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《お知らせ》

「ヒグマ出没!ガオー!」という従来の看板を改め、
「いこいの森」周辺では、
このような事実本意の看板を
設置しました。


派手なデザインで
地味な活動をアピール
「ベアドッグ」





「白滝ジオパーク」

北海道・来たら白滝!



プロローグ―――現代のヒグマとヒト、構図は?

征服の開拓文化から共生思想へのシフトは実現できるか?
 北海道では開拓期以来、野生動物の駆逐という方向で野生動物対策を行ってきた。開拓精神と言えば輝かしい歴史のように聞こえるが、北海道における開拓とは森林を切り開いておこなわれる農地開発を指し、それはすなわち在来生態系の破壊、環境破壊の歴史でもある。狩猟民族アイヌの大地だった蝦夷地に、農耕民族の倭人が侵入し、見方によっては侵略占領したようなものだから、当然、その文化変化に伴い、急激な自然環境変化も起きた。高々100年そこそこの時間ではあるが、その過程でエゾオオカミなどの野生動物を絶滅させてしまうなど、現代の価値基準からすれば取り返しのつかない過失も犯している。
 もちろん、日本という国にとって農業は必要なものだ。問題は、その農業をおこなううえで、どういう自然の壊し方をするかという点だろう。環境保護団体の中には自然保護を重視したものも存在するが、私の意識では保護論ではなく破壊論だ。何をどのようにどの程度壊していくか。そこに焦点があるように思われる。

 開拓期当初の無秩序な開拓から1世紀を経て、世界の知識と価値観は変化し、この日本でも現代は「エコの時代」「共生の世紀」「環境云々」と言われるまでになった。要するに、地球温暖化をはじめとする20世紀におこなわれたヒトの活動の過失が明らかになり、今後の人類と地球の恒久的で安定的存続のために、自然環境とヒトの関係を構築しなおさなければならくなったわけだ。そのキーワードが「共生」だ。エネルギーをどこからどの程度どうやって獲得するか? 大気や水に対するインパクト(悪い影響)をどうやって抑えていくか? 害獣とされた野生動物とどうやって折り合いをつけてやっていくか? この膨大なヒトの食をどうやって生産していくか? 共生という概念抜きに考えられる課題はひとつもない。

英知の試されるとき―――信頼に足る共生の方法論を見つけ出す
 北海道におけるヒグマ政策の転機として1990年の
「春グマ駆除廃止」はあるが、駆除一本槍の手法を100年続けて何か解決したかというと、それは現在、ヒグマ問題が解決困難となり、あるいは泥沼化している多くの地域を見れば明白である。現在では世界の保護動物とされ、石狩西部・留萌方面の個体群は、既に環境省・北海道のレッドリストに載るまでになっているヒグマだが、特に近年、ヒグマの捕獲数が増加しつつ、効果乏しく農業被害は拡大し、人里はおろか市街地・都市部へのヒグマ出没も増えている。解決どころか、悪いスパイラルに陥っているようにさえ感じられる。

 駆除一本槍には、すでに我々が依存していけるだけの信頼性がない。率直に言えば、北海道というのはこの点かなり遅れていて、環境先進国では「野蛮」と見られることさえ多い。野蛮とは、無知を伴った暴力性だが、少なくとも無知という点において、北海道で野生動物や森林・河川に対しておこなわれていることは、グローバルスタンダードからすればかなり野蛮かも知れない。世界各国・各エリアでは、クマ・オオカミ・トラ・ゾウなど、従来は害獣とされた迷惑で危険な野生動物に対して保護政策が明確にとられている。多くの日本人が後進国・発展途上国と思っているインドや東南アジアの国々で、ゾウやトラという、ヒグマなど可愛く思える動物の保護が進められ、数も回復に向かっている。これらの野生動物が増えて回復していけば、もし従来通りの知識・意識・スキルでは、当然被害のほうもどんどん増える。そこで、ヒトの英知を発揮して被害を防ぎつつ共存を果たす、というのが現代の潮流だ。
 強獣とも言われるヒグマに関しても、農業の経済被害を解消し、人里の安全性を確保しつつ、無闇にヒグマを殺さない。この三つを同時に成立させていくしか、北海道のヒトが今世紀の文明人として成熟していく方向は存在しないのではないか。

札幌クマ騒動は北海道の象徴
 2011年、上半期から北海道各地で市街地出没が起こり、秋に入ると190万都市・札幌周辺でヒグマの出没が相次いだ。毎週どこかで「ヒグマが歩いているのを見た」「痕跡が見つかった」と情報が上がってきて、「クマ騒動頻発」と表現していいほどの扱いを受けた。「ドングリの凶作」を道庁はクローズアップしたが、ヒグマの場合、必ずしもこの説には依存できない。ヒグマを専門に扱ってきた研究者・活動家からは否定的な見解が述べられ、
「若グマの増加説」「新世代ベアーズ化説」など幾つかの仮説が可能性として指摘されたが、はっきりした原因は立証を伴って特定できておらず、全体像もはっきりしていない。ただ、この札幌西山塊からの市街地出没は、90年に廃止された春グマ駆除後20年経って順調にこの山塊のヒグマの生息数が回復してきた証ともとれ、また、山を歩き回ってヒグマを追跡するクマ猟が皆無となった現代、同時にそのヒグマを無警戒に育てている可能性もある。幾つかの複合的な理由でこれらの出没が起きていることは確かだが、2011年が単なる異常年であるとするのは、じつは危険な判断ではないだろうか。
 メディアに踊りセンセーショナルとなった一連の出没騒動とは裏腹に、冷静に見るならば、札幌が西側で隣接する山塊は深く、ヒグマの生息地としては北大雪・天塩山塊・知床連山などの他のヒグマ大生息地に引けをとらない環境的な収容力(ヒグマを養えるポテンシャル)を持っている。その山の裾が落ちている札幌西側の林縁部は、いつ経験不足で無警戒な若グマ、あるいは人にストレスをさほど感じない新世代型の個体が、いつフラフラと歩いてもおかしくない環境にある。実際、定山渓はもとより簾舞周辺への北側から出没はかなり前から起こっており、その出没エリアから盤渓・円山まで10qもない。この距離は、この山塊が仮に険しくても、ヒグマの足なら半日で楽に踏破してしまう距離だ。むしろ、札幌市がその状況をほとんど把握しておらず、無策だったところに何頭かの若グマが例年とさほど変わらぬありさまで出没した。それを、異常年たる噂も手伝って、まるで「異常な形で突然クマが出た」と認識しているようにも思える。
 札幌周辺のクマ騒動に関しては、札幌西側の林縁部を中心にこの山塊を広く調査してみないと何とも言えないだろうが、それを欠いたままこのエリアの合理的なリスクマネジメントを構築するのも困難だろう。

 問題の本質は、クマがが出没したことよりも、そのクマの動向を札幌市が把握しておらず、想定も対策もなにも乏しく右往左往するばかりで、効果的な対策を速やかに繰り出せない状態だったところにある。どういう傾向(年齢や性質)のヒグマがどのエリアでどのように暮らしているか、そしてその動向変化はどういう方向なのか、それをほとんど調査せず、無策のまま完全に後手を踏んでいる。合理的で実効的なヒグマ対策は、素人には難しい。一般職である鳥獣行政あるいは単に銃器を持っているハンターらには、実際、困難な作業なのだ。逆に、ヒグマの専門家であれば、効果的にツボを押さえてそれをおこないうる。北海道の雄である200万都市に迫る札幌市が、近隣に暮らすヒグマに対して調査・パトロール・追い払いから防除にいたる対策のために、ヒグマの専門家の数名も雇うことができていない現実。これは、北海道におけるヒグマ対策を象徴している。
 

 
不合理なヒグマ対策が悪化と慢性化を招いている中山間地域
 一方、都市部郊外への出没ほど大きく取り沙汰されることはないが、道内各地の特に中山間地域でヒグマ問題は慢性化・泥沼化の様相を呈し、毎年、農作物等の経済被害が深刻化しつつ、昼夜ともなくクマが徘徊する危険な人里での暮らしを余儀なくされている住民がいる。
 北海道では、バイオエタノールの影響もあり飼料用コーンの値が上がり、自家生産が有利になったことから、道庁農政サイドがデントコーンへの作付け変更を推進してる。従来牧草地だった場所が次々にデントコーン農地に変わっているが、多くの場合、その変更で対ヒグマ防除対策が加えられることはない。
 デントコーンは、大農法基調の大規模・大雑把な作物であることから、従来より北海道でヒトとヒグマの悶着・軋轢の主人公になってきた作物だ。「助成金をあげます。デントコーンをどんどん栽培しましょう」はいいのだが、「クマの防除のほうもしっかりやってね」がセットで助成金を降ろさないと、悶着のタネを北海道中にただまき散らしていることにしかならない。

