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 前項『ベアカントリーへようこそ』では、釣りや山菜採り・登山などでヒグマの生息地に踏み入って北海道の自然を安全に楽しむためのノウハウとして対ヒグマ戦略を示したが、森林伐採(造材)、送電線や雨量監視所の管理、野生動物調査などにも対応できるものとした。

 一方、ヒトにはヒトの暮らしがあり、毎日の買い物や通学・通勤・公園の犬の散歩や家庭菜園・農業などをおこなう居住空間・生活空間があるが、そのボーダー(境界)はコンクリートの塀のようなもので物理的に区分け・隔離されたものではないため、ヒトの生活空間にヒグマが侵入しないためには、そのボーダーの議論から始め、十分合理的なボーダーコントロールをおこなう必要がある。

 前項では、自己責任の原則のもとでいろいろを書き記したが、ヒトの生活空間に侵入するヒグマというのはヒト社会的に容認し得ない問題であり、ヒトの生活空間のリスクマネジメントの色合いが強く、個人や民間企業の自己責任では網羅できない部分も多く、道庁や各市町村など公的機関がヒグマ専門家を用いて『羆塾のヒグマ対策』に書いたいろいろな対策を講ずる必要性がある。それは、警察や消防が機能しているという前提で、個人や企業がそれぞれ防犯・防火の努力をするのに等しく、トータルとしてヒグマ問題の解消をめざすスタンスになる。

 本項『暮らす者の戦略―――ヒグマを遠ざけて暮らす』では、何らかの人為物をヒグマが食べ慣れて動向を変えヒトの生活空間に侵入してくる「餌付け型」と、ヒトに対する警戒心・忌避が低下し比較的無目的にフラフラと歩き回る「無警戒型」に、問題やヒグマのタイプを大別して切り分け、それぞれの問題の合理的な解決策について示していきたいと思う。

【問題と問題グマのタイプ】
 Type1(餌付け型):農業被害・人為物に食害を与える at 中山間地域・農地帯
 Type2(無警戒型):ヒトを警戒しないヒグマが侵入して歩き回る at 都市部周辺・観光エリア
 Type3:Type1とType2の複合型

 Type1とType2は、原則的に独立した問題で、その原因・メカニズムも異なるが、「Type1かつType2」という場合も起こりうる。
 じつは、Type1とType2はそれが起きるメカニズムの点でリンクしていて、放置しておくとType1はType2になりやすく、逆にType2もType1になりやすい。どちらも放置しておくと「Type1かつType2」、つまり「餌付け型の無警戒グマ」もしくは「無警戒型の餌付けグマ」になる率が非常に高く、そのタイプはときに人身被害リスクが高いため、「Type3」として特別視したほうがいいかも知れない。

 「Type1・Type2→Type3」の変化は、それぞれの対策を適切に講じなかった場合、通常不可逆で、自動的に「Type3→Type1・Type2」のように戻ることはない。


 Type3への変化―――旭川の事例

 上述のタイプの変化について、比較的わかりやすい事例が最近の旭川にある。

 旭川の東部にペーパン川という中規模河川がある。ペーパン川の上流部には「21世紀の森」という旭川市が運営する比較的大きなアウトドア観光エリアがあり、下流部には、やはり旭川市の運営する「旭山動物園」と、別荘やカフェなどが点在する「桜岡」というエリアがある。そして、ペーパンの中流域には、河岸段丘に沿って農地帯が広がっているが、ペーパン川流域全体としては、観光客の数が比較的多い。

 近年、旭山動物園・桜岡周辺に比較的刹那的な無警戒型のヒグマの出没が増え、ペーパン中流域の農地帯ではヒグマによる農業被害が深刻化してきた。

 2022年のこのエリアの「ひぐまっぷ」を示すと次のようになる。
 「ひぐまっぷ」とはヒグマの出没認知地点を視覚化した地図だが、赤いヒグマのマークは「目撃情報」を示し、黄色い足跡のマークは糞や足跡などの「痕跡情報」を示している。ただし、赤・黄色どちらも、そこに出没したヒグマの「頭数」に関しては答えてくれない。痕跡が残りやすい条件で1頭のヒグマがあちこちに多くの痕跡を残しただけかも知れないし、1頭の無警戒なヒグマがフラフラと歩き回ってヒトに目撃されがちなだけかも知れない。逆にマークが少なくても、巧妙に出没しているヒグマが何頭もいる場合もある。


