、現状としては安全だと私自身は考えている。

追記)
 ここで述べた「一歩踏み込む」という心理的戦略は、「来るなら受けて立つぞ」というボディーランゲージなのだが、play chargeのみならず、普通の歩調でこちらに接近する若グマに対しても功を奏することがある。しかしながら、他のタイプの遭遇でヒグマ側が切迫していたり、エサ絡みでつきまとってきている場合は、それぞれ「なだめる」「さらに明確に威嚇する」という方向にシフトせねばならず、その判断を瞬時瞬時でおこなうことは、通常困難なことかも知れないし、仮に判断しても突進してくるヒグマに踏み出すことができる人も、もしかしたら少ないかも知れない。ただ、簡単なマニュアルを確率論的・天気予報的に言うのであれば、50年前ならなだめる戦略が妥当だったかも知れないし、現代では、もしかしてもしかすると、「肩を入れて一歩踏み出す」というのが適切なマニュアルかも知れない。play chargeの場合も、走って逃げるのだけは、やめた方がいいと思う。

 

3.「餌付け型」→有利な条件をそろえ迎撃

 「餌付け型」にはエスカレートをまだ起こしていない「つきまとい型」と起こした「強盗型」がある。つきまとい型は、さしたる問題も起こさず、ただヒトのあとをついてきたりする場合があるが、これもいつどんなきっかけで強盗に変わるかわからないので、油断ができないが、強盗型への兆候に「ゆすり・たかり」の状態がある。
 
エスカレートを起こした強盗型に万が一出遭った場合、「なだめる」「無視する」「遠ざかる」「うつ伏せ防御」などの方法は通用せず、衝突は避けられないだろう。その場合、周辺の地形などを見てできるだけ有利に迎撃できる場所を見定め、スプレー、鉈、ピッケル、石、棒など利用できるもので撃退するしかない。
 私自身が常に念頭に置き恐れているのは、このエスカレートグマだが、このタイプに関しては存在すること自体が脅威となるので、「餌付けグマをつくらない」というヒト側全体の戦略が何より重要になる。今後の北海道でも、「餌付けをしない」を観光客・住民・行政・ハンターなどそれぞれの立場で徹底していく必要がある。

時間稼ぎの方法?
 遭遇したヒグマの気を引くためにザックを投げて時間稼ぎをするという方法が言われることがある。これには絶対的な条件があって、そのザックに少しでも食糧が入っている場合にはやってはならない。釣り人がクルマに帰るときにクマに出遭い、釣ったサケを放り出して走って逃げ帰ったという例まであるが、その人が仮に助かったとしても、その後にそこを訪れるヒトを危険にさらす。これはザックで気を引くのと同じで、それをされたクマは、「ヒトの前にドーンと出ると、おいしいものを置いていってくれる」と学習し、その行動をヒトに対して繰り返すようになる可能性が高い。じつは、これは一種の餌付け・餌やりだ。これにもエスカレートが考えられ、はじめは「物乞い」か「たかり」程度かも知れないが、何かの拍子に強盗タイプに変貌する恐れがある。ヒグマに対する餌付け・餌やりは、ベアカントリーでは禁じ手だ。
 もしどうしても気を引いて時間稼ぎをしたければ、あくまでヒグマの好奇心に訴えかけるもの、食べられないもの、例えば首にさげたタオルとかカメラとか、そういうものなら時間稼ぎもあり得るかも知れない。
 

4.「新世代型」(新世代ベアーズ型)→速やかに距離をとる(接近は厳禁)

 知床・大雪に出現している
「新世代ベアーズ」は、要するに、多くのヒトに毎日のように接近しつつ危害を加えられないことを徐々に学習し、ヒトに対して無関心・無警戒となったヒグマの総称である。北米アラスカのカトマイ、マクニールなどのヒグマ観光の場では、ごく普通に存在するヒグマで、観光の立場から考えると必ずしも悪いクマの状態ではない。しかし、その観光地を訪れるヒトの教育・コントロールを欠くと、一気に人身被害の危険性が増す。したがって、そのコントロールが高精度にできないエリアでは不用意にこのタイプのクマを生じさせない工夫が必要だ。