 クマの好むデントコーン農地が無防備に山間部に広がれば、クマによる農地被害件数・被害額が増えるのは必然だが、同時にクマの降里・目撃・遭遇の数が増加する。そして、従来通り自動的に「クマ→害獣→殺しましょう」では、ヒグマの捕獲数も増える。実際は、単に捕獲数が増えているだけで、ピンポイントで問題個体を殺していないので、被害のほうは延々減らない。過剰な被害があるということは、その人里の安全性が崩壊しているということだ。つまり、事実本意にいえば、道庁の農政サイドが軽率におこなっている経済優先のデントコーン増殖計画は、人里の安全性とヒグマの保護を無視した政策という言い方もできる。100年前の開拓精神からさして進歩していないのか。縦割り行政などと役所体質が言われて久しいが、自然環境課が経済被害解消と人里の安全性確保をめざしてウンウン唸ってやっているいところに、ヒグマをはじめとする野生動物と悶着・軋轢を演じている主演格の農政サイドがこれではお話にならない。現場としては、道庁ならびに知事には、「ヒグマを人里に寄せたいのか、遠ざけたいのか、どっちだい?」と単刀直入に聞きたくもなる。

 奇しくも同2011年、農水省枠の野生動物被害対策の助成金100億円が日本全国に降ろされた。100%補助ということだったが、この助成金にも人里の安全性観点はなく、ただ農地の経済被害の防止が趣旨としてある。したがって、北海道の場合、申請段階では「クマとシカの防除のため」とされるだろうが、実際には被害が甚大なシカ柵に使われることはあっても、ヒグマの防除は反故にされるケースが相次ぐ。北海道の多くの酪農家の経営センス・意識からすれば、恐らく、設置方法も大雑把でメンテナンスもされないところが多いだろう。


 農地などでの経済被害解消はできるだけ速やかに実現させていかなければならないが、そのために人身被害の危険性を増大させる方策をとり続けることはできず、また、今後さらに猟友会ハンターの高齢化・空洞化・減少も進むと予測されることから、早急に合理的で総合的ヒグマ対策にシフトする必要に迫られている。

 これまで世界各国で検証されてきた事実、あるいは北海道の優れたクマ撃ちや研究者が解き明かしてきた被害解消に有益な事実とともに、現在、我々が突きつけられた幾つかの現実があるように思う。

  1.中山間地域の過疎化・高齢化
  2.猟友会ハンターの高齢化・空洞化・減少
  3.箱罠の乱用が効果的に山のクマを人里に引き寄せtrap-shyグマをつくり、地域に蔓延させる。
  4.電気柵の誤用は、むしろ「掘り返しグマ」をそのエリアに量産させる。
  5.無分別なヒグマの駆除は、人里周りに局所的に若グマを増やす可能性がある。


 この五つから、ときに絡み合いながら派生する問題群が当然ある。時代の変化による不可避な問題や、長年のしきたり・因習によって固着したようなローカルな常識もあるので解消は必ずしも容易ではないだろうが、このページでは、これらの構造を特にヒグマの生態・性質から深く掘り下げ説明しながら、解消策を提案するところまで書き進めていきたい。

※「空洞化」というのは、ハンターの数はいるけれど、実際に山にヒグマを追って問題個体を的確に仕留めることのできる、いわゆる「クマ撃ち」がいなくなったことを意味する。銃器さえ手にすればヒグマに対抗できるというものでは決してないが、現在、北海道では「クマ撃ち」が風前の灯火だ。



ヒグマ対策の鉄則―――予測・先回りして原因をコツコツ防ぐ

 上述のように、農地・人里にヒグマが常習的に降りるということは、すなわち、その人里およびその周辺でのヒグマによる人身被害の危険性の増大を意味する。ヒグマ問題というのは農地等の経済被害の側面からだけではなく、人身被害の危険性を含めた人里のリスクマネジメントとして総合的に考える必要がある。端的にいえば、子供を安心して遊ばせられない人里というのはあり得ない、という出発点だ。
  北海道においては農地の経済被害は「被害額」という数値化がなされ評価されるが、人里の危険度という定量化はなく、曖昧なままにされている。その曖昧さが町道の閉鎖・市街地出没などにつながっている傾向が強いが、交通事故同様「人身被害>経済被害」という原則・道理をもう一度しっかり押さえる必要がある。ヒグマ問題というのは、経済被害的に個人の利害問題でありつつ地域全体のリスクマネジメントの問題だ。

 このリスクマネジメントは、その地域に関わるすべてのヒトの合意と実践によって達成されうる。行政はもちろんその認識を高く持たなければならないだろうし、住民・農家・来訪者・ハンターなど、それぞれの立場でそれぞれの努力をし、ヒグマを人里内に誘引しないようにしなければならない。住民としては、コンポストや生ゴミの管理を完全におこなう。農家は農地がヒグマのエサ場とならないように最大限の努力を払う。ハンターは、回収不能のシカ死骸を人里周りに放置しないようにする。行政は、無闇に箱罠を置いて周辺のヒグマを寄せないようにするなどのほか、バッファスペース、電気柵、追い払い等のヒグマを遠ざける効果的な方法を適宜採用していくことになる。
 とにもかくにもエサ場となりうる場所が十分管理されず人里内に存在すれば、クマに限らず周辺の野生動物がそこに誘引され降りるのは避けられないので、それらの場所がエサ場とならないように管理する、つまり先手の「防除」という方策を何より重視しておこなうことが肝心だ。

 従来的には、北海道ではヒグマの降里・降農地が比較的容認あるいは仕方なしと思われつつ、降りたヒグマを捕殺するという手法に偏重してきたため、必然的に人里内の人里としての安全性は確保が不可能だった。のみならず、農地被害も効果的に減ずることに失敗しヒグマ問題が泥沼化している地域が特に中山間地域には多い。

 対ヒグマ・リスクマネジメントにおいて、それが山であろうが里であろうが、あるいは中山間地域であろうが都市部であろうが、漫然と見逃し後手を踏めば踏むほど経費・労力はかさみ、危険度も跳ね上がってしまう。ベアカントリーの戦略的に、もちろん山にはヒグマが暮らすという大前提で、「遇ったらどうするか?」ではなく「悪いシチュエーションで遇わないためにどうすればいいか?」であったのと同様、人里のリスクマネジメントの基本は、「降りたらどうすれば?」ではなく「降りないためにどうすればいいか?」に、今後の北海道では荷重をを移していくべきだろう。そこには、ヒグマを知ること、ヒトの過失を知ること、そしてヒトとしての英知と決断が必要不可欠に思われる。

切れるカードをできるだけ多く持つ
 従来の行政は、対ヒグマリスクマネジメントで切れるカードをほぼ1種類しか持ってこなかった。つまり、猟友会に依存した「捕獲」というカードだが、そのカードも今世紀に入っていよいよ力が減衰してきている。早急に行政が切れるカードを持たなくてはいけないが、その有力なカード群が上述した事前の策、つまり先手の防除である。カードを持たない行政は、仮に対応を判断しても、目をつぶって1種類のカードを切り続けるしかなかった。それではトランプだろうと花札だろうとヒグマ対策だろうと勝てるはずはない。実際は、切れるカードを持たなければ判断しても意味がないので、判断に必要不可欠な「ヒグマの知識・理解」とか「調査によって把握する」とか「道理や科学によって分析する」とか、そういう過程を放棄してきた。それも人間だから仕方ないが、今後、猟友会の高齢化・空洞化・減少という唯一のカードの減衰の中で、そうも言っていられない状況だ。行政は、人里の安全と農地等の経済被害を減じていくための実効的なカードを、十分合理的な判断のもと臨機応変に切れるよう、できるだけ多く堅持する必要がある。そして、判断の合理性を担保するために、事実本意にヒグマを知り、自らのエリア周辺のヒグマを一定レベルで調査・把握することが不可欠になるだろう。



ちょっと一言行政の理解と意欲が地域を守る―――上川町・興部町の取り組みより

 この数年、各地の鳥獣行政担当者や猟友会支部長の方々と会って話をする機会が増え、人間側のいろいろについて学ぶ機会も多かったが、鳥獣行政が被害の解消を本気でめざし積極的に動いている地域では、多くの場合、ヒグマ対策はいい方向に進んでいる。いい方向というのは、経済被害を防ぎつつクマの捕獲もむやみにおこなわない方向だが、結果、人里の安全性も一定レベルで確保されていることが多いように思う。 
また、その鳥獣行政を支える猟友会の体質というか真剣さというか、ヒグマというのがいわゆる害獣ではなく、狩猟をおこなううえでの貴重な資源であると考えている場合は、必然的にむやみな有害捕獲には進まない。むしろ、ヒグマというのがどういう動物なのか、どうやって駆除などしないで山に生かしていけるかを、真剣に考えて取り組みを展開している。

 大雪山系の麓・上川町といえば、数年前、牛の被害が相次ぎ大きな被害をだした町として記憶している人も多いだろう。その一連で、行政対応にミスがまったくなかったとは言えないと思うが、それを真摯に反省し、この数年できっちり克服してきているように感じられる。上川町では鳥獣行政担当者が罠免許を取得し、駆除の際の箱罠設置は、猟友会の面々に相談しつつ自分でかける。そして、ヒグマがが罠にかかった場合、猟友会のエキスパートが止め射しを確実におこなう。こうして猟友会の負担を最小限にすることで、本当に捕獲が必要なヒグマに対して、集中的に対応することもできる。
 そしてまた、上川の猟友会支部としては、農家の努力や自己責任の原則を重要視する。つまり、何も努力をしないでヒグマ問題が起きて、それを「何とかしてくれ」というスタンスを排除しているのだ。猟友会・行政がともに、クマを捕獲するのが目的ではなく、将来に生きる形で被害防止を進めるのが仕事だと、そうはっきり理解している証拠だが、そのおかげで徐々に地域全体が防除への意識を高めつつある。
 上川では、「クマコネジャー」という、センサーで大きな音が鳴るクマ用の追い払い機器が行政主導で導入されていて、酪農家の牛舎周りの電気柵の四隅に設置されたりしている。この追い払い装置がどれくらいヒグマに効くかは未知だが、こういうちょっとした取り組みのうち幾つかは、将来効き目が確かめられ、道内各地で普及してクマ対策に利用されるかも知れない。とにかく、現代はヒグマ防除の創生期なのだから、こうして何かをやってみて確かめるしかない。もし仮に「クマコネジャー」があまり効果的ではないとわかったとしても、それをもって上川行政を批難するのは違う。むしろ、その試行錯誤の姿勢を評価すべきだと私は思う。