 上図では、赤い色が集まるペーパン下流部の桜岡周辺と、黄色い色ばかりが集まるペーパン中流域とが、比較的明瞭にわかると思うが、大雑把に言えば、赤いマークは、日中にその場所を暢気に歩き回っていた無警戒化が進んだヒグマである可能性が高く、黄色いマークばかりが集まる場所は、人為物を食べにコッソリ人里内に侵入していた餌付け型のヒグマである可能性が高い。つまり、桜岡・旭山エリアでは1頭以上の無警戒タイプのヒグマが歩き回って目撃されていたのに対して、ペーパン中流域では、やはり1頭以上の餌付け状態のヒグマが人為物を食べるために降りてきていた、とおよそ察しをつけることができる。そして、異なる地域で異なる問題を起こしていた二つのタイプ・二つのグループのヒグマは分離していることもわかる。
 上述したように「頭数」に関しては、専門家がそれなりの現場調査に入らないとはっきりしたことはわかってこないため、この図からは「1頭以上」というミニマム表現に留めておく。(印象としては、ペーパン中流域の農地帯で1~2頭。桜岡・旭山エリアで2~3頭というところか。本気で現場の調査に入らないと、やはりそのへんはよくわからない。)

 では、次に翌2023年の同エリアの「ひぐまっぷ」を同縮尺で示してみよう。

 2022年からの変化としては、まずヒグマが出没する範囲が広がったこと。そして、赤いマークが全体的に蔓延したことだが、22年までの桜岡の「無警戒型」グループと、ペーパン中流域の「餌付け型」の、少なくとも見分けがつかなくなっている。これは、ペーパン中流域の餌付け型のヒグマに無警戒化が進んだこと、桜岡の無警戒型ヒグマの活動範囲がペーパン中流域に広がったことなど、幾つかの可能性が考えられるが、桜岡における人為物の管理が甘く防除などが普及していない現状を考え合わせると、遅かれ早かれこの地図のエリア全域にType3のヒグマ、つまり無警戒型の餌付けグマが蔓延していきながら、その出没範囲も広がっていくことが予測される。

 2022年の段階ならば、問題が分離しているため、方策も切り分けて考えられる。もし私ならペーパン中流域にはヒグマ用電気柵の普及をとにかく進める。クマ用電気柵をの農地に回してしまう方法だ。場当たり的に箱罠を漫然とかけまくったところで問題はほとんど何も解決しない。
 一方、桜岡・旭山周辺で、まだ徘徊ヒグマが人為物にありついていないならば、可能な範囲で前倒しの防除も進めつつ、とにもかくにもこの出没徘徊個体にヒトへの警戒心を植え付け、ヒトの活動域に軽率に侵入してこないような教育手法を用いる。すでに何らかの人為物で餌付け状態だった場合は、その人為物の種類によって対応が変わるが、こちらも、問題は無警戒グマが出てくる黒岩山山麓のヒグマの状況なので、出てきた無警戒若グマを漠然と殺したところで、根本的な問題は解決しない。

 ただ、2023年になって、その切り分け対策の可能性は機を逸したと思う。いったん2023年のようになってしまうと、人知れず人身被害リスクがエリア内のどこともなく高じてきている可能性もあり、ヒグマの「防除と教育」という方策を積極的に必要なレベルで同時に講じなければ、このエリア全体のヒグマ問題は解消に向かわない公算も大だ。