 ヒトに対して無関心で無警戒な行動をとるが、ヒトが大勢で囲んだり、騒いだり、あるいは接近したりすると、ストレスから威嚇方向に傾くことがあるため、100m前後まで距離をとり、クルマがあればそれを避難所として使い、静かに眺めるのが適切な観察法だろう。もし、クルマの運転中に新世代型が近くに現れても、窓は閉め、クルマからは軽率に出ないことが重要だ。クルマの強化ガラスはしまった状態なら簡単に割られることはないが、少しでも開いていてヒグマの爪がかかれば、いとも簡単に割れてしまう。

 新世代ベアーズは、上記の若グマと似るが、若グマが無経験・無知によって無警戒なのに対し、新世代型は経験を積んで無警戒になったクマだ。見分けはヒグマのボディーランゲージによってある程度可能だが、ヒトに対する「好奇心」という一点において、両者は決定的に異なる。ヒトを意識しウロウロしたり、何かを躊躇したり、あるいは軽快なステップで楽しそうに接近するクマは単なる若グマ。ヒトを無視しマイペースで行動し、ヒトと関わりたくないようにしているのが人に慣れた新世代型だ。

 ただ、新世代型で一つ注意すべきは、これらはある日突然新世代ベアーズに生まれ変わるわけではない点だ。新世代化する過程において、警戒心が徐々に薄れていく段階が必ず存在する。完全に新世代化し「ヒトは無害だ」と学習してしまえばいいが、その前の中途半端な学習段階では、無警戒と怖れが不安定な状態でせめぎ合い、近距離のヒトの前でにわかに怖れが上回り威嚇や逃亡に移るケースがある。
 また、知床自然センターの手前の幌別川にカラフトマスが累々と遡る時期にそこを遡行すると、何故か旧世代型の反応を示すヒグマが多く、これは岩尾別周辺の河川・林道・作業道を歩いても、同様のことが起きる。北大雪の若グマとさして変わらない反応だ。もしかしたらだが、新世代ベアーズの多くは、一面、観光客やカメラマンがのべつ幕なしに往来する特定の場所に対して慣れを生じさせている可能性もある。

 新世代ベアーズの存在は、知床などにおけるヒグマ観察・ヒグマ観光の可能性を立証したようなものだが、同時に、ヒグマに対する教育がいかに効果的にできるかを証明した存在でもある。


総論)
 1〜4で共通するのは、「グループがコンパクトにまとまり、決してばらけない」ということ。クマとの遭遇では、単独行動より数名のグループの方が、心理的にも物理的にも、はるかに対応は容易になる。ただ、それぞれが「クマの心理に働きかけ」の前に自らの心理コントロールをしっかり行う必要はある。
 この意味でも私は鉈をあまり勧めていない。パニック寸前で鉈の扱いに十分慣れないヒトが鉈を用いるのは自傷の可能性も高く、数名がコンパクトにまとまった状況でそれぞれが鉈を振り回したらどれくらい危険かは想像できる筈だ。

  
 最も代表的な4つの遭遇タイプについて方向を示したが、実際の現場では、仮にクマと静かに対峙した状態が続いても、速やかにどのタイプのクマか見分けられないことも多いだろう。なので、最悪の「餌付け型」を念頭に置きつつ、まず「バッタリ遭遇型」の対応をとりクマの反応を見て、クマ側の態度や出方によっては「若グマ型」対応にシフトするという、臨機応変なクマとの「やりとり」を行うことになる。これが、先述した遭遇時におけるフィードバックループだ。


 足早に書き進めてきたが、クマが存在する限り、山でクマと遭遇し怪我をする人はなくならない。が、それは渓流で転んで怪我をするのと何ら変わらない。転ばないコンクリで川を固めることがどれだけ愚かなことか、私たちは既に知っている筈。クマはヒトが対応を間違えば危険性のある動物でかまわない、いや、そうあるべきかも知れない。
 豊かな山があり森があり川がある。そしてそこには怪しげで恐ろしげで素晴らしげな野生動物が暮らし魚が泳ぐ。そこへ踏み入って山や川の豊かさを感じ享受する。少しだけいただく。それが、自然を楽しむ行為の真骨頂だと私は思う。


ようこそ、ベアカントリーへ!




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