 ところ変わってオホーツク海側の興部町では、やはり行政側に銃の所持許可を持ち、猟友会と一体になってシカ・クマの駆除活動をおこなっている人がいる。日本で銃器を所持・維持すること自体、かなり大変なことなのだが、それを惜しまずやっている。ここまで積極的に行政担当者がやってくれれば本当に言うことはないが、銃器まで持たないにせよ、せめてそういう意欲くらいは持ってもらいたいものだ。興部の猟友会支部長の方は、上川同様、何でもかんでもクマは殺すという捕獲一本槍には否定的で、やはり、猟友会ハンター全体が、ヒグマを知ろうという意識が高い。現在では、箱罠を仕掛けた時には、デジタルセンサーカメラを設置し、箱罠の周辺でどのようなことが起きているかを調べている。ヒグマに対抗する実力をもちながら、それを自分で判断制御して、必要なケースに対して必要なだけヒグマを捕獲しているような印象を受けた。

 両地域とも、原理原則をよく踏まえていると思う。まず、駆除をおこなう責任は趣味の団体である猟友会にはない。猟友会はボランティアでお手伝いをしているだけで、責任は行政にある。だから、できる範囲でできることを行政がおこなうのは、当たり前と言えば当たり前だ。そのうえで、技術的に困難な作業を猟友会に依頼して、ヒグマなどの駆除がおこなわれる。これが原則だ。
 行政の中には、その原則を踏み外して誤解している人が多いように思う。それは、何も猟友会に対してだけではなく、調査・パトロール・追い払いなどをおこなう人間に対しても同様だろう。役場の椅子に座って指図に終始し、現場の声に耳も傾けず机上の空論を振りかざす行政担当者、これが最悪だ。

 第二に、ヒグマ対策はクマを殺して駆逐するのが目的ではないと、行政・猟友会支部がともに理解・合意して対策にあたっているところ。いかにしてヒグマによる経済被害を地域からなくし、人身被害が起きるのを防ぐか。両町とも、そこに焦点が定まっている。ヒグマの捕獲というのは、その中の一つのオプションに過ぎない。

 鳥獣行政と猟友会。上川や興部のように両者が被害防止に向けてしっかりタッグを組めればいいのだが、それがなかなか難しい。どちらかが無責任で意欲が乏しかったり、逆に思い込みであらぬ方向に暴走気味だったり。無責任と思い込みが両方揃えば、ヒグマの捕獲ばかりに税金が使われ捕獲数が増えつつ、被害がちっとも減らない危険なエリアが出来上がる。ヒグマ対策の一番の要は行政だ。そこを再認識してヒグマ対策をおこないたい。



人里という空間イメージの共有
 人里のリスクマネジメントを考えるときにまず必要なことは、行政、住民、来訪者などの間で人里の空間イメージを共有することだろう。例えばあるエリアでは、シカ駆除で徘徊するハンターが山塊・森林で見かけたヒグマを判断なしに即銃殺する行政対応がとられていたが、それは行政・ハンターが人里の空間イメージをしっかり持っていなかったからともいえる。現在なお北海道の地方には「山に獣はいらない。川に魚は要らない」と切り捨てる議員なども存在するが、多くの住民の意見は「人里に降りて悪さをしなければいてもいい」「山にいてくれるぶんにはなんぼでも」というもの。つまり、共有した人里空間に合理的策を講じてヒグマが侵入しないようにすることは、最大多数の意見・希望・願望を実現する目標として掲げることができる。
 人里とは一種のヒトのテリトリーで、まず全員一致で「ヒグマを山から引き寄せない」と合意がなければならない。その合意のもと、各自・各方面が努力し、それでも人里に侵入してきたヒグマはそのエリアから追い払われるか、それが不可能なら捕獲も致し方ない。が、その空間の外では積極的な捕獲は慎む方向である。そのモデルはいろいろあるだろうが、下にひとつ示してみる。


人里  一種ヒトのテリトリーとしてあり、ここにヒグマが侵入しないように工夫・努力しつつ、侵入した場合は警戒態勢をとりながら、場合によっては威圧・威嚇し追い出す。ヒグマ側にテリトリーという感覚がないため、強固な柵を張る以外、威圧・誇示・アピールという手法でヒグマを遠ざけるスタンスとなるが、基本的に人里が普通の空間から隔離されているという概念である。
シェアスペース  ヒグマとヒトの接点を積極的につくった空間。ここでおもにヒグマとヒトはそれぞれを学ぶことになるので、実質的にはエデュケーショナルスペース(教育空間)である。すべての地域に必要な空間ではないが、この空間を設定することでヒトとクマの関係はピーキーにならず、対応も容易になる。
山塊・森林  シェアスペース同様ヒトとヒグマの両方が存在する共存空間だが、原則的にヒトによる管理は為されない空間。ヒトが十分ベアカントリーのスキルを身につけ、「お邪魔させてもらう」という意識で訪れるべき空間だろう。


ヒグマにテリトリーはあるか?
 人里に対して「テリトリー(なわばり)」という言葉を用いたが、現在、ヒグマの専門家の間ではこの言葉をクマに対しては用いない。クマに対しては、単純に行動範囲の外周としてホームレンジ(行動圏)が用いられる。テリトリーの定義上、必要条件は他個体を排斥して占有空間をつくることであるが、ヒグマは行動圏(活動範囲)を何頭もクロスさせていることから、定義上、単純明快に「ヒグマにテリトリーはない」と言うことができる。ただし、ヒグマがまったくテリトリアルな性質を持たない動物であるとも言えず、ここに関しては今後の研究課題とも言えるだろうが、私自身は時間軸で可変な「
準テリトリー」という概念を使っていろいろを捉えている。とにかく、「人里はヒトのテリトリー」であるとしても、「山はヒグマのテリトリー」という事実がない。ヒトが一方的に縄を張って占有空間をつくっている、その隔離された特殊な空間が人里であると考えてもらいたい。



餌付けを避ける―――人里にヒグマのエサ場をつくらせない
 野生動物に対しての「餌付けを避ける」―――これは、自然を知っている人ならば当たり前のように聞こえるだろうが、前頁「ベアカントリーに踏み入る」で述べた「食いしん坊なヒグマ」に対しては特に、人里でもやはりこれが最重要で、初手の戦略となる。
 ヒトが暮らしている限り、周辺の山のヒグマを誘引してしまうのは仕方がない。毎晩食べる夕飯のニオイがクマに誘惑的なのは致し方ないこと。この誘引だけでは、必ずしもヒグマ問題というのはこじれない。また、単なる移動や好奇心でヒグマが人里を横断したり侵入したりするケースでは、ヒト側が注意喚起をするのみで往々にして問題は自然消滅する。ところが、誘引され、そこの人為物をヒグマが食べることによって、ヒグマは常習的に人里に降りるようになり、その食物・場所に執着しながら、最悪の場合は行動をエスカレートさせ危険な存在となる。

 「餌付け」という言語の定義はいろいろでそのままでは議論が噛み合わないが、人為・無為にかかわらずヒグマに食物を提供し行動を変えることを「餌付け」と呼ぶとすれば、我々がまずおこなうべきは、ヒグマに対して人為物の餌付けをおこなわないこと。その方策をきっちりおこなったうえで人里内に侵入してくる個体に対して適宜対応する、というスタンスになる。

 行政が頼れるカード・方策・手法には、現在効果的であるとわかっている方法が幾つかあり、それは北海道の各地でおこなわれ、また効果が未知な方法も期待を込めて一部地域でテストされているが、ヒグマによる農作物の被害対策としては、原則的に「電気柵」がメインとなる。
 農地に対するヒグマの防除は、現在では十分普及した電気柵を適切に設置・運用すれば、その防除能力完全に近いほど高く、コストも比較的低く抑えられる。例えば本州で問題となっているサルの防除では、サルの知能が高いことに加え、掴む・跳ぶ・走るなど運動能力が高いので防除といっても一筋縄ではいかない。電気柵を併用するにも、動きが速く一瞬で越えるので、確実に電撃を加えるためには電気柵の付近で足止めをして時間をかけさせる必要があったりする。それに比べれば、ヒグマというのはせいぜい掘り返す・よじ登る程度なので、電気柵の導入初手からしっかり設置・運用をすれば、ほとんど防ぐことができるわけだ。