 少し余談になるが、このペーパン川流域エリアの難しさはほかにもいろいろあって、ペーパン川の南北に東川町・当麻町との市町村境界が迫っていることもそのひとつだ。ペーパン川流域の人里に出没しているヒグマのほとんどは、どちらかの境界線を越えて活動している。
 じつは、私自身は当麻町のヒグマの無警戒化を2010年あたりから感知し観察してきたため、桜岡エリアへの波及が予測できていたアドヴァンテージがある。私は市町村の縛りを受けないボランティアのため、そこが功を奏した。つまり、桜岡・旭山エリアの無警戒グマのルーツは当麻町にあるのだが、これは旭川市が単独でいくら調査をしても引っかかってこない事実だろう。今後、ヒグマ対策の広域連携が一元的に実現すれば、そのヒグマ管理の弱点は解消するのだが、そうできるかどうかは市町村の人間力学なので、私にはいまいち読めない。実現せねばいけないなあ、とは思う。



 上の旭川市の具体例で少しType1/Type2/Type3のニュアンスがわかってもらえたと思うが、ひと言で「クマ問題」「クマ出没」と言っても、それを引き起こしている原因として「餌付けと無警戒化」という二つの要素が大まかにあって、解消策としても二つの方向性があるということは特に記憶しておいてもらいたい。それは『羆塾のヒグマ対策』冒頭で触れたように、アラスカの原野における対ヒグマ・リスクマネジメントとも、本質的には何も変わらない。とにもかくにもヒグマに対しては「エサを与えない&舐められない」という二大原則を確実に堅持していくしかないのだが、そのどこかに手薄やほころびがあると、総じて経済被害や精神的被害を伴いながら、地域全体の人身被害リスクが高じてしまう道理の経路があって、実際にそのように進む可能性がとても高い。

 Type1とType2(餌付けと無警戒化)それぞれの問題への対策概略は、次のようになる。
 対策A.食物の管理を適切におこなう防除(byクマ用電気柵&バッファスペース)→ヒグマの餌付けの防止 
 対策B.ヒトへの警戒心を持たせておく教育(byクマへの誇示・威圧・追い払い)→ヒグマの無警戒化の阻止

 Aの「食物」というのは、生ゴミ・コンポストから家庭菜園・農地の作物までヒグマが食べて好むようなものを総じて指しているが、とにかくそういうものをヒグマに食べさせないという方策が「防除」だ。現在では、実質的に「クマ用電気柵」ということになるが、設置のしかたとメンテナンスを適正におこなえば、クマ用電気柵の対ヒグマの被害防止効果はすこぶる高く、ほぼヒグマの餌付けを防止できる。

 「ヒグマの餌付け」というのは、特にヒグマがヒトの食べ物や農作物などの人為物を食べて、常習性が現れたり執着したり、動向を変化させるような場合に用いることが多いが、「クマちゃんお食べ」と食べ物を投げ与えることなど、意図的にヒグマに食べ物を与えることを「餌やり」といって一応は区別している。家庭菜園のニンジンをヒグマに食べられるのは「被害」という名の餌付け、そのニンジンを現れたヒグマに投げ与えるのは「餌やり」という名の餌付けということになり、まあ、どちらも餌付けの一種で悪気はないとは思うが、人の意図にかかわらず、「ヒグマに与える影響」「影響を受けたヒグマのヒトに対するリスク」という観点で事実本意に考えることが大事と思う。

 一方、ヒグマにヒトへの警戒心・忌避心理を植え付ける教育手法を「ヒグマの忌避教育」などと呼んでいるが、実際にヒト側が望むようにヒグマの意識を変え、その結果として行動改善をさせる教育は難易度・危険度がともに高く、一般市民各々に要求できるものではない。そのため、同じく社会リスクマネジメントの警察・消防同様、北海道や市町村など公的機関がヒグマの専門家を用いておこなうことにならざるを得ないが、その専門家は現場での実地経験を十分積んでいて、個々のヒグマの性格や気分を読んだり、至近距離で冷静に判断してヒグマにストレスを加えてコントロールしたりと、特殊な専門技術も必要とされるため、現段階において潤沢な人材を北海道で確保できるとも考えにくい。