 何か問題を起こし捕獲駆除されたヒグマの胃内容物の分析から、現在の北海道ではポイ捨てのゴミやゴミ箱・コンポスト類の管理不足ではなく、農地の作物がヒグマとの悶着・軋轢の主役となっている。つまり、人里のリスクマネジメントを考えるとすれば、上述の「鉄則」に則して農地のヒグマ対策を実効力のあるものに変えていく必要があり、逆にここをしっかり解決していくことで、自然に人里の安全確保は達成されうる。

 ちなみに、野生動物に対する餌付けというのは、カラスでもシカでもクマでも、大なり小なりその動物への援助の側面を持っている。北海道におけるシカの被害が50億円ということは、50億の高栄養な食物をシカに提供して援助しているということ。それだけ援助されていれば、もともと増えるように設定されたシカがさらに過剰に増えても仕方ない。
 私が小さいころ実家(東京都・世田谷区)周辺でカラスが大繁殖し、ゴミは荒らす、庭の何かを巣の材料として持っていく、干した布団や洗濯物に糞はする、路上の糞は乾いて飛散しアレルギーを起こすヒトがでる、などなどの問題が生じた。そのカラスを町内会では「カラスの野郎!」と目の敵にし、かなり攻撃的に嫌っていたが、見境のない人もいて、カラスめがけて投げた石が向こうの住宅のガラスを割るなんていう滑稽な、もとい危険な出来事なんかも起きた。それくらい、カラスは害鳥として君臨していたわけだ。
 ところがそのうち、繁殖期に通学途中の小学生や買い物帰りの奥さんを攻撃する事例が発生しはじめ、カラス問題はいよいよ佳境に入ってきた。そこではじめて、町内会ではこのカラス問題の構造を冷静に考えてみた。そして、カラスを集め、増やしているのが、他ならぬ自分たちだということに気がついた。被害者面がにわかに消えた。どうやったらこの問題を解消に向かわせられるか、勉強し、自分でも考え、その後、ゴミステーションにはネットがかけられ、そのネットは年々進化した。こうしてカラス被害は減り、人の心にも敵意や憎悪がなくなってめでたしめでたし、という結末を迎えた。

 北海道では、害獣ヒグマはカラス同様被害の側面からしか問題とされることはなかったが、そろそろこのあたりのことも事実本意に整理して語られるべきと思う。ヒグマはシカのようにどんどん増え植生を変えてしまうような野生動物ではないが、シカ同様、原則的に食物が豊富にあれば着床遅延も絡んで産子数が増え、結果、繁殖率を高めるほうへ傾くと考えられる。同時に大型化する可能性もある。現代において被害を減少させつつヒグマの生息数が増えるのは「回復」という言葉で表現できる状態だが、被害がクマの数を増やしているとすれば、それは決して好ましい状況とは言えない。
 現在までの北海道の多くの人は、カラスめがけて石を投げ隣人の家のガラスを割った人を笑えないように、ちょっと思う。

正論以外の緩和代替策の例―――軋轢の主役・デントコーンを考えてみる
 とはいえ、北海道の主農業でもある酪農で栽培され、なおかつクマ・シカ・キツネ・クロテンなど周辺の野生動物の好物でエサ場となりやすいデントコーンの場合、耕地面積も比較的大きく、即座にヒグマ対策の電気柵を回すこともなかなかできない農家の心理的現実もあるだろう。その場合、労力・金銭的に負担を増やさない幾つかの緩和措置がある。
 一つは、デントコーンの刈り取り時期の適正化だ。品種によって多少の差異はあるだろうが、デントコーンの生育最適気温は20〜30℃。気温が10℃以下になるとほとんど成長せず、夜間に-3℃になると枯死する。これは、農林水産省の一般データとしてもこうなっている。ところが、シルヴァーウィーク前後のこのエリアの平均気温は10℃ちょっと。最高気温でさえ20℃以下で生育最適温度を下回っている。また、デントコーンの合理的収穫期というのは完熟期ではなく、受粉から40日ほどで現れる黄熟期。この黄熟期にTDN(可消化養分総量)、乾物収量ともにピークに達する。つまり、栄養価が高く、牛の食い込みが最もよく、収穫量も最大となる。この時期のデントコーンは、そのまま人が食べても甘く感じるほどだが、ここから徐々に固く甘みも失っていく。
 要するに、固くなって養分・甘みが薄れてゆく9月のデントコーンを、いつまでもダラダラ農地に置いておけばいいというものではないのだ、本当は。実際、9月以降ほとんど成長しないデントコーンを、ヒグマや台風や秋の大風、さらに早霜などの被害リスク、そして慢性的なエゾシカの食害に晒していつまでも畑に置いておく理由など、本来的に存在しない。ましてや、そのデントコーンが毎日通学途中の小学生や農作業の人、あるいは不特定多数の膨大な数の観光客・キャンパーを危険に晒すとすれば、早期刈り取りというのも決して無体な提案ではないと思うが、いかがだろうか。

 実際に、2011年、9月上〜中旬には気象条件が悪く、多くのデントコーン農地が黄色く変色しはじめた。こうなると、ヒグマに食べられるどころの被害ではない。(下右写真)
 ここにも農家の認識が関与する。少しでも体積を増やしたいと思うのが一般的農家の心情のようだが、体積が増えて栄養価が落ちるのをよしとするのでは、高栄養なデントコーンではなく、牛にそのへんの雑草を食べさせるのと大差ない。それこそ耕作放棄地放牧の類でもやればいいのだ。せっかくデントコーンを作るのであれば、こいつの利点を最大限に引き出した形で収穫し、牛の栄養、ひいては乳量につなげるべきだと私などは思う。
※あくまで模式図だが、デントコーンの成長・含まれる栄養価・ヒグマの降里・降農地・被害の変化を示した定性的グラフ(左)と、紅葉に映える枯れススキならぬ10月の枯れデントコーン(右)。まことに不思議な風景だが、エリアによっては、こういう風景が到る所に見られる。年によっては来襲した台風・秋の大風でデントコーンがすべてなぎ倒される例もある。農業の合理性を最低限保持した上で野生動物を害獣扱いしてみるのも北海道では必要なことかも知れない。

 さて、ここで受粉期というのが問題になる。地域によって異なるだろうがオホーツク海側の中山間地域ではデントコーンの受粉期は概ね7月中〜下旬で終わる。農水省データでいけば、8月から9月の変わり目あたりで刈り取りをするのが、最も合理的な収穫ということになる。ちなみに、ヒグマの降里・降農地は、お盆過ぎのデントコーンの黄熟期に合わせて本格化する。もし合理的収穫期がわからなければ、様子見に降りていたヒグマが本食い期に入るタイミングを狙って刈り取りを行えばいい、という言い方もできる。
 少なくとも8月いっぱいまでにデントコーンを刈り取ることができれば、ヒグマによる農地被害は1/5以下に抑えられる可能性がある。ヒグマの人里・農地への出没は、7月後半からの下見の時期に比べ、はるかに急速に収束するので、人里内の人身被害の危険性も効果的に減らすことができる。(上図)

 従来北海道では、投棄メロンなどいわゆるハネモノの管理が言われてきた。それはそれで重要なことだろうが、牛の成育・乳量にとって最も合理的な時期にデントコーンを刈り取ることにより、ヒグマの出没・被害・危険性を効果的に減らせるのだから一石二鳥どころか三鳥の方法だ。

代替作物はあるか?
 軋轢の主人公となっているデントコーンの代替作物で被害が出ない作物はないだろうか? 
 それがじつはありそうなのだ。早生ソルガム。それが有力な候補だ。ソルガムはイネ科の植物で一見デントコーンに似るが、コーンのようなクマとの悶着のタネとなる実をつけず、岩手の試験ではデントコーン同様の収量を得つつ、ツキノワグマの降農地がなくなったとされる。北海道の気象条件に最適化したソルガムの開発は道の農業試験場等に期待を込めて任せるとして、こういう発想の転換も十分に選択の範囲にある。

注意)ここに書い被害緩和措置は、それなりに期待できるものの、そもそも「デントコーン程度ならクマ用の柵は張るまでしたくない」という考え自体が明らかな錯覚で、ヒグマの生息地に面してデントコーンを栽培する場合には、できるだけ早い段階でヒグマ用の電気柵をきっちり張ってしまったほうが、はるかに金銭的に得で、かつ安全性も確保できる。上述は、どうしてもその錯覚から抜け出せない人のための苦肉の策だ。

カラクリ)北海道の酪農家が、どうしてここまで自分の農地の整備や防除をしたくないかは、酪農という比較的大雑把な大農法手法であることとのほかに、じつは政策との絡みがある。つまり、北海道の地方自治体の多くでは、ヒグマに対し「捕獲一本槍」の政策を開拓期からずっと惰性でおこなってきた。道理・理屈はさておき、それが当たり前のこととして定着してきた。農家はその政策に感化・麻痺しているため、「ヒグマ→捕獲駆除」が唯一の対策だと思い込んでいる面があるわけだ。それに加え、ヒグマの駆除ならば全額税金でおこなわれるので、自分の懐は痛まないことをよく知っている。それで、自分の農地にヒグマが入っても、自己防衛をおこなうことなく行政に「被害だ。何とかしてくれ」と不愉快顔で泣きつき、行政も農家も箱罠でも置いてそれなりに満足してきたのだ。駆除一本槍の政策があるから防除が進まない面もあるし、防除が普及しないから安易に駆除一本槍に依存し続けるし、まあ、ニワトリと卵みたいなもので、どこかで断ち切っていかないと延々続く構図だ。

 それに気がついた農水省が2011年あたりは100億円という膨大な助成金を血税から捻出して農地の防除類に降ろした。原則、100%補助だから、この不景気なときに大盤振る舞いだが、それで農家の間にも一気に電気柵が普及した。ところが、せっかく電気柵への助成金は手に入ったものの、今度は「メンテナンスが面倒くさい」という理由でクマ用の設置を避けて多くの電気柵は張られることになった。クマ用の設置をすれば、クマはまず100%防げる。にもかかわらずメンテが面倒でそれを避け、これまで通り駆除に依存する神経も、それを容認する行政感覚もよくわからないが、とにもかくにもクマの防除に関していえば、100億のうち相当額がドブに捨てられたような形だ。
 一方で、消費税増税法案が可決されたが、一体全体何をやっているのやら。ちなみに、シカ用に張られた電気柵も、血税導入の初年度の2012年現在、多くの農地で必要最小限のメンテナンスも放棄され、伸び放題の草で漏電し電圧が1000V以下に落ちて単なるヒモと化している。
 せめて農家がドブに捨てた助成金を拾い直させてきっちりクマの防除に生かさせるような政策が行政には要求されているように思うが、さてさて、どう動いてくれるか・・・・期待薄かな・・・冷然と考えれば。



コラム:環境性能と環境品質
 ある乳業メーカーの広報に、「おたくの牛乳1tつくるのに何頭くらいクマを殺してます?」とさりげなく聞いた。担当者はあたふたとし笑って誤魔化したが、もちろん、その答えが明確に返ってくるご時世でないことくらい、こちらも十分承知していた。北海道の酪農家のほとんどは、この乳業メーカーの下請け工場のようになっていて、牛乳という工業製品を、メーカーに定められたギリギリの品質でいかに量を叩き出すかという視点になっている。言ってしまえば、そこにある合理性は高度経済成長期あたりの経済合理性でしかない。様々な公害を日本各地で発生させた、今となっては懐かしみさえ感じる経営スタンスだが、要するに時代の流れに50年ほど遅れたまま進歩していない。

 日本の主産業である自動車製造では、エンジン出力や足回りの運転性能に加え、居住性能・安全性能、そして現在では環境性能というのが無視できない要素となっている。パーツのリサイクル、燃費、排気物質の量と質。あらゆる面で、消費者が環境へのインパクトを評価する時代なのだ。デントコーンは酪農飼料における合理性の象徴のような作物だが、現代の合理性とは、なにも経済的な合理性・コストの削減と儲けだけではなかろう。野生動物も含めた周辺の自然環境にできるだけインパクトを与えず、つまり殺したり破壊したり汚染したりせずに営むのが、エコの時代・環境の世紀に望まれる姿である。あらゆる産業でその取り組みがなされ実現してきている中、残念ながら、北海道の一部農業だけはその努力さえされず環境破壊を公然と伴い押し進められていると、まあ、厳しく事実本意に言えばそう表現できる。

 これは、消費者が気付いていないだけかも知れない。つまり、どの乳業メーカーがどれだけのヒグマを捕殺して牛乳をつくり出しているかなどは、調査会社に調べさせればすぐわかるだろうが、仮に、ある乳業メーカーが牛乳を100tつくるのに10頭殺し、別のメーカーがまったく殺していないと判ったとすれば、それが市民に知らされると同時に、もしかしたら後者が好んで買われる時代が日本にも来るかも知れない。自動車同様、牛乳にも味や栄養・価格のほかに安全品質と環境品質があるわけだが、日本国民はきっと賢い。いつまでも環境品質をないがしろにした産業が成り立つとも思えないが、どう推移していくか興味深い。



人里空間を誇示する―――ヒグマの降里にストレスを与える

 ヒグマほど環境に適応し暮らしを変化させる動物はヒト以外になかなか見つからない。遺伝子的にさほど違わないヒグマでも、暮らす環境によってまったく異なる生活パターン・性質を示す。これは先述インテリジェンスフローに従う結果だ。環境には、いわゆる自然環境に加えて、「ヒトの暮らしっぷり」という意味での、いわば「人間環境」を考えなくてはいけない。「クマはヒトを映す鏡」などと表現されるが、ヒグマが、ヒトがどのように暮らしているかにきっちり対応してくる野生動物である以上、ヒグマ問題を考えるうえでヒトが我が身を振り返るスタンスも必要だろうし、ヒグマの動向に変化が現れたときは、まずヒトの暮らしに何か変化はないかをよく見てみると解決の糸口が見つかる場合がほとんどだ。

 では、何故昨今の北海道でヒグマの降里が増えてきているかが問題となるが、それには中山間地域の過疎化・高齢化、燃料の炭・薪から灯油への変化、耕作放棄地の薮化、人里の断片化、牧草地からデントコーンへの作物転換、クマ撃ちの減少・高齢化のほかに「箱罠」の乱用などなど、じつに多種多様な理由が隠されている。基本的に先述の人里空間が明確にあって、そこにおいてヒトの活動がしっかり営まれているか否かがカギとなる。「しっかり」というのは「管理」という観点。空き農地・植林地などは手入れされることなく人里周りに薮が蔓延り境界が不明瞭になるとともに、言葉は悪いが自然がジワジワと人里に押し寄せてきている状態が北海道各地で見て取れる。農地に合理的な防除対策が施されず、ゴミの管理が野放図なエリアでは、境界線などあるやなしや、ヒトとヒグマの活動が入り交じり混沌としてきている観さえある。
 人里におけるヒグマ対策の第二は、人里の活性をできるだけ維持すること。過疎化・高齢化などで維持できなければ、活性があるふりをしてでもしっかり管理してヒグマの側に人里空間を誇示することである。奇異に聞こえるだろうが、高い類推能力をも持つ高知能なヒグマという動物は、ヒトの管理意欲を具象化するだけで、十分警戒心と忌避心理を抱く。具体的に効果が検証されている手法としては、バッファスペースを設ける、威嚇弾・ベアドッグなどで積極的に追い払いをおこなう、電気柵を回すなどがあるが、これらは単独で導入するのではなく、合わせ技でヒグマの心理に警戒心を累積させるのがコツだ。

自然の合理性に学ぶ
 
「テリトリー」という若干誤解をまねきやすい言葉をあえてこのHPで用いたのは、この「誇示」の努力に焦点を当てたかったからだが、本来的にテリトリーとか威嚇・bluff chargeというのは、自然界の合理性(生存の優位性)として完全衝突を未然に防ぐための平和的手法である。しかし、そのためにテリトリーの誇示をする努力が欠かせないのだ。この自然界の合理性を人里に導入するのは、決して非科学的な話ではない。
 例えばオオカミのパック(群れ)なら、自らのテリトリーをパトロールし、
ハウリング(音)、マーキング(におい)によってテリトリーの誇示をしっかりおこなう。ここにもしっかり「合わせ技」の原理が使われている。その誇示ができないほどの広大なテリトリーは無用の長物でむしろ悶着が起きる元となるので、そのパックの能力に見合った空間がテリトリーとして自然に決まる。
 仮にこのオオカミのパックに疫病が流行ったり、単なる怠慢でもいいが、何らかの理由でテリトリー誇示・保守の作業ができなくなってくると、現在北海道の中山間地域の人里で起きているのとまったく同様のことが起きてくる。つまり、テリトリーの脆弱化・縮小・消失である。
 ヒトが自然界の合理性に学ぶとすれば、我々にとってオオカミのハウリングにあたる行為は何なのか?威嚇やマーキングにあたるものは何なのか?を模索すること。そして、それらをヒト流に実践することに他ならない。


1.バッファスペース(バッファゾーン/緩衝帯)

 バッファスペースはバッファゾーン・緩衝帯とも呼ばれるが、要するに薮などが蔓延らないこざっぱりした空間である。警戒心の強いヒグマは薮などを移動して人里に近づき、またその薮に身を隠して自分を守る。「ベアカントリーの心得」で述べた通り、ササをはじめ植生が密な北海道のヒグマは特に「潜む戦略」を多用し、その薮が自分にとって有利であると十分認識している。ヒグマに対しては手に負えないモンスターか破壊の帝王みたいな傍若無人なイメージを多くのヒトはお持ちだろう。しかし、実際は隠れ潜みのスペシャリストなのだ。股下ほどの草地、あるいは太めの風倒木が一本転がっているだけで、そこに器用に伏せて身を隠し、気配さえ消す。蔓延った薮などあれば、水を得た魚のようにヒグマは自由自在に闊歩する。そこで、人里周りのその有利を消してしまおうというのがバッファスペースの考えだ。農地であれば牧草地を山側に配置しその内にデントコーンを作付けする、あるいは植林地なら下草を刈り払うだけの話だが、電気柵などと合わせるとこれがてきめんに効く。
 逆に、野生動物の通り道として好まれる
「悪い回廊・バッドコリドー」と呼ばれる薮や林がある。これは野生動物回廊・緑の回廊(グリーンコリドー)をもじって言われるが、ヒグマは特にこのコリドーを使って移動し人里・農地に近づくので、このルートを断ち切ることも重要だ。昨今、市街地に突然ヒグマが出没する事例が増えているが、このヒグマの多くがバッドコリドーを伝って人知れず市街地の至近距離まで接近している。この潜行性から、一部ではステルスグマなどとも呼ばれているようだ。
 札幌などの発展過程の大都市の場合、住宅地などが山間部に食い込みつつ、場合によっては「緑豊かな○×タウン」などを売りにする。緑豊かはいいが、その豊かな緑が、配置によっては野生動物の好適なコリドーとなりうる。つまり、ひとことで市街地出没といっても、地方・中山間地域の市街地出没は過疎化・高齢化が起因している場合が多いし、札幌などの隣縁部では、むしろ逆に都市の発展に伴う拡大が起因してヒグマの市街地出没が起きている場合があると、両極を考えることができる。