 このような現状から、ハンターという「捕獲の専門家」を育成するとともに、ヒグマの「教育の専門家」を積極的に育成していく必要もあるが、少なくとも当面は、各振興局に数名のヒグマの調査から教育までをおこなえる専門家を配置するような形が現実的かも知れない。また、道庁で開始された『北海道ヒグマ緊急時等専門人材派遣事業』(外部リンク:https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/125291.html)も、一つの取り組みとしてとてもいいスタンスだと思われる。


 2000年代に入ってデントコーン被害が高じたため北海道各地で箱罠によるヒグマの捕獲が精力的におこなわれるようになった。それで、年間に数百~1000頭近いヒグマが捕獲され殺処分にされてきたが、20年間それをやって農業被害が解消したかというと、否。解消どころか、高止まり傾向を強めている地域も多い。
 また、中山間地の観光施設では、電気柵とバッファスペースを中途半端に導入した結果、ヒグマが施設内に侵入し、人知れず外に出たがって右往左往している例が毎年何件か起きる。電気柵やバッファスペースそのものが悪いのではなく、設置の段階や運用で間違えると、このようなことも起きる。

 一見それらしいヒグマ対策を導入し続けてみても結果が出ない場合、その対策のどこかに見落としや錯誤が混入してそうなっているため、ただ漫然と惰性でそれを続けても、やはり望む結果は出ない。
 できるだけ科学的な事実に照らし合わせて合理性が担保された方法を導入することも大事だし、やってみて利かないぞ?となった場合は、どうして効果が得られないかを、やはり科学的な思考で考えて、結果に結びつける努力をしなければならない。確かにめんどくさいのだが、農業であれば、やはり「被害がなくなる」という至上命題があるだろうし、観光施設や市街地では「ヒグマを侵入させない」という目標があるはずだ。その命題や目標の実現のためには、多少めんどくさいことも厭わずやる覚悟は必要だ。

 いずれにしても、結果が出ないヒグマ対策など無用で邪魔なだけだ。羆塾では、あくまで「結果を出せるヒグマ対策」に焦点を当てて、ヒグマの調査研究が続けられ、対策技術の開発等ををおこなって来た。このスタンスは、すべてのヒグマ問題を抱える人にとって、何より重要だと思う。野生動物との共生とかなんだとかは、被害を防いでなんぼの話。防がなきゃ共生もへったくれもない。


ちょっと休憩:阿仁マタギと羆塾

 クマ撃ちは東北地方でいえば阿仁のマタギに相当する。阿仁の里は秋田北部・米代川支流阿仁川中流部の山里で、古来よりツキノワグマ猟のシステマチックな猟がおこなわれてきた。関東以西に比してマタギの猟の特長はこのチームによる三つの巻き狩り(上り巻き・横巻き・降ろし狩り)で、ときにはイヌ(セタ)が効果的に使われる。農耕民族国家日本においてマタギの狩猟道具は2013年、国の重要有形民俗文化財に指定された。現代、さすがに高齢化は免れないが、か細いながら脈々とその文化は伝承されている。
 秋田県は全国でもツキノワグマの捕獲数で群を抜き、秋田県庁によれば、2017年には817頭が捕獲されたが、そのうち767頭が住宅地や農地への出没による有害捕獲で捕獲放獣はなし。すべて捕殺駆除されたという。今世紀に入って目撃件数・人身被害件数も高止まりし、方策を失い手詰まりの感が否めない。
 阿仁マタギの里周辺では、秋田県全体の混沌とした状況とは別に、有害捕獲や人身被害の跳ね上がりは見られない。もちろん、阿仁にも多くのクマが生息し、人里周辺でも痕跡は多く見られるのだが、それにもかかわらず人里および周辺のクマによる被害が非常に少ないのだ。
 マタギたちは言う。「人間の恐さを植えつけておかなくてはダメだ」。