 中山間地域の実例にある農地整備を模式的に書いてみた。従来の図1ではバッドコリドー内に箱罠が仕掛けられたがヒグマの降農地は収まらず、獲っても獲っても被害がなくならないという状況が続いていた。最終的に電気柵を回して被害が十分減じた。



(工事中)


2.電気柵(電牧/パワーフェンス)

 電気柵というのは北海道でも徐々に普及して、現在では各地でシカ・クマをはじめとする野生動物防除に効果を上げている。ヒグマに対しては、電気柵の効果は高く、しっかり設置・管理をすれば、ほぼ100%ヒグマの侵入は防げる。これを読んで「えっ?」と思う人は、そのエリア周辺でクマ用電気柵の使い方を誤っていて、地域全体でヒグマの防除に失敗している可能性が高い。電気柵の原理・ノウハウというのは、一般に考えられているより深く高度なのだ。十分な理解を欠いたまま、見よう見まねで何となく張っても、特にヒグマの場合は十分な効果は得られない。そればかりでなく、誤った設置・運用では、ヒグマに悪い学習をさせ防除がエリア全体で難しくなっていってしまうのが普通だろう。

 先日、我が町の行政の方と話をしていて衝撃を受けた。シカ用の電気柵とクマ用電気柵を一緒くたに考えていて区別がまったくできていないのだ。酪農の多い北海道では電気柵は電気牧柵・電牧とも呼ばれるが、特にシカ用とクマ用を混同したところから始めると話も何も座礁するので要注意。
 本州ではサル・シカ・イノシシ・クマと、本気で防除をしなければ農業が破綻するような野生動物が多種生息するのでこのあたりの誤解は小さいが、電気柵というのは
それぞれの野生動物に対して異なる設置方法があるので、シカ用の電気柵を回してクマに効かないのは、当然と言えば当然ではある。ある自治体では「シカ用の電気柵はクマには効かない」と公文書で切り捨て、ヒグマに対する捕獲一辺倒の政策を正当化するような論を展開していたが、それは、「母親の靴が私は履けない」と文句を言っているようなもの。母親の靴はさっさとあきらめて、自分にあった靴を買った方がいい。

 ちなみにこの自治体ではヒグマの防除対策に背を向けて捕獲一本槍を続けた結果、この10年ほどでうなぎ登りにヒグマによる農業被害が増え、2008年にはデントコーンだけで1400万円近いヒグマによる被害を計上した。この数字自体母親の靴同様作為が疑われ信頼性に薄い面があるが、仮にその数字を電気柵に換算すると、電気柵の資材費は300円/mなので、たった1年の被害額で47qほど電気柵を張れる計算になる。実際は、箱罠を30器使って30頭捕獲する経費が税金から500万円ほどが毎年上乗せされるので、被害額とヒグマ捕獲費で63qあまりの電気柵を回すことができる。ちなみに、この町では数年前に農協主体でヒグマ用箱罠を20器ほど新調したが、クマ対策の電気柵は普及率がゼロである。経済に疎い私でさえ、この不合理くらいはわかる。



キモは最下段とメンテナンス
 クマ用の電気柵の基本形は上図「一重三段(20-40-60p)」。状況に応じて、この外側に一段、高さ20pのワイヤーを加えたり(トリップフェンス/トリップワイヤー)、最上段を10p上げ70pにしたりする。農地・果樹園に対して渡島半島ではほぼ100%電気柵がヒグマの侵入を防いでおり、また丸瀬布「いこいの森」・札幌定山渓「自然の村」・知床五湖木道などにもそれぞれ適した電気柵が導入されヒグマの侵入防止に効果を上げている。
 設置で重要なのは、特に最下段のワイヤーの高さだ。これを地面から20p以内に維持しておかないと、ヒグマによる「掘り返し」が起こるようになる。起伏がある場合はその起伏に合わせて20pを保つようにするが、農地周辺を平らにならして整備してしまうのが得策だろう。
 第二に、メンテナンス。電気柵のメンテナンスとは、およそ電圧の維持だろう。草が伸びてワイヤーに触れるとその草を通じて漏電を起こし、ワイヤー電圧が下がる。電圧が下がると電気柵の効果は落ち、ヒグマの場合は十分電気柵を忌避しないで「掘り返し」をおこなう個体が出始める。
 メンテのコツは、チェックを習慣づけること。携帯用の電圧チェッカーで10秒もあれば電圧をチェックできるので、これを習慣づけてちょくちょくおこなうようにするといい。電圧が数字で表示されるものが適している。
 草が伸びるのは見ていても分かるだろうが、大風が吹いたりすると、木の枝が折れて電気柵にのしかかって落ちたりする。こういう突発的な漏電もできるだけチェックし、不完全な電気柵でヒグマがおかしな学習をする前に、できるだけ早く治してしまったほうがいい。
 先述の「ほぼ100%」という防除率は、もちろんこの二つをしっかりおこなうという前提で、出てきている数字だ。
 
 ただし、ヒグマを防除できている電気柵のメンテナンスならさほど危険はないだろうが、ヒグマの侵入を許してしまっている電気柵のデントコーン農地の場合、それがシカ用でもクマ用でも裏側に回ってメンテナンスをするのは危険が伴う。大半のヒグマはヒトの活動から遠い裏側で往き来をしていることに加え、慣れてきたヒグマはデントコーン農地の中に居座って日中を過ごしたり、近隣の薮に潜んむことも多いからだ。調査をしていても、デントコーン農地や周辺のササ藪からヒグマが飛び出て逃げ去る例が、毎年のようにある。本当にヒトや人里の経験が豊富な成獣グマならいざ知らず、昨今のように「若グマのるつぼ」と化したデントコーン農地および周辺は、このようなことが起きやすい。その意味でも、以下の盲点を克服しておくことが肝要だと思う。

電気柵の盲点
 北海道の多くの地域のようにシカとクマのダブル防除を必要とする場合、電気柵の普及過程で注意すべきことは、クマとシカの防除を同時に考えるか、もしくはクマ防除を先行しておこなうことだろう。通常、シカとクマの農作物被害ではシカによるダメージが甚大なため、どうしてもシカ用電気柵を先行してまわしたくなる。ところが、このシカ用電気柵は、ヒグマに最も効果的に「掘り返し」を学習させるツールと化してしまうのだ。もちろん、その柵のメンテナンスが不十分であった場合、その学習効果は最大となる。
 シカ柵とクマ用電気柵の違いは、そのワイヤーの高さにある。シカ用は概ね30p間隔で地面から30-60-90-120pと張られるが、クマ用電気柵のワイヤー間隔は狭く、20p内外。特に重要なのが、最下段ワイヤーの高さだ。最下段を地面に起伏に合わせて20p以内に配置しておかないと十分な効果は期待できず、「掘り返し」が起こるようになることが多い。
 電気柵は野生動物の侵入を防ぐ防除フェンスだが、教育ツールである。したがって、特に学習能力の高いヒグマに対して悪い学習をさせる電気柵は好ましくなく、この点を十分注意する必要がある。

 先述でヒグマ用電気柵の基本形に触れたが、よく耳にするのは「こんなものクマは飛ぶ気になれば一発で飛ぶべや!」という意見。これはまったく正しい。高さ60pのフェンスなどクマの身体能力的には簡単に飛び越えられるし、上述のように掘って下をくぐることもできる。
 電気柵の真価は、クマにそう思わせないこと、その気にさせないこと。つまり、身体能力の問題ではなく、心理戦略なのである。最下段が重要なのは掘り返しを「企ませないため」、メンテナンスが大事なのは、一度触れたヒグマに「近づくことも敬遠させるため」である。ここをしっかり押さえて電気柵を導入しないと防除に失敗するばかりでなく、悪い学習を周辺のヒグマに次々にさせてしまい、エリア全体でヒグマの防除が困難になる可能性が高い。

非常にきっちり張られた1重5段の電気柵で、メンテナンスも十分できている。しかし、この電気柵はあくまでシカ用の設置(30-60-90-120-150p)のため、ヒグマに対しては十分効果が得られず、周辺の山にヒグマが活動する場合は、遅かれ早かれ「掘り返し」をおこなう個体が生じることになる。そして、その数は年々増加する可能性が高い。(遠軽町・丸瀬布)
一方、こちらは甘い香りの漂うリンゴ園を囲ったクマ用の基本的な電気柵(20-40-60p)だが、貧弱にも見える高々60pの電気のヒモがヒグマの侵入を完全に防ぎ、接近をもなくしていた。疑い深い私が、背後の山に入ってクマの存在を確認しに行ったほどだが、すぐ裏山のヒグマとこの果樹園は無関係に存在していた。(上ノ国町)
 
 左写真が、クマとシカの両方に利く電気柵の設置方法のひとつ。ワイヤーはクマ用の15-30-45pに加え、上部に90pが一本回してある。グラファイポールの長さが示すように、もし仮にシカが侵入するケースが生じるようなら、ワイヤーを上に加えることを想定してある。ここでは、この柵でクマとシカのダブル防除に成功していたが、資材費用としては、シカ用電気柵とほとんど変わらない。
経験的には、20-40-70-100pの4段のワイヤーで、ほぼシカとクマ両方を防ぐことができると思う。(上川町)
 シカ用電気柵では、ヒグマに対しては最下段が高すぎるため、上写真のようなことが徐々に地域全体で頻繁に起き出す。これが、ヒグマに一度学習させると厄介な電気柵下の「掘り返し」だ。上写真はどちらも農地から出るために掘った跡だが、シカ用電気柵でメンテナンスが十分されていないと、ヒグマは掘り返しを最も学習しやすい。メンテされたシカ柵に最初に鼻で触れれば、そのクマは電気柵を忌避して飛び越えようとか掘って入ろうとか突進して入ろうとかはしなくなる。が、何も知らずくぐって背中に触れたくらいだと、どうやら十分な忌避は引き出せず、「掘り返して入ろう!」とひらめくらしい。これは特定のクマの性質ではなく、一般的にそうなる傾向が強い。将来的にでもクマを防ぎたいのであれば、シカオンリーの柵は御法度だ。(左右とも遠軽町・丸瀬布)

補足)農業被害解消不能への自明なシナリオ
 上述のように、毎年電気柵下の掘り返しを新たに学習するクマがいるとする。そのような地域ではだいたい漫然と箱罠を仕掛けるので、毎年「掘り返しグマ」の一部は捕殺されるだろう。しかし一方で、一部は罠を学習し「罠にかからないクマ」に変化する。つまり、クマに不適切な電気柵と箱罠が両方そろったエリアでは、毎年何頭かはわからないが「罠にもかからず電気柵を掘り返すクマ」が着実に増え蔓延していく。ヒグマの寿命が20〜30年ということからすると、これが農業と地域の安全性に対してどれだけマイナスなことかは、すぐわかるはずだ。わかった上でそれを容認・放置する行政があるとすれば、それはちょっと行政としての責任を果たしていないと思う。

野生動物のコントロール
 野生動物のコントロールには、その動物の「得意技を封じる方向」と「得意技を生かす方向」の二つがある。ヒグマの行動を制御するには、この動物の優位な点を巧みに使っておこなう後者手法。つまり、ヒグマの知能・記憶力・類推能力・学習能力の高さをむしろ利用し、心理的にコントロールする。電気柵・追い払いという教育手法はまさにそのタイプだが、心理は身体能力の常に優位にある。ヒグマが身体的な得意技に持ち込む前に、心理的にそれを封じることが可能なのだ。また、いったん覚えたことへのヒグマの常習性は、教育効果の持続につながる。
 ヒグマの感覚と関連付けて何かを擦り込む場合も、五感のうちで最も鋭敏でこの動物が依存している嗅覚を関連付けに用いるのが正攻法だ。

シカとクマの電気柵評価
 電気柵に対する評価は、特にマスで被害を拡大させるシカの場合、デジタル発想で「あるかないか」と考えてはいけない。何%防ぐことに成功したかという視点で考えるのが正解だ。例えば、独自におこなったあるライトセンサスでは、50頭を越えるシカを一枚の牧草地で確認した。そして、その農地で早朝に仕留められた雄ジカの胃の重量は30sあった。ラフな計算を容認してもらいたいが、胃と消化液の重量を差し引いて仮に20sの牧草を一晩に食べていたとすると、50頭なら1トンの牧草に被害を出したことになる。その状態が1ヵ月続くと仮定すると、その間にシカに食べられる牧草は30トンにのぼる。つまり、電気柵によって50頭降りていたシカが5頭に減ったとすれば、一日に900s、1ヶ月で27トンの牧草被害を防げたことになる。「5頭ほど何かの拍子に入ったがよしとする」というのが妥当な評価の仕方だろう。
 ヒグマの場合、群れを形成せず、また絶対数自体がシカに比べて少ないので同様の捉え方は難しい。また、人里のリスクマネジメント観点からすると、場合によってはたった一頭人里内の農地に降りていることが大問題となることもあるだろう。幸いにして、設置方法とメンテナンスさえしっかりおこなえば、ヒグマの特性から電気柵による防除率はシカに比べてはるかに高い。農地等の経済被害と人里および周辺での人身被害を防ぐための切り札となりうる電気柵。是非、適正な導入と運用を心がけたい。

7月シフト
 北海道ではシカの被害が甚大でシカとクマのダブル防除を必要とするエリアも多い。その場合、設置段階でシカとクマの両方に効く設置の仕方をするのが一般的だが、「7月シフト」という方法を考えた。例えば、被害額が突出しているデントコーンの場合、シカは芽出しの時期から被害を及ぼし、時期に応じて茎も葉も食べつつ8月後半から収穫まで実も食べる。そこで、シーズン前半はシカ対策の設置をし(30-60-90p)、十分にシカに電気柵を学習させる。そして、ちょうどヒグマがコーンの様子見をしに来る7月下旬〜8月上旬の前に一度メンテナンスの下草刈りをおこない、この時にワイヤーを下げてクマ用にシフトするのだ。春から学習してきたシカは、多少高さが低くなっても、もうその農地には近づきもしないだろう。仮に1頭か2頭気まぐれで入るシカがいてもそれは仕方ナシとあきらめる。

 さて、7月中旬にクマ用にシフトし完璧にメンテされた電気柵がクマを待ち受ける。クマは異物に対してまず鼻で確認に行くことが圧倒的に多い。電気柵に鼻を近づけ、触れる瞬間にシカとは比べものにならない電撃を喰らうことになる。ひづめのシカと異なり肉球でベタベタと歩くヒグマには電気が通りやすく、濡れた鼻で触ればなおさらだろう。メンテ直後の7000〜9000ボルトの電圧で、その場にドッサリ崩れ落ちるくらいショックを受け、もう2度と電気柵に近づこうともしなくなる。
 こういう身体的・行動的特徴があるために、電気柵はヒグマに対して高い防除性能を発揮するのだ。

 7月中旬に電気柵のシフトとメンテをおこなった場合、しばらくは電気柵下の雑草を気にせねばならないだろうが、お盆を過ぎれば草の伸びも衰え9月にはほとんど成長しなくなるだろう。シフト後、デントコーンの刈り取りまで1度のメンテナンス(草刈り)で十分いける可能性がある。現在シカ用電気柵が張られている農地で、資材費を一切かけずにシカとクマのダブル防除を実現するなら、この「7月シフト」はやってみる価値のある方法だと思う。

ネットフェンスへの応用
 針金が格子状に編んである高さ2m程度のネットフェンスは
物理柵とも呼ばれシカには効くがヒグマにはほとんど効果がないばかりか、大型のオスがよじ登ると体重で破壊されるので厄介だ。このよじ登りを防ぐには、外側に1〜2段の補助的電気柵(トリップフェンス)を回してやる。この方法はよじ登りに対しては効果が大きく、経費的にも労力的にも支柱が既にしっかりあるため十分ペイする。ネットフェンスのポールが腐食防止木柱の場合、トリップフェンスを回したい高さに直径10oのドリルで穴を水平に開け、そこに同径グラスファイバーポールを差し込んでク固定し、通常の電気柵同様クリップでワイヤーを保持するだけだ。

 同様に、トリップフェンスの高さを低く設定することでネットフェンスの掘り返しも防ぐことができる。図中のワイヤーAはよじ登り対策だが、実際は、ヒグマがワイヤーを確認しに来たときに鼻で触れさせるのがベストなので、高さ1m以内に2本B・Cを回してやる方法がおすすめだ。ネットフェンスとの距離は30〜40センチ。Cの高さは、通常の電気柵同様20センチ以内にすべきだが、図をみて判るように、支柱とワイヤーがオフセット(垂直線上にない)しているので、メンテナンスの下草刈りは随分楽だ。時間的には、通常の電気柵の1/3〜1/2程度で終えることができるだろう。

 よじ登り・掘り返し、それぞれに最適なトリップフェンスの設置方法は各地で模索中というところだろうが、十分効果的な張り方はだいたい判ってきている。注意すべきは、電気が流れるワイヤーとネットフェンスの距離をあまり小さくすると、ワイヤーに流れる電子によって起電圧が生じ、効果が薄れる場合が考えられること。ここの数値データは、残念ながら私は持っていないが、腕つき碍子または上述の方法で20センチほど離せば大丈夫だと思う。