 マタギには強い掟がある。「山の恵みを必要なぶんだけもらい、余分にはもらわない」 その掟からすると、秋田県全域で起きているクマの有害駆除を苦々しい顔で見ていることだろう。恵みであるはずのクマが単に迷惑な有害物としてただ殺され続け、うまくバランスを取って共存している阿仁の里を見習おうとはしない。
 私のバックボーンはマタギではなくアラスカの原野生活にあり、そこで望む望まないにかかわらず必然的に狩猟生活となったが、森と河、山菜・魚・獣・樹々に対しての感覚はまさに自らが生きるための「恵み」というもので、阿仁マタギと同様だろう。「過不足なく森の恵みをいただく」これがアラスカの森で私が至った狩猟的感覚である。マタギに限らずアイヌ、イヌイットなど世界の先住狩猟民族には、同様の感覚がある。そして、周辺の野生動物との関わり方、特にクマやクズリやオオカミとのお互いにトラブルのない暮らし方のコツも、恐らく同じ狩猟民族的な経路で体得している。一定の距離感を保ち一つの森を共有しながら継続的に存在していく。今風に言えば共存・共生の具象化だ。
 野生動物は危険なものにはそう簡単に近づかない。少なくとも、学習を経てそう成長していく。現代のクマが軽率に人里や市街地周辺に降りるのは、ヒトがさほど危険ではないと漫然と思っているからだ。だから、仮に危険で恐くなくても、ヒトのことをそのようにクマに思わさなくてはならない。マタギ流に言えば「ヒトの恐さを植えつける」、私流に言えば「若グマの忌避教育」、そこに尽きるのだ。

 さて、北海道でも秋田と状況はまったく同じで、膨大な数のヒグマが害獣の名の元に殺され続けている。その多くが箱罠による捕獲で、ヒグマに対してヒトへの警戒心や忌避心理をまったく植えつけない。秋田における阿仁マタギの存在と北海道における私が羆塾と称しておこなってきた行為は、じつは・クマの無警戒化防止・被害防止・無闇なクマ捕獲防止という点においてまったく同一だ。銃の代わりに信頼できるベアドッグを連れクマを追い上げる。マタギの巻き狩りで最も重要な「上り巻き」と同じ行動を、マタギ犬よりはるかに威圧力があり訓練されクマにとって脅威なベアドッグとともにチームとしておこなう。異なる点は、マタギの完結が尾根方面で待ち構えた射手によってクマが射殺されるのに比べ、私の作業はヒグマが脱兎のごとく切迫しきって逃亡したり、あるいは樹上高く逃げ登って震え上がるところで完結する点だ。もちろん、ヒトへの怖れや警戒心を植えつけられたクマが殺されていなくならないぶんだけ、クマに対する教育効果は後者のほうが高い。おまけに年がら年中のべつ幕なしにやっているのだから教育効果は比べものにならない。

 シカやイノシシのように個体数調整が目的の野生動物対策ならば殺して完結以外に方法はない。しかし、ツキノワグマにせよヒグマにせよ、絶滅が危惧される地域が散見され、またCITES(ワシントン条約)において人類としての保護動物とされているクマを殺して完結という手法に執着するのは的を射ていない。殺さずにクマの側にヒトへの警戒心を刷り込む教育活動が今世紀にはあるべきだろう。この方法論であれば、被害防止の観点と環境保護・共生・動物愛護の観点と、両方の立場の人の希望・要求・価値観をともに満たすことになる。
 私自身はマタギの文化をに敬意を払い学ぶことを惜しまないが、その歴史的な文化にこだわるつもりはまったく無い。食べていくための狩猟という行為は秋田でも北海道でも派生的にクマの無警戒化を防止していただろうが、今や自然との共生という人類に突きつけられた大課題があり、そこに特化した意図的な方策があるべきだし、イヌひとつとっても世界には従来の日本犬を凌駕する対ヒグマに最適なイヌが存在し、現場の作業の中からそのイヌを作出して精度を高めることもできる。私が見ているのは歴史や文化ではなく自由自在な合理性だ。その視点からすれば、今世紀以降おこなうべき新しいクマ教育の方向性や技術は必ずある。
 銃器を用いないヒグマの教育、これはマタギの技以上に高度な技術を要する。しかし一方で、日本における銃器の規制はとてつもなく厳しい。どちらをおこなうにせよリスキーで半端な覚悟ではできないかも知れないが、ヒトの社会全体としては両方のアプローチでクマ問題に対峙していくべきと思う。

 
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