 また、予備の資材を有している場合は、上述トリップフェンスの他に、あえて不必要な電気柵を同じタイプのワイヤーでヒグマの通り道に回してメンテをしっかりし、電気柵自体を周辺のヒグマに学習させる工夫をすると効果は上がるだろう。
 このトリップフェンスも電気柵の一種であるから、いかに効果的に電気柵の電撃をヒグマに体験させ、学習させるかがミソとなる。電気柵に関しても、「アスファルトの上では効かない」「晴れが続くと、クマの毛が濡れていないから電気が流れず効かない」などなど、すでに北海道ではいろいろな風説が流れはじめているが、その多くは事実無根だ。アスファルトでも9000Vの電圧を維持できるし、不幸なことに私自身、設置作業でそれに二度も触れて痛い思いをしている。ヒグマが濡れて云々に関しては、すでに学習させることに失敗している証拠。初めて電気柵を前にするヒグマは、上述の用に鼻で確認しに行くだろうし、電気柵の電撃をしっかり学習したヒグマは、この柵の前で、押し入ろうとか、飛び越えようとか、掘り返して入ろうとか思う余裕などない。ましてや、そ知らぬ顔で背中でワイヤーを押し上げくぐろうなどとはしない。

補足)自前の柵
 写真ではわかりにくいが、ポリネットから針金・有刺鉄線までホームセンターで揃う様々な資材を合わせて柵を作ってある。農園内にはスイートコーン、カボチャなど誘引力の高い作物が例年つくられている。柵自体、見方によってはスマートではないが、この意欲がヒグマに伝わるのか、10年来この菜園にはヒグマが入ったことがなく、ヒグマらは写真奥に見える無防備なデントコーン農地をエサ場としてきた。もちろん、このような柵はヒグマが突破しようと思えば楽にできるものだ。柵のゴテゴテ感とは逆に、写真からも分かる通り周辺の草が刈り払われ、じつは裏山のトドマツ林はきれいに枝打ちがされて見通しが確保され、随所に適宜バッファスペースが設けられている。
 ところが、近年、奥のデントコーン農地に電気柵が回されたとたん、ひと組の親子グマによってこの農園は荒らされた。ある程度年齢を重ねたヒグマは、エサ場に対しても「危険度」と「誘因度」のバランスシートで用心深く選んでいる。この菜園にも電気柵導入の時期が来たようだ。

(工事中)


3.追い払い


 追い払いとは、特に無知で無邪気で好奇心旺盛な若グマにヒトや人里に警戒心を持たせ「近寄らない」「速やかに遠ざかる」という戦略を持ち出させるためのヒト側の積極的な威圧・威嚇である。

a)ベアドッグ
 ベアドッグとは、ヒグマを威圧・威嚇し追い払うための犬。犬種としては、猟犬由来のアイヌ犬・カレリアンベアドッグ、そして本来的にヒグマやオオカミの撃退用に作出された護羊犬・キャトルドッグ由来の犬種がさらに適している。人里内に侵入している個体、あるいは人里外でも警戒心薄くヒトに接近するような若グマに対しては追い払いをおこなうが、ベアドッグは、ヒグマ調査・パトロールの際のヒグマ感知センサーとしても機能する。また、オス犬であれば毎日のパトロールルートで始終マーキングをおこなうので、そのにおいもヒグマの活動を遠ざけるのに加担しているかも知れない。
 ただし、ベアドッグは猟犬と異なり不特定多数のヒトが活動する人里内および周辺でヒグマを相手にするのでミスが許されず、またヒトや他の犬に対しての社会性を幼少の頃からしっかり育む必要がある。単に攻撃的な犬ではダメなのだ。TPOをわきまえ、ヒグマに対峙したときだけその威嚇力を余すことなく発揮する犬が優秀なベアドッグだ。
 ベアドッグによるヒグマの追い払いには、専用のリーシュをつけてヒトとともにヒグマに接近するオンリーシュ・メソッドと、リーシュを解いて犬のみがヒグマを追い払うオフリーシュ・メソッドがある。通常は、対面したヒグマの性質を量りながらオンリーシュではじめて、ヒグマが逃亡に移りかけた機を見て、場合によってはオフリーシュに変更する。
→LINK:ヒグマ制御の試み/対策5:ベアドッグ

b)威嚇弾(長〜中距離)
 概ねゴム弾・花火弾を威嚇弾というが、現在のところスムースボアのショットガン(散弾銃)を用い、それぞれ熟練が要る。ゴム弾の射程は30m内外。ヒグマを習熟しないハンターがこの距離でゴム弾をヒグマの尻に撃ち込むのは心理的に困難な作業だろう。クマ撃ち同等のヒグマ経験と知識がいる。
 花火弾は、ある程度ファジーでいいが、ヒグマを越えて破裂しないよう距離と射角度を考えて撃つことが必要となる。
 現在、海外で犯罪用に用いられている電撃弾も将来実用化できるかも知れない。

c)ベアスプレー(至近距離)
 この方法はヒグマに習熟した人間がおこなう追い払いで、なかなか鳥獣行政担当者・駆除ハンターなどには困難かつ危険な作業でもあるが、少なくとも刹那的な好奇心で接近する若グマに対してのベアスプレーの撃退率は非常に高く、若グマにヒトへの警戒心を教えるには効果的だ。意図的・計画的にこれをヒグマに噴射することは無理にしても、ベアスプレーが普及し、それを浴びせられるヒグマが増えれば、ヒトそのものに忌避感情を抱き、結果、ヒトの活動する人里からヒグマの活動が遠ざかる可能性もある。
 比較的簡単な工作で「センサー・ベアスプレー」、つまり、動体センサーでヒグマを感知し自動的にスプレーを噴射する装置も作れるので試してみるのもいいだろう。

d)轟音玉(ごうおんだま)(近距離)
 轟音玉はトド玉とも呼ばれるが、要するに手投げの花火である。とはいえ、威力は通常市販されている花火ではなく、花火大会の撃ち上げ花火レベルである。これが近距離で破裂すると腹に衝撃が来るほど強烈で、ショットガンの射撃音などかわいく思えるほど。使い方としては、ヒグマのあまり近くで破裂させないようにすること。若グマの場合、投げた轟音玉に興味で近づ鼻で確かめることもある。



e)駆除雷(くじょらい)(中〜遠距離)
 比較的新しい野生動物駆逐用の花火で、火薬は光ではなく音に集中して使われる。轟音玉よりも扱いやすく危険性が低いと思われ、なおかつショットガンによる花火弾に準ずる効果が期待できる。今後火薬ものでは主力となりうるが、要資格。

        
 上図で示した通り、現在、40〜80mの距離での追い払いに最適な方法が見当たらない。実際に、誤って電気柵の中に入ってしまった若グマの追い払いをこのレンジで試み、7発の轟音玉を使ったあげく追い払い不能と判断し、待機していたハンターに射殺をお願いした経験もある。追い払いの精度は、今後北海道でも経験値とともに向上していくものと思われる。

e)サーチライトとロケット花火(夜間・長距離)
 夜間の追い払いに適しているのがこの二つの合わせ技である。明らかにその薮にヒグマが降りてきていると確認できた場合は、クルマなど逃げ場所を確保しつつ50m程度離れた場所からサーチライトで照らし、もしヒグマが動き遠ざかった場合はロケット花火で追い打ちをかける。また、はっきり確認できていない場合も、その個体の出没時刻がわかっている場合は、ヒグマの想定できる薮に向けてこれをおこなうこともある。

f)爆音機など
 爆音機をはじめ、従来用いられてきた音や光・においの資材は、タイマーなどで自動的に作動するものは、ヒグマはそのうちに慣れて効かなくなることが多い。もし用いるのであれば、接近したヒグマをセンサーで感知して作動するものがいいだろう。
 ただ、これも相対的で、仮に農地Aと農地Bが隣接してあり、農地Aで定期的に爆音機が鳴り、その隣の農地Bが無防備であれば、ヒグマはAを避けるようになる傾向が強い。

補足)ヒグマ用電気柵を設置していない農地の場合、大農法基調の酪農では視界の利かないデントコーンにせよ大型農機で作業をするので仮に農地の中にヒグマがいてもさほど危険ではないが、もし人力での作業をおこなう場合は、「ベアカントリーの心得」に示した方策の「アピール」を踏襲して実践する。ただし、農地・人里などのヒトの空間に降りているヒグマに対しては、単なるアピールでは弱すぎるケースも考えられるので、安全を確保しながら「威嚇」要素を持った方法でヒトの接近を知らせてやる。
 必要なことは、明確な合図としておこなうこと。ヒグマに逃げる猶予を十分与えること。そして、安全を確保しておこなうこと。この三点である。簡単な方法では「缶叩き」がある。ありふれた四斗缶をあちこちにぶら下げておき、作業をする少し前にそれを派手に棒やレンチで叩く。これで100%大丈夫かと問われれば怪しいが、作業開始時にはできるだけ大人数で騒がしくはじめるようにすると間違いは起きにくい。もちろん、同じコーンでも人間用のスイートコーンなどの場合は、手作業となるのでしっかりしたヒグマ用電気柵を回してしまうのが経済的にも精神衛生的にも人身被害の危険性的にも明らかに得策だ。

 ヒグマの追い払いというのはある程度専門家のおこなう作業かも知れないが、調査やパトロールで徘徊するだけでヒグマの気配が忽然と消えたり、一人の人間が空き農地に移住したことで近隣のヒグマの出没が激減した例があることも、申し添えておく。改まった「追い払い」という行為ならずとも、日常的なヒトの活動のエネルギーが自ずとヒグマを遠ざける力を持っている。



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